まだまだ日中は暑いとは言え、朝夕はさすがに肌寒く感じるようになった今日この頃。
我が家の大型モップ犬、本名もっぷと、その飼い主兼世話役の僕は試練の時を迎えることになる。
早い話が、換毛期だ。
もっぷの名前の由来になった奴の体毛は常識外れに長く、普段からブラッシングには結構気を使うのだが、この季節はそれがごっそり抜け替わるのだ。当然ながら放っておくと抜け落ちた毛が絡まって出来たケサランパサラン擬きの毛玉が周辺を飛び交い、何も知らないご近所を『よもや謎生物が発生したのか?』などと無意味な困惑に陥れることになる。
なら夏の間だけでもサマーカットにすれば良かろうと言われそうだが、普段は大人しくて聞き分けの良いもっぷが殆ど唯一、そして強硬に抵抗するのが体毛に鋏を入れられることなのだ。何故かは知らないが、どうやらもっぷはモップのような外見のままでいたいらしいと判断した僕は地道にブラッシングを欠かさなくなった訳だが、この時期はブラッシングの度に、纏めたらもっぷ一匹分にはなりそうな量の抜け毛を櫛から外しながら、思わず虚空に視線を向けて草競馬など口ずさんでしまうのだった。
そんなある日、いつものように僕がブラッシングした抜け毛を櫛から外していると、何故か母さんがバケツを持ってやって来た。
「コレからもっぷの抜けた毛は全部取っておいてね」
「…… まとめて燃えるゴミの日に出すのかな?」
「違うわよ、最近知ったんだけど、犬の毛ってその気になれば毛糸を紡げるらしいじゃない。もっぷなの抜け毛ならワンシーズン分でマフラーくらい余裕で編めるわよ、きっと」
「衛生面に問題はないの、それ」
「ちゃんと煮沸消毒して天日干しするに決まってるじゃない。もちろん天然毛だから防虫剤と一緒に保存するし」
はあ左様でございますかと、僕は言われたとおりにもっぷの抜け毛をバケツに放り込んだ。うちの母さんは、たまにこういうドコからか聞いてきた判らない妙なことを唐突に始める人なので、まあ好きにしてくれと思う。
「ところで、もっぷの毛糸で編んだマフラーは母さんがするのかな?」
ハンドクラフトが好きな人にはありがちな、『作ったら後はどうでも良い』という気質そのままの母さんだ。きっと誰かに押しつけ…… もとい、プレゼントするつもりなのだろう。
「アンタがしたくないとしても安心しなさい、もっぷのファンは結構多いのよ。欲しがる人には事欠かないわ」
「そうなの?」
「アンタが何も知らないだけよ、飼い主の癖に」
微妙に痛い一言を残してその場を去っていく母さんの背中を無言で見送った僕は、気を取り直すと再びもっぷの毛に櫛を入れ、抜けた毛をバケツに放り込む作業に戻った。やがて顔の前に垂れている毛を持ち上げるようにして、普段は隠れている円らな黒い目を見据えながら思わず呟いてしまう。
「お前、まだ何か僕に隠していることがあるだろう」
『ひゃん』
「あるんだな」
『ひゃん』
我が家の大型モップ犬、本名もっぷと、その飼い主兼世話役の僕は試練の時を迎えることになる。
早い話が、換毛期だ。
もっぷの名前の由来になった奴の体毛は常識外れに長く、普段からブラッシングには結構気を使うのだが、この季節はそれがごっそり抜け替わるのだ。当然ながら放っておくと抜け落ちた毛が絡まって出来たケサランパサラン擬きの毛玉が周辺を飛び交い、何も知らないご近所を『よもや謎生物が発生したのか?』などと無意味な困惑に陥れることになる。
なら夏の間だけでもサマーカットにすれば良かろうと言われそうだが、普段は大人しくて聞き分けの良いもっぷが殆ど唯一、そして強硬に抵抗するのが体毛に鋏を入れられることなのだ。何故かは知らないが、どうやらもっぷはモップのような外見のままでいたいらしいと判断した僕は地道にブラッシングを欠かさなくなった訳だが、この時期はブラッシングの度に、纏めたらもっぷ一匹分にはなりそうな量の抜け毛を櫛から外しながら、思わず虚空に視線を向けて草競馬など口ずさんでしまうのだった。
そんなある日、いつものように僕がブラッシングした抜け毛を櫛から外していると、何故か母さんがバケツを持ってやって来た。
「コレからもっぷの抜けた毛は全部取っておいてね」
「…… まとめて燃えるゴミの日に出すのかな?」
「違うわよ、最近知ったんだけど、犬の毛ってその気になれば毛糸を紡げるらしいじゃない。もっぷなの抜け毛ならワンシーズン分でマフラーくらい余裕で編めるわよ、きっと」
「衛生面に問題はないの、それ」
「ちゃんと煮沸消毒して天日干しするに決まってるじゃない。もちろん天然毛だから防虫剤と一緒に保存するし」
はあ左様でございますかと、僕は言われたとおりにもっぷの抜け毛をバケツに放り込んだ。うちの母さんは、たまにこういうドコからか聞いてきた判らない妙なことを唐突に始める人なので、まあ好きにしてくれと思う。
「ところで、もっぷの毛糸で編んだマフラーは母さんがするのかな?」
ハンドクラフトが好きな人にはありがちな、『作ったら後はどうでも良い』という気質そのままの母さんだ。きっと誰かに押しつけ…… もとい、プレゼントするつもりなのだろう。
「アンタがしたくないとしても安心しなさい、もっぷのファンは結構多いのよ。欲しがる人には事欠かないわ」
「そうなの?」
「アンタが何も知らないだけよ、飼い主の癖に」
微妙に痛い一言を残してその場を去っていく母さんの背中を無言で見送った僕は、気を取り直すと再びもっぷの毛に櫛を入れ、抜けた毛をバケツに放り込む作業に戻った。やがて顔の前に垂れている毛を持ち上げるようにして、普段は隠れている円らな黒い目を見据えながら思わず呟いてしまう。
「お前、まだ何か僕に隠していることがあるだろう」
『ひゃん』
「あるんだな」
『ひゃん』