前列左が シュピルマン (NHK・BSから)
前回 NHK・BS番組で 映画『戦場のピアニスト』の
モデルとなったユダヤ系ポーランド人の
ピアニストのシュピルマンと近衛秀麿と関係があったこと
また そのシュピルマンが来日していたことも知る。
近衛秀麿との関係は
秀麿が日本への亡命を手助けした
著名なピアニスト レオナード・クロイツァーが
ベルリン音楽大学教授であったとき
教えたのがシュピルマンだった。
レオナード・クロイツァー(1884-1953年)は
1933年 再来日し 近衛秀麿の求めに応じて帰独せず
1937年から亡くなるまで
東京音楽学校(現:東京芸術大学)教授をつとめた。
そして1964年「ワルシャワ・ピアノ五重奏団」として
シュピルマンを招き 公演会を開演していた。
ウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000年)は
1933年 ワルシャワでポーランド放送の
ピアニストとして音楽家活動を始める。
1939年 ヒトラーのポーランド侵攻により
第二次世界大戦が勃発する。
ドイツ占領下のポーランドでナチス・ドイツによる
ユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を
目の当たりにする。
家族全員が絶滅収容所送りとなり、
ワルシャワ蜂起後の廃墟を逃亡する中を、
ドイツ軍の将校
ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉によって
命を救われた。
戦後はポーランド放送へ復職した。
1946年 戦時中の体験をまとめた
「ある都市の死」を出版し
2002年にはこれを原作とした
映画「戦場のピアニスト」が公開された。
(ウキペディアから)
(NHK・BSから)
(2018/08/14 朝日新聞)
ポーランドと日本との文化交流での話題がここにもあった。
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