子供の頃は本に書かれた世界と現実との境界が曖昧で、すっぽりと入り込んだ本の世界で登場人物に案内されながら行ったことのない場所で見たことのない冒険を何度も繰り広げたものだ。だから宇宙船なんかなくても宇宙を探検できる子供の時期に本を読むのは、実はとても大切なことなのだ。
子供の頃は本に書かれた世界と現実との境界が曖昧で、すっぽりと入り込んだ本の世界で登場人物に案内されながら行ったことのない場所で見たことのない冒険を何度も繰り広げたものだ。だから宇宙船なんかなくても宇宙を探検できる子供の時期に本を読むのは、実はとても大切なことなのだ。
生者達の忘却が故人の真なる死を意味するのであれば、故人の縁者がせめてその「死」を一刻でも遅らせようと縁(よすが)を残すのも当然だろう。物語の英雄のように華やかでは無いにしても、故人を語り継ぐ彼らのささやかな記憶と伝承が失われない限り、故人もまた彼らと共に在る存在なのだ。
遠くに行く兄の安全と健康を祈って私が自分の髪で編んだお守りは、火事で亡くなったという兄のただ一つの遺品として見知らぬ相手から届けられた。結局兄が亡くなった時の詳しい状況は判らなかったが、兄が最期まで私が渡したお守りを大切にしてくれていた事だけは本当だと告げられたし、ほつれの殆ど見られないお守りの状態からも判った。
蘭の花には知られている限り毒は無く食用や薬用になるものも数多いと本で読んだら、それを真に受けた馬鹿がスズランを口にして死にかけた。あんな清楚な外見で、しかもランの名前が付いているから大丈夫だと思ったという馬鹿は少しばかり見かけで判断する恐ろしさを知って欲しい。
コレには毒が入っているの、もちろん人を殺す程の毒じゃないけどね。彼女はいつもそんな風に笑って香水瓶の香りをうなじに付ける。その仕草も香りもひどく蠱惑的で、実は本当に香水瓶の中には毒が入っているのではないかと思う程だったが、結局その毒が殺したのは彼女自身だった。
その花瓶の持ち主だった気難しい祖母は似合う花が思い付かないと言って常に空の花瓶を飾っていて、それを曇り一つ無い状態まで綺麗に磨くのは母の役目だった。やがて祖母が亡くなると、母はその花瓶に大輪の白百合を何本も飾るようになり、周囲は頭が痛くなる程の香りで溢れ返った。
強い色彩の華麗な花器に野の花を活けるのには細心の注意が必要だ。野の花が本来持つ可憐だが控えめな雰囲気をものの見事に損ねるからだ。田舎町で見初めた妻を着飾らせて夜会に連れ出した彼はようかくその事に気付いたが、多分その時には二人にとって全てが既に遅すぎたのだろう。
熟したイチゴのような色彩の菓子器を見ていた時に友人がぽつりと、うちの庭先には木苺の茂みがあって季節になると通りすがりの小学生がつまみ食いをするんだが、ブラックベリーの未熟な赤い実を知らずに食べて渋さに悶絶する子が必ず出るんだよなと物騒極まりないことを呟いた。
昔から疑問だったのでキリスト教の護符は異教徒にも有効なのかと友人に尋ねたところ、相性の問題だと答えが返ってきた。第一、同じキリスト教を信じるもの同士が戦争中なら聖人はどっちの味方をしてくれるのが「正しい」と思う?と畳み掛けられ、確かに相性は大切だと思った。
「金属製携帯用カップとは優雅なものを手に入れたな。 で、うがいにでも使うのか?」
「お前が百均で買ってきたシリコン製折り畳みカップと一緒にするな」
「以前、バカラだかラリックだかを小学生に渡してうがいを促す女子高生を漫画で見たが」
「ネタが古いぞ」