あかない日記

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ポーランド・ビルケナウ収容所 135 「戦場のピアニスト」

2018-09-03 | ポーランド紀行

 

                    前列左が シュピルマン                   (NHK・BSから)

 

前回 NHK・BS番組で 映画『戦場のピアニスト』の
モデルとなったユダヤ系ポーランド人の
ピアニストのシュピルマンと近衛秀麿と関係があったこと
また そのシュピルマンが来日していたことも知る。

近衛秀麿との関係は 
秀麿が日本への亡命を手助けした

著名なピアニスト  レオナード・クロイツァーが
ベルリン音楽大学教授であったとき
教えたのがシュピルマンだった。

レオナード・クロイツァー(1884-1953年)は 
1933年 再来日し 近衛秀麿の求めに応じて帰独せず
1937年から亡くなるまで
東京音楽学校(現:東京芸術大学)教授をつとめた。

そして1964年「ワルシャワ・ピアノ五重奏団」として

シュピルマンを招き 公演会を開演していた。

 

ウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000年)は
1933年 ワルシャワでポーランド放送の
ピアニストとして音楽家活動を始める。

1939年 ヒトラーのポーランド侵攻により
第二次世界大戦が勃発する。


ドイツ占領下のポーランドでナチス・ドイツによる

ユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を
目の当たりにする。


家族全員が絶滅収容所送りとなり、
ワルシャワ蜂起後の廃墟を逃亡する中を、

ドイツ軍の将校 
ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉によって
命を救われた。

戦後はポーランド放送へ復職した。

1946年 戦時中の体験をまとめた
「ある都市の死」を出版し

2002年にはこれを原作とした
映画「戦場のピアニスト」が公開された。

                                (ウキペディアから)

                                                           (NHK・BSから)

 

 

(2018/08/14 朝日新聞)

ポーランドと日本との文化交流での話題がここにもあった。

 

 


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