(金木町太宰治記念館)
6月13日は
小説家 太宰治が亡くなった桜桃忌
1948(S23)年6月13日
玉川上水で愛人の山崎富栄と入水心中
満38歳であった。
太宰治の育った 20年間
津軽時代にスポットを当ててみる。
1909(M42)年6月19日
青森県北津軽郡金木村
(後の金五所川原市五所川原市)に
父津島源右衛門と母たね(夕子)の
六男として生まれる。
父・源右衛門は県会議員、衆議院議員、
多額納税による貴族院議員などを務めた
地元の名士で、津島家は
「金木の殿様」とも呼ばれた。
母は病弱だったため、
生まれてすぐ乳母に育てられた。
3歳から小学校入学までは
14歳の女中・ 近村たけ
が子守りを務めた。
1916(T5)年
金木第一尋常小学校に入学
成績も良く、開校以来の
秀才と言われていたという。
小学校卒業後、1年間 明治高等小学校に通学
1923(T12)年3月4日
父が肺がんで死去
4月 青森県立青森中学校に入学
実家を離れて下宿生活を送る。
成績優秀で1年の2学期から
卒業まで級長を務めた。
このころ小説家を志望するようになる。
1927(S2)年
旧制弘前高等学校文科甲類に入学
全寮制であったが、母の考えもあって、
病弱と偽り下宿生活をしていた。
7月24日
芥川竜之介の自殺を知り衝撃を受ける。
1928(S3)年
同人誌「細胞文芸」を発行すると
辻島衆二名義で当時流行の
プロレタリア文学の
影響を受けた「無限奈落」を
発表するが、連載は1回で終了
この頃、芸者の小山初代
(1912-1944)と知り合う。
1929(S4)年
弘高で起きた同盟休校事件を
モデルに「学生群」を執筆、
改造社の懸賞小説に応募するが落選
12月10日 カルモチン自殺を図り、
母たねの付き添いで
大鰐温泉で1月7日まで静養
1930(S5)年
弘前高等学校文科甲類を
76名中46番の成績で卒業
東京帝国大学文学部仏文学科に
入学のため上京する。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます