私が三回の出産でお世話になった助産婦さんは、そんじょそこらの病院勤務助産婦さんとはわけが違う。
←こじろうとはなひめは自宅和室で生まれています
助産婦さんというよりお産婆さん。呼ばれるとどこの家にでも自転車を飛ばして駆けつけ、赤ん坊を取り上げる…というのを若いころからずっとやってた。それこそ戦時中からなので、防空壕の中ででも(!)、双子でも逆子でもなんでもござれ。取り上げた赤ん坊の数は一万を超えるとか…
だから、その助産婦さん(以下、A先生)が抱くと、あのくにゃっとした扱いづらい新生児が魔法のようにぴたりと決まり、なんとも気持ちよさそうなのだ。まさにゴッドハンド。
はなひめの出産のとき、予定日を過ぎてもなかなか生まれないので、プラス十日のとき念のため、連携している産婦人科医のところでチェックしてもらった。お医者さんが言うには、母子ともまったく問題なく、まだ様子を見ていてよいと。「あとどのくらいで生まれそうですか」というと「少なくとも『遠い』という感触はない」と言った(その二日後に生まれた)。
ここでいう感触とは、内診をしたときの具合だろう。ところがA先生には、三回の出産(と、もちろんそれに付随して毎回の妊婦検診)の間、私はただの一度も内診をされたことがない。先生の手は、お腹の外から触っただけで、赤ん坊の姿勢はもちろんのこと、「一週間以内にお産が来るかどうか」もわかるらしかった。なぜわかるのかと聞いてみたところ、「触ったとき、張りかえしてくる感じでわかる」とのことだったが、妊婦として来ていた若い助産婦さんは「なんでそんなことがわかるのかわからない」と言っていた。
ふつうはお産の最中も、いつ全開大になったかを調べたりするのに内診をするものらしい。A先生は、産婦の様子とそれから外診で十分わかるので内診はなるべくしないと言っていた(産婦にとって不快だし、感染の危険などもないではないから)。私も、二回目のお産からは自分でわかるようになった。陣痛が来たとき、どの姿勢が楽かでわかるのだ。全開大の前は、少しお尻を後ろに突き出すような、背骨の下端がやや後ろに曲がったような姿勢が楽。そこを過ぎると今度は逆で、むしろ下端を前に曲げ気味にするのがスムーズだ(こうなったら、ほんとにすぐ生まれる)。
A先生の頭の中には、というかA先生の体全体に、妊産婦の気持ちやら体調から、安産に向かうために必要な情報を捕らえるセンサーとか、それを使って何をしたらよいかという知恵が満ちているようだった。子宮収縮剤を使わなくても、分娩を促す工夫、お産を進める工夫はとてもたくさんある。
A先生のところに検診に行くと、整体の先生が呼んであって、検診のついでに整体を受けることができた。これがまたゴッドハンドで、気持ちいいのなんのって。妊婦は腰もやられがちだし、足が疲れたりとかマイナートラブルがいろいろあるもんだから、これはありがたい。整体は無料で、A先生の持ち出し。
「でも整体するようになってから、すっかり私の仕事が楽(つまり、停滞するお産が減ったという意味)でね。やめられないわ」といっていた。
整体、ツボ押し、歩く、床ふき、そしてなにより体を冷やさないことなど。むくみや貧血や腰痛の予防、起こったらその対処というのも丁寧にしてお産を迎える。
お産が始まったあと、私が一番気に入っているのは、お風呂(水位低め、ぬるめにしたお湯)につかること。あったまるのと、浮力で自由な姿勢が取りやすいのでとても楽なのだが、これはまた、とっても進みやすいのである(その意味では要注意、進んでもいいように準備をしておくこと)。そのほかにも、ツボ押し、ぶら下がり、歩く、場合によってはいったん休憩(寝る)、いろんな手がある。それでも滞ることがあれば、様子を見ながら待つこともできる。
だから、陣痛促進剤の登場シーンはない。それを補う先生の知恵とオーラ(なんか安心してしまうという)がある。最新鋭の機械はないが、先生の職人的勘とゴッドハンドと、それから聴診器がある。もちろん、ほんとにトラブルになったときには近くの総合病院に搬送されるのだが。
病院でなく、助産院(またろうのとき)や自宅(こじろう、はなひめのとき)で産むことはリスクを増やす行為なのかと自問しても結局他人を説得できるほどの答えがあるわけではない。
いったん促進剤など現代医療の助けを借りると、その後はモニタリングが欠かせなくなって、点滴やセンサーなどでベッドにしばりつけられてしまう。そうすると、陣痛を進める工夫、あるいは快適にする工夫のほとんどは禁じ手になるから、もったいないような気がする。お産の進行を自分の手から手放したことでトラブルが生じる可能性は増えるが、しかしトラブルが起きても医療によって対処される。
自分の感触では、その総合病院に直接かかるより、A先生にお世話になるほうが全体からみて安全だったと感じているのだがそれは統計で出た答えとかではなく、自分と知人の体験談、本で読んだ知識とかを総合して考えたものだ。
そして例えばはなひめが出産するとき、自宅出産を薦めるかというと、A先生がもう引退している以上、私にはなんともいえない。A先生の欠点は、自分の持てる知恵も技術も、ぜんぶひとりで持ったまま引退してしまったことだ。21世紀にはおそらく、あのタイプの助産婦さんは存在しない。現代医療ともっと密な連携をとりながら、産婦に快適で安全な、パーソナル環境を作ってくれる助産婦さんが今後生まれるのかどうか私にはわからないけど、A先生はそっち方面に気の回る人ではなく、そういう後継者を育てようとはしなかった(できなかった)。
A先生が取り上げた、最後の子がはなひめ(2000年)。
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助産婦さんというよりお産婆さん。呼ばれるとどこの家にでも自転車を飛ばして駆けつけ、赤ん坊を取り上げる…というのを若いころからずっとやってた。それこそ戦時中からなので、防空壕の中ででも(!)、双子でも逆子でもなんでもござれ。取り上げた赤ん坊の数は一万を超えるとか…
だから、その助産婦さん(以下、A先生)が抱くと、あのくにゃっとした扱いづらい新生児が魔法のようにぴたりと決まり、なんとも気持ちよさそうなのだ。まさにゴッドハンド。
はなひめの出産のとき、予定日を過ぎてもなかなか生まれないので、プラス十日のとき念のため、連携している産婦人科医のところでチェックしてもらった。お医者さんが言うには、母子ともまったく問題なく、まだ様子を見ていてよいと。「あとどのくらいで生まれそうですか」というと「少なくとも『遠い』という感触はない」と言った(その二日後に生まれた)。
ここでいう感触とは、内診をしたときの具合だろう。ところがA先生には、三回の出産(と、もちろんそれに付随して毎回の妊婦検診)の間、私はただの一度も内診をされたことがない。先生の手は、お腹の外から触っただけで、赤ん坊の姿勢はもちろんのこと、「一週間以内にお産が来るかどうか」もわかるらしかった。なぜわかるのかと聞いてみたところ、「触ったとき、張りかえしてくる感じでわかる」とのことだったが、妊婦として来ていた若い助産婦さんは「なんでそんなことがわかるのかわからない」と言っていた。
ふつうはお産の最中も、いつ全開大になったかを調べたりするのに内診をするものらしい。A先生は、産婦の様子とそれから外診で十分わかるので内診はなるべくしないと言っていた(産婦にとって不快だし、感染の危険などもないではないから)。私も、二回目のお産からは自分でわかるようになった。陣痛が来たとき、どの姿勢が楽かでわかるのだ。全開大の前は、少しお尻を後ろに突き出すような、背骨の下端がやや後ろに曲がったような姿勢が楽。そこを過ぎると今度は逆で、むしろ下端を前に曲げ気味にするのがスムーズだ(こうなったら、ほんとにすぐ生まれる)。
A先生の頭の中には、というかA先生の体全体に、妊産婦の気持ちやら体調から、安産に向かうために必要な情報を捕らえるセンサーとか、それを使って何をしたらよいかという知恵が満ちているようだった。子宮収縮剤を使わなくても、分娩を促す工夫、お産を進める工夫はとてもたくさんある。
A先生のところに検診に行くと、整体の先生が呼んであって、検診のついでに整体を受けることができた。これがまたゴッドハンドで、気持ちいいのなんのって。妊婦は腰もやられがちだし、足が疲れたりとかマイナートラブルがいろいろあるもんだから、これはありがたい。整体は無料で、A先生の持ち出し。
「でも整体するようになってから、すっかり私の仕事が楽(つまり、停滞するお産が減ったという意味)でね。やめられないわ」といっていた。
整体、ツボ押し、歩く、床ふき、そしてなにより体を冷やさないことなど。むくみや貧血や腰痛の予防、起こったらその対処というのも丁寧にしてお産を迎える。
お産が始まったあと、私が一番気に入っているのは、お風呂(水位低め、ぬるめにしたお湯)につかること。あったまるのと、浮力で自由な姿勢が取りやすいのでとても楽なのだが、これはまた、とっても進みやすいのである(その意味では要注意、進んでもいいように準備をしておくこと)。そのほかにも、ツボ押し、ぶら下がり、歩く、場合によってはいったん休憩(寝る)、いろんな手がある。それでも滞ることがあれば、様子を見ながら待つこともできる。
だから、陣痛促進剤の登場シーンはない。それを補う先生の知恵とオーラ(なんか安心してしまうという)がある。最新鋭の機械はないが、先生の職人的勘とゴッドハンドと、それから聴診器がある。もちろん、ほんとにトラブルになったときには近くの総合病院に搬送されるのだが。
病院でなく、助産院(またろうのとき)や自宅(こじろう、はなひめのとき)で産むことはリスクを増やす行為なのかと自問しても結局他人を説得できるほどの答えがあるわけではない。
いったん促進剤など現代医療の助けを借りると、その後はモニタリングが欠かせなくなって、点滴やセンサーなどでベッドにしばりつけられてしまう。そうすると、陣痛を進める工夫、あるいは快適にする工夫のほとんどは禁じ手になるから、もったいないような気がする。お産の進行を自分の手から手放したことでトラブルが生じる可能性は増えるが、しかしトラブルが起きても医療によって対処される。
自分の感触では、その総合病院に直接かかるより、A先生にお世話になるほうが全体からみて安全だったと感じているのだがそれは統計で出た答えとかではなく、自分と知人の体験談、本で読んだ知識とかを総合して考えたものだ。
そして例えばはなひめが出産するとき、自宅出産を薦めるかというと、A先生がもう引退している以上、私にはなんともいえない。A先生の欠点は、自分の持てる知恵も技術も、ぜんぶひとりで持ったまま引退してしまったことだ。21世紀にはおそらく、あのタイプの助産婦さんは存在しない。現代医療ともっと密な連携をとりながら、産婦に快適で安全な、パーソナル環境を作ってくれる助産婦さんが今後生まれるのかどうか私にはわからないけど、A先生はそっち方面に気の回る人ではなく、そういう後継者を育てようとはしなかった(できなかった)。
A先生が取り上げた、最後の子がはなひめ(2000年)。
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