この犬は、お前の兄さんとあの子を守って怪我したんだ。
だから、あの子が自分の家に帰れるまでお前にこの犬を預ける。
二人の事は心配だろうが、お前は此処でお前の役割を果たして欲しい。
「……出来るかい?」
お爺ちゃんの問いかけに、私は力強くうなずいてみせた。
「はい、ご飯よ」
エサ皿に持ったドッグフードを置くと、ゴスペルちゃんは犬用ベッドに横たわったまま、それでも元気よく食事を始める。体が大きくて怖い顔をしている割にゴスペルちゃんは大人しく、トイレの始末以外はそれほど手がかからない良い子だ。二人の事を心配していない訳では無いが、こうやって何かの世話をしていると確かに気が紛れるし、それに。
小さい頃からずっと病院で暮らしていたお兄ちゃんは、わたしが会いに行くといつも笑っていた。だから、わたしはお兄ちゃんが普段どれだけ苦しい思いをしていたのか全然気付くことが出来なかった。だから、ある日たまたまお兄ちゃんが発作を起こして苦しんでいるのに出くわして自分も狂乱状態に陥り、それ以来怖くてお兄ちゃんの見舞いに、と言うよりは病院そのものに行けなくなった。今回、お爺ちゃん達がわたしを病院に連れて行こうとしなかったのもそれが理由だろう。でも。
「ねえ、たしか、あなたの名前は『神様の言葉』って意味なのよね」
ゴスペルちゃんが嫌がらないように気を付けてその体にブラシを掛けてやりながら、わたしは呟く。
「それなら、お願いだからお兄ちゃん達を助けて……わたしが出来ることだったら何でもするわ、ずっとご飯を作ってあげるし、ブラシだって毎日掛けてあげるから……」
お兄ちゃんは最近ようやく健康になって友達も出来て、毎日が嬉しそうだった。その友達と行き違いで仲違いしてしまっても『ぜったい仲直りするんだ』って何度も頑張っていた。だからもう、わたしはお兄ちゃんのことを心配したくない。大丈夫だと信じたい。そう信じる事が出来たら、わたしはきっと病院に行けるようになるだろう。そしてずっと昔から誓っていたようにお医者さんになって、お兄ちゃんのような病気の子供を助けるのだ。だから。
「ねえ、お願いだから!」
あふれ出る涙を抑える事も出来ないまま、わたしはブラシを投げ捨ててゴスペルちゃんの体にしがみつく。その時。
ゴスペルちゃんの体から『何か』がするりと抜け出してゴスペルちゃんに良く似た、でも明らかにゴスペルちゃんとは違う狼犬の姿になった。
「……あなたは?」
その狼犬は、呆然と呟くわたしの頬を一舐めすると殆ど一動作で壁に向かって跳躍し、そのまま壁をすり抜けて走り去っていった。思わず抱きしめたゴスペルちゃんをしげしげと見詰めるが、ゴスペルちゃん自身も何が何だか分かっていない様子だった。けれど。
まるでママのように優しい瞳をしたあの狼犬の正体は分からないけれど、これで二人は帰ってくるのだと、その瞬間にわたしは理解していた。
外伝・乙女の祈り・終