アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

手を出してはいけない曲があるのか?

2017年03月06日 | ピアノ
前に、ヤマハでピアノを習っていたときは、
「大曲の季節」(←「おおまがり」ではなく「たいきょく」とお読みください)
というマイルールがあって、一年に一回、どう考えてもそりゃ弾けないだろ的なビッグな曲に挑戦していた。

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挑戦した曲は、ショパンのバラード一番、三番、スケ2、ラヴェルの道化師の朝の歌、など(^^;;

先生は、私が何を持って行っても、びっくりしつつ(笑)受け入れて、少しでもいい感じに弾くにはどうしたらいいのか、具体的な工夫をあれこれ考えてくれた。

先生がそのことをプラスと思っていたかマイナスと思っていたかはよくわからないんだけど、楽しんではいたみたい(な気がする)。

昨日、先生が無謀曲を止めようとする意図について丁寧に説明した文章を読んで、そのことを思い出した。ここに書いてあることは、非常にもっともだと思えることで、つまり、

たとえば、コトが「体操」だったら、できもしない大技に無謀チャレンジすることのリスクは明らかです。後遺症の残る怪我でもしたらそれこそ「体操」自体続けられないし。

ピアノなら「怪我」しないし本人の自由でいいんじゃないか…とも思うけど、実際に「怪我」ってするんですよ、と言っているのがこの文章。無謀曲に取り組んで変な癖をつけてしまうと、後になってそれを直そうとしても、ほんとうにほんとうに大変で、それこそ生半可な覚悟では不可能なほど。というか、実際直し切れない。

すごくよくわかります。この文章を読んで、なるほどやっぱり先生の奨めは聞くもんだと思う方も多くいらっしゃるでしょう…

けれど私はこの文章を読んで別のことを思いました。つまり、怪我を自覚することなく、直そうともしなければ特に問題はないわけやな

実のところ、私は過去に無謀曲に取り組んだ経験によって、どんな怪我をしているのか自分では実感がなく、別にそれによって実力アップしたとか主張するつもりはないけれど、たとえば弾けなかったところについて先生のアドバイスで手の使い方を変えたら案外弾けたとか、プロがすんなり弾いたのをすらっと聞いちゃうとわからなかったところが、この曲こうなってたのか!! みたいな発見とか、いろいろ楽しかったのでプラスのイメージしかないんです。

けれど最近では無謀曲に取り組む気運はすっかり影をひそめています。これは私が心を入れ替えたからではなくて、まず第一の理由は
「人前(練習会含む)で弾くのが頻繁すぎて、無謀曲に取り組む余裕がまったくない」
ということ。無謀曲は、何か月弾いててもちゃんと弾けるようにならないので、人前で弾く用の曲としては役に立たないんですね。そういう曲に時間を割くゆとりがない。

第二の理由は
「無謀曲にわざわざチャレンジしなくても、十分楽しくなったから」
無謀曲の音がだんだん並んでいくのが楽しい、という楽しみ方をしなくても、いちおう弾けるくらいの曲で、もっとこんなふうに弾いたら?? と試すほうがよけいおもしろくなって、無謀曲をやりたいという気持ちがあまりなくなってしまった。

そして第三の理由は
「無謀曲をレッスンに持っていくとおゆき先生の耳がかわいそうだし、かといって自力ではなかなか見られないから」
です!!

というわけで宗旨替えはしてないんだけど無謀曲からは遠ざかっている私。まぁ、何をもって無謀とするかにもよりますが。(ショパンのマズルカとか十二分に難しいじゃないか、とか。でもそのへん削ってるとほんとに弾きたいもの弾けなくなっちゃうから)

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