あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

没にした写真

2009年06月24日 11時45分18秒 | 漫画の日々
今、3回目の表紙写真の出来上がり待ち。
なんで?昨日写真出しに行ったって言ってたよね??
ええ、そうなんですよ。
1回目はなんかサイズが気に入らなくて。
2回目は別の写真をA5サイズで焼き増しにかけたら、なんか中央部が空き過ぎてて気に入らなくて。
3回目は始めにチョイスしたのをA5サイズで出来上がり待ち。なのです。
写真加工ソフトはあるんだけどね。
私の写真はネガフィルム。&プリンターがレーザーブリンターなので、再生力に限界があるのね。
なので、写真屋で焼き増した写真あれこれ貼り合わせてます。
いつも旅行記は出来るだけカラーページをつけてましたが、これ、販売価格がどうしても割高になるのです。
なので今回はカラーページはなしの方向で。でもどうしてもカラーページが欲しい人には既に創ってる「平遥写真集」を購入してもらう方向で。
そんなこんなな平遥古城の旅漫画です。となると、表紙はどうしてもこだわりたい。
んで、3回目のプリントに出してるの。
んで、今回使った画像は、没にした裏表紙のコラージュ部分です。
色彩は豊だったんだけど、なんか、出来上がったら今一派手さに欠ける。
せっかく焼き増ししたので、せめて画像をアップしてみた。
私が平遥で3連泊したホテルの中庭の門の一部をズームアップしてみた画像です。
よ~く見ると、軒部分に漢字を装飾造形してあるのがわかりますか?
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灌漑用水路と緑が戻った地域

2009年06月24日 05時56分43秒 | 雑記
上の画像がペシャワール会と現地の百姓が一丸となって造った灌漑用水路の全貌です。
マルワリード用水路と言います。
灌漑用水路を造り始めたのは2003年3月19日。米軍のイラク侵攻の前日のこと。
その頃、アフガニスタンでは空前の大旱魃で砂漠化が進行していた。かつては豊かな穀倉地帯が、農民達は畑を遺棄し廃村となる。人々はパキスタンで難民へと変っていて。
こんな時に旧タリバン政権と米英の衝突が始まったのが1998年。
遂に2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロが発生。政治の混乱は収まらない。
平和の国日本には近年のアフガニスタンのニュースは軍事衝突の話かアヘンケシ栽培の報道されないけど、アフガニスタンは本来農業立国なのだ。水さえあれば、本来の姿に戻るかもしれない。
希望の星であるこの灌漑用水路は全長約23、6キロメートル。灌漑面積約9700ヘクタール推定。水路沿いには200,380本を植樹済み。
なにより、現地の百姓が建設にかかわっているので既に彼らは技術を習得済みで、今後の維持管理も彼らの手で可能なのが素晴らしい。
ちなみに、灌漑用水路建設には6年間で延べ55万人が作業に従事。支払われた日当は貴重な現金収入となりアフガニスタンの人々の生活保障となったのも素晴らしい。
作業員は今では熟練工並みの技術を習得してるとか。技術があれば仕事になるものね。

ちなみに、ペシャワール会は灌漑用水路と並行し、ムスリムの心の拠り所、マドラサも建設しました。
日本人はマドラサ=テロリストの養成所と誤解しがちですが、違います。
マドラサは学校なのです。ムスリムは本来平和的な暮らしをしてて、親がいなくても貧しくても子どもはマドラサで学べる仕組みになってました。ただ、彼らは自分たちの宗教を攻撃されると立ち向かう。その側面が悪い方向でイメージ定着しちゃったのがイカンのだと思う。ムスリムをアメリカの敵にした数々のハリウッド映画の罪だと思う。
ムスリムの国はいくつか旅しましたが、どこものどかな平和な街でしたよ。日本の繁華街の方がなんぼか怖い。
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ペシャワール会の業績

2009年06月24日 05時36分47秒 | 雑記
昨年、ペシャワール会に所属する伊藤和也さんが活動先のアフガニスタンで亡くなったのを覚えてますか?
ペシャワール会については2008年9月12日の記事に掲載しましたが、簡単に発会目的を書くと「ペシャワール会はもともと中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で造られました」主に寄付で運営されています。

今回、ペシャワール会に寄付し続けている友人が「ペシャワール会報の号外が出たの」とコピーして送ってくれました。
上の画像は、ペシャワール会が6年かけて造った感慨用水路で蘇った緑です。
昨年の事件当時まだ中ばだった感慨用水路がようやく計画の最終地点まで到達して、記念の号外が出ました。
復興とは何だろう?
そこに住む人に笑顔が戻ったら復興だと思う。
灌漑用水路は現地の百姓とペシャワール会の日本人が一体となり出来た。
アフガニスタンは近年どんどん砂漠化していて、それまでは水が村々の争いの原因になっていたのが、感慨用水路が出来たことで二つの村は和解したらしい。
軍隊では復興はしない。
人を派遣してもダメ。
そこに住む農民が笑顔で自信を持って暮らせるようにならないとダメだと思った。
この緑の画像は平和の復興の象徴だと思った。
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