大社境内の一角に「源頼朝旗揚げの碑」碑が置かれている。
碑文には
『治承四年八月十六日 源頼朝は北条時政を招き
旗揚げの相談をし「先づ八牧判官兼隆を
夜討ちにすへし急ぎ相計へ」
時政「但し今夜は三島社の御神事にて、
国中には弓矢とる事候はず」(源平盛衰記)
との意見を入れ、十七日夜討と決定した。
十七日籐九郎盛長を奉幣使として戦捷を
祈請し(東鑑)旗揚げは成功したのである。
二日後、すなわち八月十六日報賽のため
神領寄進の下文を寄せた。
現在この下文は宝物として社蔵されている。
三嶋大社宮司原勝治撰
同権宮司渡邊清次郎書』
とある。
この史実に基づき
毎年8月恒例の「三嶋大祭り」の中日では
当時を再現した旗揚げ行列がメインイベントとして行われて
騎馬武者と家来役の子供たち
あわせて100人ほどが中心市街地を
2kmにわたり練り歩くそうだ。
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