あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

旧司法大臣官舎大食事室が今

2009年06月15日 07時19分51秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
法務省の出入り口のガードマンにギャラリーの場所を尋ねたら、「連絡する」って言われた。
どゆこと?
見てると、ガードの人はトランシーバーを取り出して、どこかへ連絡。建物入口のガードマンへ「ギャラリー見学者2名来場」とか言ってます。
連絡が終わり、私達はガードマンの言う通り、言われた進路で入口へ。
と、連絡を受けたガードマンが待っていて、彼の後についてギャラリーまで案内されました。
つ~ま~り~。
ギャラリー以外は見えない。立ち入れない。
ざ、残念。
まあ、昨今変な人も多いから仕様がないか~~
でも物は全て考えよう。
なんか、VIPの気分が味わえた
だって、私の前にガードマン。ガードマンについて歩くなんて、そうは出来ないもんね~
さて、ギャラリーはかつての司法大臣官舎大食事室とそれに続くれんが壁の残る部屋となってます。
上の画像は旧司法大臣官舎大食堂を復原した現在の法務資料の展示室です。
これはパンフレットの写真を拡大しました。
内部は撮影禁止なのね。
今時、裁判制度のパネルがいろいろあって楽しくわかりやすく学べるコーナーがよいです。
裁判員になる確率は5000人に一人とか。(私が住んでる神奈川県の場合、3000人に一人だったような…)
支払われる日当は上限1万円とか。(日当、出るんだあ…)
審理日数は大概3日以内とか。
他にも具体的に知りたかったあれこれがよくわかりました。
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法務省赤レンガ物語

2009年06月15日 06時15分52秒 | 皇居・丸の内・永田町・九段下
昨日は更新出来ませんでした。
訳はね、土曜の夜、ネットに接続出来なくて。
てっきり「いつものマンションでみんな使ってるのね」と思ったら違ってました。
日曜の早朝にもネットに接続出来ない。やっぱ変だ!とダンナに訴えた所、ダンナはあれこれ点検してネット接続の機器を借りてる会社へ電話。互いに「おかしいね」「どこも悪くないんですよね」と長電話の果てに「もしかして…」と理由が判明しました。
料金を払い忘れてたんですよ。
速攻振込ましたが、復帰まで時間がかかって結局、ブログの更新をあきためたのです。
や~、漫画みたいなこと、あるのね。ホントに。
さて、上の画像は法務省の赤れんが棟です。
向かいは警視庁。
先月の5月31日に「赤れんがまつり」が開催されました。
赤れんがには歴史があります。
パンフレットによりますと、
『明治政府は、諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体制を整えるため、明治19年(1886)に西洋式の建築による官庁集中計画に着手しました。そして、その計画案の策定のためにドイツの高名な建築家で、共同の建築事務所を開いていたエンデとベックマンを招聘しました。
まず、ベックマンが来日し、大規模な官庁集中計画案を作成しましたが、その帰国後、完成案を持ってエンデが来日しました。エンデは、当時の政治状況や反対者の意見を考慮して、ベックマン案を縮小し、日比谷に諸官庁を建てる案を作成しました。
実際に建てられたのは、司法省と大審院(後の最高裁判所)の建物でした。司法省の庁舎(赤れんが棟)は明治21年に着工され、同28年に竣工しました。赤れんが棟は関東大震災でほとんど被害を受けませんでしたが、昭和20年の戦災により、れんが壁とれんが床を残して焼失しました。戦後、同25年までに改修され、その後、法務省の本館として使用されてきました。そして平成3年に復原改修工事が始められ、平成6年に創建当時の姿が復原されました。
なお、赤れんが棟の外観は、平成6年12月に国の重要文化財に指定されています』
へえ~。
なんか、東京駅に似てるなあ。
あれ?
ギャラリーがある。
入口は…。
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