あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

非常事態ですっ

2011年11月08日 11時56分54秒 | 紅葉散歩
一昨日の夜は雨。でも翌朝にはよい天気だったので、友人を誘って江ノ島へ散歩しに行きました。
トップ画像は江ノ島のてっぺんにあるサムエル•コッキング苑です。ここは明治18年に完成したイギリスの貿易商だったサムエル•コッキングさんが造園した植物園です。かつては邸宅の他、温室も完備してました。
ここで注目っ!!
なんかおかしいと思いませんか?
おかしいんですっ!!
植物の葉っぱがなかったり、茶色だったりしてます。コレ、決して紅葉してるんじゃありませんっ。右下に見える白っぽい固まりは、イチョウ並木です。本来なら11月の初旬だからボチボチ黄色に染まろうか?というタイミングです。
と~こ~ろ~が~っ!!
イチョウには葉っぱが残っていません。
サムエル•コックング苑だけがこうなのか?と思われた方もいますよね?
違うんですよ。

こちらはサムエル•コッキング苑から少し下った所にある江島神社(中津宮)にあるイチョウの木です。このイチョウにも葉っぱが残ってません。
なんでやねんっ!!
サムエル•コッキング苑の塔に上がるチケット売り場にいたお兄さんに尋ねてみる。
私「なんか…、ヤバい感じの木があるんですが、アレどうしたんですか?」
お兄さん「9月の台風でやられましたっ!!」
私「やっぱりか~…
あの日、都内では電車が全て止まり、街路樹が倒れてタクシーを直撃しました。

上の画像は先月コスモス畑を見物に行った昭和記念公園内で倒れていた木の一部です。画像撮影したのはこの木だけですが、公園内にあちこちで大きな木が倒れてました。あの時はもっぺん植え直したら、根付くんじゃないの~?とのんきに思ったものですが…。江ノ島は台風の風にようダメージ以上に海の潮を巻き上げた風の直撃による塩害が酷いんですねっ。
そこでもう一度トップ画像を見ていただきたい。
青い矢印あるよね。ここを下から見るとこんな感じです。

注目して欲しいのは中央で一番高い木です。
この木は実はサムエル•コッキングさんが植たもの。つまり、植物園が出来た時は1886年だから100年以上前からここにある木です。それだけでも素晴らしいんですが、実はこれ太平洋原産で、なおかつ原産地の島では既に絶滅してしまった木なのです。ちなみに原産地は太平洋のニューカレドニア島とかノーフォーク島。乱獲で絶滅しました。
ちなみにコレ、藤沢市の指定天然記念物。木の名前を和名でシマナンヨウスギと言います。
このままでは枯れてしまうやもしれん…。木は枯れてしまっても、植物というのは挿し木で増やせるよね?今のうちに手を打たねばならんのではないでしょうか??
ちなみに、この木を間近で見上げるとこうでした。

今なら、健康な挿し木の枝を採取出来るのではないでしょうか?このまま放置してもいいのか??
鎌倉の鶴岡八幡宮のご神木のイチョウが強風で倒れた時はTV報道が何度となくされ、植物学の有名な人やもう心ある人がよってたかって知恵を絞って、ご神木を再生するのに奔走しましたが、サムエル•コッキング苑はどうなっているのか??
トップ画像を見る限り、なんの手当もされてないようで悲しいです。つーか、コレ、入園料200円。塔に上がるのに更に300円を徴収してるんだが、普通ならこの状態の植物園を見せられたら客は「金返せっ」って暴れるよね。…なんで閉園して植物の再生育成しないんだろ?
お金?金の問題なの??
でも、再生の為の募金箱とかなかったんですよねえ~。
サムエル•コッキング苑はどこが管理運営してるんだろうか?サムエル•コッキング苑のホームページのお問い合わせ先は江の電の観光課なんだが、気になるなあ~…。なんか対策してるんですかね?せめて樹木医には見せて欲しいけど。このまま放置していたら、ヤバいと思うんだが…。台風は天災だけど、放置して植物枯らすのは人災じゃないのか?しかも、現地で絶滅してる木を人災で枯らしたら、世界の笑い者になる気がする~。どう思う~?
ちなみにこれは江ノ島の対岸にある龍口寺です。
龍口寺は日蓮さんの法難の地でして、斬首寸前で神秘的なことが起きて回避した~という場所です。本堂の裏手の山の中に明治時代に建てられた五重塔があります。五重塔の左手にあるのはイチョウです。ここも葉っぱが…。
建物探訪する時は、葉っぱがない冬がオンシーズンなのですけど、黄色いイチョウと神社仏閣のコラボはフォトジェニックで良いんですよ。な~の~に~~っ あ、あはは~

私の紅葉を見たい欲望には波があって、去年のここ数年来にないという素晴らしい紅葉の時は波が低下して、紅葉狩りには殆ど出かけませんでした。
でも今年は違うっ。もうね、モミジの赤が見た~いっ。元気の出るイチョウの黄色が見た~いっ。と、紅葉狩りに出かけるべく、コースを数通り既に完成させてあって、あとは出かけるだけという準備万端だったのですが…。
この記事を書いた後、紅葉情報をあちこち彷徨い歩いた結果、今年の関東地方の紅葉は全く期待出来ないことが判明しました。
敗因はやはり9月の台風12号&15号です。
木のダメージが凄いのねっ。イチョウはこの記事で紹介した通り、葉っぱはまばらにしか残ってない木だったり。モミジはなんか、縮れてショボい茶色の葉の木があったり。それが多かったり。もちろんダメージの少ない木もありますよ。ただ、ダメージの大きい木が例年になく多いって事が今年の紅葉は期待出来ないという結論になる訳だ…。
あ~あ…。がっかりだぜっ!
でも、紅葉狩りには行きますよ。ただし、調べていたうちから少し遠い運賃をかけて行く紅葉の名所巡りじゃなくて、近場の公園や神社仏閣巡りにチェンジですが…。
う~~~~~っ!!やっぱこういうのも一期一会なのね…。美しい年には積極的に行くべきなのねっ。   人気ブログランキングへ

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龍馬暗殺現場に駆けつけた?

2011年11月08日 05時39分43秒 | 箱根・小田原周辺
道が大蓮寺に突き当たったので、そこから北東(海と反対側)に進んだら、何やら趣きのある道へ出た。
トップ画像がそれです。
さっきの伊藤博文の屋敷跡の前の道と比べると、全然広いんですけど~。映画とかに出てきそうなんですけど~。
調べたらこちらは「西海子小路」という道でした。両側に植えてある並木は桜の木です。桜の季節にはさぞ童話に出て来そうな感じになるんでしょうねえ。
道なりに進んで到着したのは、小田原文学館です。

こちらはかつて龍馬暗殺現場に駆けつけた幕末の志士で田中光顕(1843-1939)の別邸でした。
昭和12年建築の当時流行した南欧風の洋館です。
田中光顕は土佐藩の郷士で、幕末に奇兵隊の客分や、陸援隊の隊士として名をはせた。明治維新後は、初代内閣書記官長(現官房長官)や警視総監、宮内大臣などを歴任した伯爵です。伊藤博文や山県有朋の側近でした。

7月だっけ?NHKの「美の壷」という番組の中で登場していました。3階のベランダに出ると、
 
なるほど、南欧テイストです。色のついた瓦がそれっぽい。
「美の壷」の中で、草刈正雄さんが、丸いベランタのかべにつけてある鉄の輪に、テントを張っていましたが、なる程船の帆に見立てる場所です。潮風だって吹いてくるでしょうし。
足を洗う場所ですかね?昭和の初めにベランダにこんなものを備え付けてるのがおしゃれ~。
こちら文学館入り口です。入り口の屋根にある煙突にコケがついていて、なにげにメルヒェン。
中に小田原ゆかりの文学者のあれこれが展示してあります。1階には小田原出身の文学者、北村透谷、尾崎一雄、川崎長太郎、北原武夫らの小説家のもの。2階には谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾らのもの。でもねえ~、も。全部忘れてしまいました!
なぜって、文学館の一角にミンキー=モモのアニメの台本や、ポケットモンスターのミュー2復讐するは我にありの映画の台本。更には私が若かりし頃大好きだったゴーショーグンのアニメに出て来たヒロインのセル画なんかが展示してあったからです。
首藤剛志さんの作品のあれこれですね。こちらに寄贈されていたんですね。
ってゴーショーグンって知ってる?ブンドル様とかケルナグールという…。いわゆるロボットアニメなんですが、敵方のブンドル様が好きでした。懐かしいなあ。音楽も好きだったんだよねえ。再放送してくれないかしら?
さて、文学館の庭の片隅に、かつて小田原城においてあった北村透谷のでっかい石碑が鎮座してあります。

この石碑は去年の12月まで小田原城にありましたが、馬屋曲輪整備事業に伴い移設されたそうです。
碑に刻まれた字は、透谷を尊敬していた友人の島崎藤村の筆によるものです。北村透谷は明治の初め、近代浪漫主義文学の先駆者として大きな功績をあげましたが、27歳の若さでなくなりました。
田中光顕の別邸の敷地には洋館だけでなく和館もあるのです。和館も素敵~。
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