あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

明日鎌倉へ行くならここ!

2011年05月20日 11時28分07秒 | 鎌倉
先日計画を立てた鎌倉散歩へ昨日出かけて来ました!
今週末に鎌倉訪問の計画を経ててる方に、気になるお花の咲き具合を画像で確認して下さい。
まずはトップ画像。こちらは大船駅から徒歩約10分程にある『龍宝寺』さんです。
以前ゴールデンウィークに龍宝寺さんを訪問した時はまだ咲いてなかったので、見頃にぜひと思ったので、友人との待ち合わせを大船駅前に指定したのでした。



お寺に南欧風味のお花畑がある風景~素敵でしょ?
お花が好きな方にはこの近くにフラワーセンター大船植物園(入園料350円)もあります。こちらでは現在、しゃくやくの他にバラが見頃です。私達はパスしましたが、綺麗なお花を目当てにフラワーセンターを目指す大勢のお客さんとすれ違いました。

大船駅から横須賀線の北鎌倉駅へ移動。そこで東慶寺へ移動。丁度見頃の花の谷間に当ってしまった~。まもなく、しょうぶ苑や岩タバコや岩がらみが見頃を迎えます。
北鎌倉から鎌倉方面へ。

浄智寺さんの左脇にある道を登るとそこが<真葛岡&裏大仏ハイキングコース>です。
看板発見。「あと5分歩くと、アスファルトの道は終了。そこから階段。しばらく行くと、土の道を上がったり下がったりの道になります」

鎌倉は観光地です。でもおしゃれ着で気軽にハイキングコースを選択すると後悔します。友人に「山登り用の靴を履いて来て」と前持って頼んでたのです。ハイキングコースでは今流行の山ガールの彼女達とすれ違いました。山歩きに自信のあるおじさんも、画像のような足元にうっかり転けてました!ハイキングコースはよそいき着も避けたほうがいいですね。
でも新緑は期待通り素晴らしいまるい木漏れ日が地面で踊り、ウグイスなどの野鳥の声と樹々を渡って行く風の音が楽しいんですよ。
あ…。
紫外線防止の為に帽子をかぶって坂を上ってましたらば、私ってば「ガン」と枝におでこをぶつけてしまいました…。今朝もまだぶつけたでこに触ると痛いです。たんこぶにならなかったのが幸い。鎌倉のハイキングコースはなかなかですので、足元だけでなくコース内に侵入している枝にもお気をつけ下さい。
お昼を源氏山公園でいただき、銭洗い弁天でお金を洗い、寄道したのは佐助稲荷。

こちらへ足を伸ばす観光客は少ない。でも新緑は綺麗だし、リスはうろうろしてるし。日本昔話の風景を静かな中で楽しむことが出来ます。
そして昨日、5月19日にバラ苑が7分咲きだった鎌倉文学館(入園料400円)。
こちらのバラ苑は鎌倉ゆかりのバラや日本名のついてるバラがいくつもあるのです。んでもって、最近古い洋館巡りをしてる私にはバラと洋館の一挙両得でたまらんシュチュエーションでした

今週末に鎌倉へと考えてる皆様、参考になったでしょうか?
あ。
つつじのシーズンはもう完璧に終ってました。つつじの名所へでかけても、花はもう残っていません。
コメント (2)
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伊達家の門

2011年05月20日 04時03分14秒 | レトロ建築
伊達男という言葉。イメージすると金をかけた派手なイケメン。
この門もそう。

門の由来は「旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。<起り(むくり)屋根>の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅造りで、門柱の上に架けられた冠木には、宇和島藩伊達家の木彫の家紋が施されています。/港区白金2丁目(大正期)
年月が建って、既に門の装飾が何色だったのか判然としません。今では古い門で感動も薄いけど、生まれたての門の色を見てみたかったなあ…。でも門を正面から見ると、かつてはさぞ豪華だっただろうとうかがわせる装飾が残ってます。

姫路城で屋根瓦は普請もしくは修繕した大名の紋を使用していたと知ったので、伊達家の門の瓦もそうなのかしら?と写してみた。
…どうなんでしょうか?ぶめちゃん、正解かわかる??

ついでに…。

高橋是清邸の左手に続きで建つ建物です。これってば、てっきり是清さんの屋敷で立ち入り禁止部分だと思っていたのですが、どうも別物だったようです。
西川家別邸 北多摩屈指の製紙会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てたものです。多摩地域の養蚕・製紙業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、よく吟味された部材が使われています。/昭島市中神町二町目 1922年(大正11)

んでもって、画像も撮影しなかった「会水庵」。てっきり高橋是清邸へ車いすで入る人用の入口だと思い込み、撮影はおろか見学もしなかった場所。でもそこそこ由緒ある場所でした。
「宗偏流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。1957年(昭和32)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。本畳3枚と台目畳1枚からなる三畳台目の小間の茶室です。/杉並区西荻北5丁目(大正期頃)
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