あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

東欧旅行(135) 聖ルカ教会

2013-04-17 | 東欧5カ国紀行

 

  広場の建物群と 少々向きを変え 小じんまりした教会 「聖ルカ教会」がある。

  他の教会は 過去の地震でかなり被害があったが 

    この教会は 耐え抜き昔のまま

     1199年 カトリック教会として建造され

      1657年セルビア正教会になっている。

  この「聖ルカ」は 新約聖書にある『ルカによる福音書』及び

    『使徒行伝』の著者で 聖人の概念を持つ全ての教派で
 
     聖人として崇敬されている。

  ということで 東京・明石町にある「聖路加国際病院」の名も

   この聖人の名からきているとのこと。

       

 

 


上田城千本桜まつり

2013-04-16 | 国内・長野

 

   今月上旬 所用があって 長野に出向いた。

  その折 丁度 「上田城千本桜まつり」が 開催されていたので

 立ち寄ってみた。 この祭りも今年で満10周年とか

   信州も 開花が例年より1週間以上早いそうだ。

  桜とお城はよく似合う 夜はライトアップされて さらにいいそうだが

   我々には 時間がなかった・・・ 


東欧旅行(134) 井戸

2013-04-16 | 東欧5カ国紀行

 

     聖ルカ広場へ行く 途中に公共の 「井戸」が残されている。

    18世紀初頭に造られて なかなかの細工が施されていて

      その造形美は芸術的な井戸になっている。

            また 周りは 椅子 テーブルが置かれて

        今は カフェのようだが

    かつては 市民の“井戸端会議”が

       大いに開かれていたことだろう。

 


東欧旅行(133) 海洋博物館

2013-04-15 | 東欧5カ国紀行

                   玄関脇には 錨や ミニ砲が置かれている。

   

   18世紀に建てられた バロック様式の「グルグリナ宮殿」だが

    今は 「海洋博物館」になっている。

    コトルは 自前の海軍を擁していたので

      その関連のコレクションを展示している。

         海図 航海具 武器などだが 

      特に 船の模型は 14世紀の帆船から

               20世紀の巡洋艦まであるそうだ。

 

 

     


東欧旅行(132) 聖トリファン大聖堂

2013-04-14 | 東欧5カ国紀行

           

               鐘楼の高さが 33mと35m 左右違う。

     ツアーはさらに 奥に進み 聖トリファン広場へ
 
    1166
年 建造のロマネスク様式のローマカトリックの聖トリファン大聖堂は

      コトルで最大かつ最も重大な宗教建築である。

       僅か18歳の時にキリスト教徒の迫害に乗じて殺された

        コトルの守護神トリファンを祀っている。


   塔以外の部分は創建当時の形を留めているが

    内部は 1979年の大震災で 大きく破壊されたが 修復されている。

      主祭壇は15世紀のもので 金細工がほどこされ

        上部の石造りの天蓋等は 
ガイドブックでは必見とあったが

         ツアーは 内部には入らなかった。

 


東欧旅行(131) プリマ宮殿

2013-04-13 | 東欧5カ国紀行

 

 

  ツアーは 市街を時計と逆廻りで 次の広場「小麦粉の広場」へ

   なぜ「小麦粉」かは そこに小麦粉の貯蔵倉庫があったからと

    武器の広場と同じく 単純な ネーミングになっている。

  その広場に 黒みかかった「プリマの宮殿」がある。

   1667年の大地震のあとに建設された

    ルネッサンス・バロック様式で


     特徴のあるアーチ形の門や 庇のバルコニーがあり


      その時代を感じさせ 緑の鎧戸が印象的であった。

 


東欧旅行(130) 武器の広場

2013-04-12 | 東欧5カ国紀行

 

 

   左側の建物はは「公爵の宮殿」 奥左は「タウンホール」 奥右は「武器庫」

     この広場は「武器の広場」と呼ばれている

    謂われはベネチア時代の武器庫があるから。


      市街には幾つかの広場があるが 一番広く

        広場は L字形で 宮殿と名のつく建物が囲んでいる。

 

     上の写真と直角側

     正面の建物は4つ星の 「ホテル・ヴァルダル」
 

           その右隣は「ビザンティの宮殿」 

               
今は 1階にはブティックや郵便局が入っている。

 


東欧旅行(129) さらし台

2013-04-11 | 東欧5カ国紀行

 

 

   前回の時計塔の下に

   写真にあるように 四角錐の形をした「さらし台」がある。

     罪人と罪状を書いた板を括りつけて 数日間 さらし者にしたようだ。

      しかし この台にどのように縛り付けたのだろうか?

      尖った先が 不気味ですね !

           中国の文化大革命時の ”三角帽子”を思い起こさせたが?!

  先に シベニクで見てきた 「恥の柱」は ”民事裁判的”な

    “見せしめ” のようなものであったが

      こちらは 少々違うようで ”刑事裁判的” なものようですね

    帰国して分かったのだが この四角錐は 時計塔の上にあったもので

      1979年の大地震の際に 落下してしまい

       この さらし台 の上に置かれているのだそうだ。

 


東欧旅行(128) 時計塔と地震

2013-04-10 | 東欧5カ国紀行

 

   城壁の正門(海の門)を潜ると そこは 「武器の広場」
    その広場に建つ 「時計塔」 が目の前に迫る。


   時計塔は コトルがベネチアの支配時代の
    1602年に建てられたもので

     ルネッサンス様式の 4層構造の建物だが 
      度重なる地震のため ピサの斜塔ならぬ

       若干 全体が西側にかたむいているそうだ。
   当初 時計は一面だけだったが
    あとから 南側にも 時計が取り付けられて
     
今は コトルのシンボルになっている。

   地震の話があったが ここでも 日本との関わりがあった。
     1979年4月の震災により 街の半分が被災し
       100人以上の死傷者がでて

         日本からも支援の手がさしのべられ
           復興の一助になっていた。 

    2011年の東日本大震災に際し
     モンテネグロ政府は コトル市の協力により 
      震災支援の一環として
       
宮城県七ヶ浜町の中学生等計 11名が
        2012年8月 12日間 モンテネグロに招待されている。

 


東欧旅行(127) 城壁

2013-04-09 | 東欧5カ国紀行

      シュクルダ川側の城壁  「聖ニコラ教会」 山の中腹には「救世聖女教会」
                                  頂上には「聖ジョバンニ要塞」が見える。

  

     城壁は コルト灣に向かって 急斜面に 

     全長4.5km 幅2~16m 最も高いところが20mあって

       ミニミニの「万里の長城」だが

        その建設には 数百年の歳月を要している。           

  城壁には 「正門」「北門」「南門」の3つの門があり

      特に「南門」は 最古のもので「グルディチ門」と呼ばれている。

      ツアーは 正門から入場

 


東欧旅行(126) コトル(世界遺産)

2013-04-08 | 東欧5カ国紀行

 

                   

   ツアーバスは コトル湾の最も奥まった港町
     中世の薫り漂う 「コトル」に到着。

   上の写真にあるように 三角の形をした町全体は
    城壁に囲まれ 様々な国に支配されてきたが自治を守って
       海運貿易によって繁栄してきた。

    市街は石畳の路地を挟んで 中世に建てられた建物が建ち並ぶが
      特に カトリックとギリシャ正教会の教会が数多くある。

    また 山に沿って築かれた城壁は
    
ヴェネツィア共和国によって 造られいるので
         ヴェネツィア文化の影響を受けた 建物が多く残されていて
           1979年 「コトルの自然と文化歴史地域」として
               世界遺産となった。 

    近年は 大型客船も港に横付けされ
      多くの観光客で賑わっている。

   


東欧旅行(125) ペラスト

2013-04-07 | 東欧5カ国紀行

        

 

  バスは 湾岸の奥へ奥へと進む。
   リサン湾とコトル湾を分かつ 
       丁度 リボンの結び目に「ペラスト」の町がある。

   
  この辺りは コトル湾の中で 最も深いところで
     町は 南斜面に位置し 
人口約500人だが 歴史は古い。
  
   中世を通じて コトル湾岸の町は 山側から
    トルコ帝国の圧迫を受けつづけていたが

      ペラストは ヴェネチア海軍の要衝として
       一度も トルコに陥落することはなかった。


  沖あいに 2つの小島が見える。
    先に見てきたスロベニアの「ブレット湖」を思い浮かぶ。

     左側は 「スベティ・ジョルジェ島」で ベネディクト会の修道院がある。
      右側の小さな島は 船乗りたちが航海から
       無事戻るたびに 岩を投げ込んでいったものが

         やがて 島になったと言い伝えられて 元々岩礁だけだった。

  そこから 聖母像のイコンが 発見されたと言われ
   周囲を埋め立てて 教会が建立された。

    島名も 「ゴスパ・オド・シュクルペラ
      (「岩礁のマドンナ」の意味) 島」という。

 


東欧旅行(124) コトル湾

2013-04-06 | 東欧5カ国紀行

                

 
   ツアーのバスは 今コトル向かって E65線を走っているが
    これが 目的地のコトルまで
一直線上では 近いが
      北欧のフィヨルドのような入り組んだ地形になっていて 

   地図上では“タツノオトシゴ“ ”リボン“にも見えるが 
     湾の淵を巡っていかなければならない。

  しかし 湾は 波が無く鏡の如く 周囲の山 空 雲を映し
   また 帆船など 大型客船も見られ

      時間はかかっても 飽きることがない。

   アドリア海から奥に向かって ヘルツェグ・ノヴィ湾
     ティヴァット湾 リサン湾とコトル湾へと続く。


   これら4つを総称して 「ボカ・コトルスカ」とも呼ばれ
    「世界で最も美しい25の湾」の一つにも 選ばれている。

    この湾岸には コトル リサン ティヴァト ペラスト
     ヘルツェグ・ノヴィ の町が

       歴史と美しい自然環境に恵まれ
          主要な観光地となっている。



東欧旅行(123)  日露戦争

2013-04-05 | 東欧5カ国紀行

  

 

  このモンテグロネの国を調べていると 面白い。

   意外や日本とも関係があった。
     なんと 両国間には “世界一長い戦争” 状態にあったとのこと。

  1904年の日露戦争で 当時ロシアと国交のあった モンテネグロは
   ロシア側の同盟国として 日本に "
宣戦布告" し参戦することとなった。

  1905年に ロシアは 日本に破れて
   米国のポーツマスで 講和条約が結ばれた。

    一方で モンテネグロと日本との間では 正式な講和条約が
      締結されることがなかった
 ということで
             国際法上は 交戦状態が続いていることに。

   2006年 モンテネグロが 独立に際し
    この100年以上も 交戦状態 にあることが問題となり
     日本の国会でも取り上げられた。

   しかし 今回の独立承認後に ロシアの公文書を調査したところ
    ロシア帝国が モンテネグロの参戦打診を 断っていたことが
     明らかとなり 独立しても 戦争状態にならないことが 確認されたとある。

   いろいろなことが 歴史上にはあるもんですね!

 


東欧旅行(122) 国歌

2013-04-04 | 東欧5カ国紀行

      
                  モンテネグロの国旗

     

   前回のモンテネグロについて もう一件 「国歌」をとりあげる。

    国歌は「五月の夜明け」だそうで なかなか粋な名がついている。 

     原曲は1863年の文献に見られる民謡で

      第二次世界大戦中 モンテネグロの指導者であった

       セクラ・ドルリェビッチは歌詞を改訂し この曲を国歌に制定した。

   YouTubeで聴いてみると 荘厳で どこか物哀しさがあるが

    少々トルコの影響もあるのか この国の歴史が感じられる。

  

    因みに  今回訪れる国の国歌は

      ・クロアチア国 「私たちの美しい故国」(1991年)

    ・スロベニア国 「祝杯」(1989年)  

       ・セルビア国 「正義の神」(1972年)

      ・ ボスニア・ヘルツェゴビナ国 (1999年)
         歌詞は無く 曲のみなので間奏曲と呼ばれている。