アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

原発のお得感が消えた、そのあとに。

2012年09月12日 | 生活
ちょっと何日か経ってしまったけど、9月6日東京新聞を読んだ感想を。

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家で新聞を取らなくなって、たまに駅売りの新聞を買っているのだが、この日に東京新聞をチョイスした理由は、この記事が目に入ったから:
防衛相「原発は抑止力」 就任前 国防上の利点強調

要するに、日本はなにしろ平和憲法を持つ国だからね、もちろん原子爆弾なんか保有できないんだけれども、原発を生かして回しておけば、「いざ、作ろうと思ったときには」作れる(ような気がする)。その、作れるぞというアピールが周辺の国(どこ?)に対して(核)抑止力として働く、という考え方である。

「国の基本として原子力を持つということは、単にエネルギーの問題だけではない」(1/25講演会「北海道エナジートーク21」、主催者まとめによる)

この考え方自体は目新しいものではまったくない。そもそも日本でエネルギーの柱として原子力を使っていこうとする決断自体、効率とか環境とか経済性とか安全性とかそういったものよりまず、この「抑止力」的発想から来た部分が大きいということは、

「福島の原発事故をめぐって」山本義隆 (みすず書房)

に詳しい。

でも、これまではあくまで、前面に押し出す部分というのは、原発が安くて安全でクリーンで合理的であるという、そういう主張だったでしょう。それが崩れたあとに、結局ココで支えることにしたのかなぁという感慨が。

原子力基本法に今年新たに盛り込まれた文言の、「わが国の安全保障に資する」というのを見ても、もはや隠すつもりもないというか、むしろ積極的にその部分で国民の合意を得ようとするのだろうかと。尖閣諸島とか、そういう外国との関係からくる危機感で煽れるときなら、行けるんじゃね、みたいな。

3.11のあとに、さすがに安全だよ安いよといっても、信頼されにくいものがあるから、路線の変更は正解というかやむなしというか。

私は原発を使った上に生活が成り立つことについて、やはりかなり居心地の悪いものを感じるのだけれども、国内にあるすべての原発を今すぐ止めて、二度と使わないのが正しいと言い切るほどの材料もない。リスクやコスト(お金という意味だけでなく、環境負荷も含めて)、それと生活の快適さの兼ね合いについて、何を選びたいか一般人が判断できるほど信頼性高くまとまった情報はそこいらにない。

たとえばだけど、「自立生活サポートセンター・もやい」のニュースにもあったように、原発を支えるのに必要な危険な作業は、貧困につけこんで詳しいことを知らせずに働かせる、使い捨てるといった方法で不当に安くまかなわれている部分がある。そこをベースに計算するんじゃなくて、まともに計算したらどのくらい値段は上がるのだろうか? あるいは、将来原発を捨てるときにかかるコスト、事故の可能性とその後始末にかかるコスト、ちゃんと逃げずに計算したらば、どうなるのか?

素直にクリアに計算して、
・すぐ原発をやめるのと
・原発を徐々にやめるのと
・原発を使い続けるのと
・(あるいは)原発依存度を増やすのと
損得はどうなっているのか、知りたい。そこをテキトーに丸め込まれたうえで、なんとなく「抑止力」でいいことにしてしまうんだったら、それは「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」国のすることではない(恥)と思う。

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コメント (10)
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