あかない日記

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静岡紀行 伊豆の国市 反射炉と江川英龍

2019-01-17 | 国内・静岡

 

                  銅像・江川英龍と反射炉



  江川 英龍(ひでたつ・1801-1855)は
  江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。

  通称の太郎左衛門 号の坦庵(たんあん)の呼び名で知られている。

  韮山代官は 伊豆、駿河、相模、甲斐、
  武蔵にある幕府直轄地の支配を担当していた。


  嘉永6年(1853年)のペリー来航で
  江戸湾海防の実務責任者であった 

  江川英龍は 洋学とりわけ近代的な沿岸防備の
  手法に強い関心を抱き、

  大砲の鋳造法の洋書のみを頼りに
  大規模な反射炉の建造に取りかかる。

  しかし 1855(安政2)年 完成を見ることなく病死してしまった。

  後を継いだ 江川英龍の三男・江川英敏は
  反射炉の建設を行なっていた佐賀藩に協力を求め
  1857(安政4)
年に完成した。

 

 

 
   「鉄砲方」とは 江戸幕府の職名の一つ。
    若年寄の支配下にあって、銃砲の製造や射撃の教授などにあたった者。
    井上・田付両家が世襲している。
    ほかに長崎鉄砲方・大坂鉄砲方があった。


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