羽人なら空を飛ぶのは怖くないの?と彼女は聞いてきて、僕は言葉に詰まった。
僕のような背に羽を持って生まれてきたものにとって、空を飛ぶのは地上人が地を駆けるのと変わりない普通のことだと思っているからだが、それでも確かに事故がないわけではない。高さによっては助からないし、助かっても羽の損傷次第では一生自力で飛べなくなる場合だってある。
だから、僕は正直に話すことにした。
「一度、もう助からないと思ったことはあるよ」
まだ小さかった頃、父さんの言いつけを聞かずに無謀なほどの高みを目指した挙げ句、乱れた気流を読み切れずに巻き込まれ、ろくに羽ばたけないまま真っ逆さまに大地に向かって落下していった時は、このまま叩き付けられて終わるのだと覚悟した。
結局は本当にぎりぎりのところで体勢を立て直して事なきを得たのだが、事態に気付いた父さんから大目玉を食らっている最中に僕が考えていたのは、落下の恐怖ではなく、助かったことに対する安堵ですらなく、逆さまになった自分の足元に広がる信じられないくらいに澄んだ蒼空と、綺麗に列を作ってその蒼空を滑るように飛ぶ人々の群れだった。
やや老人の数が多いように感じた列に並ぶのは全て羽人で、僕のような蜻蛉族の他にも蝶族、蜂族、それに普段はあまり馴染みのない甲虫族もいた。
不思議なくらい穏やかな表情で殆ど羽ばたきもせずに進んでいく人々の列は、空の果てでも目指しているかのように高く高く続いていて、先頭がどうなっているかは霞んで見えない。何とか目を凝らして列の先頭を見極めようとした、その時。
『オマエモイコウ』
耳元で、と言うよりは耳の後ろ側から響く軋るような声。ソイツはどうやら僕の背中にへばり付き、羽根の根元に絡みついているらしく、僕が飛べなくなったのもそのせいらしかった。
「僕は行かない」
ソイツに出会っても慌ててはいけない。姿さえ見なければ、そしてソイツの言うことに耳を貸したり同意したりしなければ命を奪われることはないのだと、僕は知っていた。
『オマエハトベナイ』
「僕は飛べる」
思い通りに行かない獲物に対して苛立ちが混じったソイツの声が更に続く。
『オマエハオチル』
「僕は落ちない」
更に答えると、ソイツは錆びた機械が立てるような軋んだ笑い声を上げた。
『オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ…… ダカラ、オマエハ…… 』
そこまでが限界だったのか、ソイツは風に引き剥がされるように離れていき、僕はようやく自由になった羽で体勢を立て直したのだった。
「まあ、どんなことにでも油断は禁物だし、危機に陥ったときは何より落ち着くことが肝心だってことさ」
そう話を締めくくる僕に、彼女は少しだけ不気味そうに訊ねてくる。
「でも、ソイツってのは死に神か何かなの?」
「そんな高級なものじゃないよ、邪気が中途半端に形を取った、まあ低級な妖さ」
だが、そんな妖が最後に告げたことを、僕は未だに忘れられないでいる。
オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ
ダカラ、オマエハ、アソコニハモウイケナイ
恐らくは全ての羽人が最期に行くであろう場所に、僕はもう一度辿り着けるのだろうか。
僕のような背に羽を持って生まれてきたものにとって、空を飛ぶのは地上人が地を駆けるのと変わりない普通のことだと思っているからだが、それでも確かに事故がないわけではない。高さによっては助からないし、助かっても羽の損傷次第では一生自力で飛べなくなる場合だってある。
だから、僕は正直に話すことにした。
「一度、もう助からないと思ったことはあるよ」
まだ小さかった頃、父さんの言いつけを聞かずに無謀なほどの高みを目指した挙げ句、乱れた気流を読み切れずに巻き込まれ、ろくに羽ばたけないまま真っ逆さまに大地に向かって落下していった時は、このまま叩き付けられて終わるのだと覚悟した。
結局は本当にぎりぎりのところで体勢を立て直して事なきを得たのだが、事態に気付いた父さんから大目玉を食らっている最中に僕が考えていたのは、落下の恐怖ではなく、助かったことに対する安堵ですらなく、逆さまになった自分の足元に広がる信じられないくらいに澄んだ蒼空と、綺麗に列を作ってその蒼空を滑るように飛ぶ人々の群れだった。
やや老人の数が多いように感じた列に並ぶのは全て羽人で、僕のような蜻蛉族の他にも蝶族、蜂族、それに普段はあまり馴染みのない甲虫族もいた。
不思議なくらい穏やかな表情で殆ど羽ばたきもせずに進んでいく人々の列は、空の果てでも目指しているかのように高く高く続いていて、先頭がどうなっているかは霞んで見えない。何とか目を凝らして列の先頭を見極めようとした、その時。
『オマエモイコウ』
耳元で、と言うよりは耳の後ろ側から響く軋るような声。ソイツはどうやら僕の背中にへばり付き、羽根の根元に絡みついているらしく、僕が飛べなくなったのもそのせいらしかった。
「僕は行かない」
ソイツに出会っても慌ててはいけない。姿さえ見なければ、そしてソイツの言うことに耳を貸したり同意したりしなければ命を奪われることはないのだと、僕は知っていた。
『オマエハトベナイ』
「僕は飛べる」
思い通りに行かない獲物に対して苛立ちが混じったソイツの声が更に続く。
『オマエハオチル』
「僕は落ちない」
更に答えると、ソイツは錆びた機械が立てるような軋んだ笑い声を上げた。
『オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ…… ダカラ、オマエハ…… 』
そこまでが限界だったのか、ソイツは風に引き剥がされるように離れていき、僕はようやく自由になった羽で体勢を立て直したのだった。
「まあ、どんなことにでも油断は禁物だし、危機に陥ったときは何より落ち着くことが肝心だってことさ」
そう話を締めくくる僕に、彼女は少しだけ不気味そうに訊ねてくる。
「でも、ソイツってのは死に神か何かなの?」
「そんな高級なものじゃないよ、邪気が中途半端に形を取った、まあ低級な妖さ」
だが、そんな妖が最後に告げたことを、僕は未だに忘れられないでいる。
オマエハイカナイ、オマエハトベル、オマエハオチナイ
ダカラ、オマエハ、アソコニハモウイケナイ
恐らくは全ての羽人が最期に行くであろう場所に、僕はもう一度辿り着けるのだろうか。