ニコライ堂から湯島聖堂へ。
神社・仏閣は、参道から行く!のがいいと思うんだけど、聖橋からだと参道ってどう行けば…。
軽く悩んで、脇から入ることにする。いったん境内に入って山門へ向かう。これだと斜面を一度降りることになるから、どうせならやりたくないけど仕方がない。と。言い訳して降りてみると、山門は工事をしてました。
ちっ!今日は旧岩崎邸庭園でも耐震工事やってたし、実は湯島聖堂の手水舎も覆いがかけてあったんだよね。ま。耐震工事は大切だから我慢するけど、せっかくの訪問で2カ所も行き当たるとは、タイミング悪過ぎ~~。
あ。説明板発見!…「寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直・林道春(羅山)をして、上野忍ケ丘に先聖殿を道営せしめしに始まる。」
って。せしめしに始まるってこの説明板いつ設置されたの?
『昭和11年3月 文部省』
あ…う~~~っ!!
日本語って随分変わってるのね。これって殆ど古典じゃん!!
でも読むけど。理解出来るかは謎だけど。
「その回禄(火災)の災いに罹(かか)るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学をこの地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、舊(もと)に復せり。
建造物は暫(しば)らく東京博物館の一部に充てたりしが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉(ことごと)く焼亡せしを昭和10年(1935)4月4日鐵筋混凝立(鉄筋コンクリート)構造に依りて原型に復せり。」
ううううう~~~む。
これ、説明板最近作り替えたよね?なんで、文面も現代風に新しくしなかったんだろう??
だって今どき鐵筋混凝立って書いて、鉄筋コンクリートって読める日本人は、百人中何人いるか?
私、1人いれば上等だと思います。

湯島聖堂の梅も綺麗でした。

ここに来ると必ず屋根を見ちゃうんだよね。伊東忠太さんが設計した建物って、奇妙な動物がつきものなのだ!
トップ画像は湯島聖堂の大成殿です。ここは土・日曜、祝日(午前10時から午後5時)しかオープンしません。
でも熱心に祈りを捧げてた人がいたんだよね。
これって…。中国を旅した時、孔子廟・文廟なんかでよく見かけたよ。彼はおそらく大陸の人でしょうか?
日本では受験の合格祈願に天神様へお参りに行くんですけど、中国では孔子廟へお参りに行くんですよね。
ちなみに、湯島天神でも湯島聖堂でも合格えんぴつを売ってました。
湯島聖堂の過去記事はこちら。
湯島聖堂へ(2012年1月5日)の記事こちらの記事で、大成殿(孔子廟)の内部画像を確認出来ます。
前出の昭和初期の文部省が制作した説明文では、少し不足してるので補足します。
寛政9年(1797)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。「昌平」は孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名になった。聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指す。
湯島聖堂を見終わったら、15時16分。まだもう少し回れるので、「明治大学の博物館見てく?」とあっこさんに尋ねたら、「もういっぱいいっぱい」らしいので本日お散歩はこれまで!
確かに、仏教の伝通院・霊雲寺・神社の神田明神。ギリシャ正教のニコライ堂、儒教の湯島聖堂を回ると頭の中いっぱいいっぱいになるよね

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携帯電話の液晶画面の保護フィルムがもう限界だったので、昨日買ってきて貼り直し…。
貼り直せないんですけどっ!!
なんでやねんっ!!
わっかりにくい貼り方通りにやって失敗しました…。
しばらく凹んで、購入先のリックスさんに問い合わせをメールしてふて寝。
本日、つーかさっき返信が来てました。
文章ではかわらずわからなかったんですが、貼り方が添付ファイルでやって来てまして、その通りにしたら成功しました。
簡単でした。
つーか、添付ファイルを製品に別紙封入すべきじゃんこれ。
でもまあ、対応は早かったのでよしとしよう。
こんなん問い合わせメールしても無視されるんだろうなと、半分諦めていたので、その点だけは評価しますよ。
つーか、保護フィルムっていろんな種類があるのね。選び放題だけど、初心者は分からないから一番安いのを買ってきちゃったぜ。もしやせんでも、太陽でブラックアウトする画面を改善するミラクル保護フィルムとかあったのやもしれん…。ちっ!次回保護フィルムを買う時は気をつけよう。
神社・仏閣は、参道から行く!のがいいと思うんだけど、聖橋からだと参道ってどう行けば…。
軽く悩んで、脇から入ることにする。いったん境内に入って山門へ向かう。これだと斜面を一度降りることになるから、どうせならやりたくないけど仕方がない。と。言い訳して降りてみると、山門は工事をしてました。
ちっ!今日は旧岩崎邸庭園でも耐震工事やってたし、実は湯島聖堂の手水舎も覆いがかけてあったんだよね。ま。耐震工事は大切だから我慢するけど、せっかくの訪問で2カ所も行き当たるとは、タイミング悪過ぎ~~。
あ。説明板発見!…「寛永9年(1632)、尾張藩主徳川義直・林道春(羅山)をして、上野忍ケ丘に先聖殿を道営せしめしに始まる。」
って。せしめしに始まるってこの説明板いつ設置されたの?
『昭和11年3月 文部省』
あ…う~~~っ!!
日本語って随分変わってるのね。これって殆ど古典じゃん!!
でも読むけど。理解出来るかは謎だけど。
「その回禄(火災)の災いに罹(かか)るや、元禄3年(1690)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政11年(1799)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大学をこの地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、舊(もと)に復せり。
建造物は暫(しば)らく東京博物館の一部に充てたりしが、大正12年(1923)9月1日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉(ことごと)く焼亡せしを昭和10年(1935)4月4日鐵筋混凝立(鉄筋コンクリート)構造に依りて原型に復せり。」
ううううう~~~む。
これ、説明板最近作り替えたよね?なんで、文面も現代風に新しくしなかったんだろう??
だって今どき鐵筋混凝立って書いて、鉄筋コンクリートって読める日本人は、百人中何人いるか?
私、1人いれば上等だと思います。

湯島聖堂の梅も綺麗でした。

ここに来ると必ず屋根を見ちゃうんだよね。伊東忠太さんが設計した建物って、奇妙な動物がつきものなのだ!
トップ画像は湯島聖堂の大成殿です。ここは土・日曜、祝日(午前10時から午後5時)しかオープンしません。
でも熱心に祈りを捧げてた人がいたんだよね。
これって…。中国を旅した時、孔子廟・文廟なんかでよく見かけたよ。彼はおそらく大陸の人でしょうか?
日本では受験の合格祈願に天神様へお参りに行くんですけど、中国では孔子廟へお参りに行くんですよね。
ちなみに、湯島天神でも湯島聖堂でも合格えんぴつを売ってました。
湯島聖堂の過去記事はこちら。
湯島聖堂へ(2012年1月5日)の記事こちらの記事で、大成殿(孔子廟)の内部画像を確認出来ます。
前出の昭和初期の文部省が制作した説明文では、少し不足してるので補足します。
寛政9年(1797)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。「昌平」は孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名になった。聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指す。
湯島聖堂を見終わったら、15時16分。まだもう少し回れるので、「明治大学の博物館見てく?」とあっこさんに尋ねたら、「もういっぱいいっぱい」らしいので本日お散歩はこれまで!
確かに、仏教の伝通院・霊雲寺・神社の神田明神。ギリシャ正教のニコライ堂、儒教の湯島聖堂を回ると頭の中いっぱいいっぱいになるよね



携帯電話の液晶画面の保護フィルムがもう限界だったので、昨日買ってきて貼り直し…。
貼り直せないんですけどっ!!
なんでやねんっ!!
わっかりにくい貼り方通りにやって失敗しました…。
しばらく凹んで、購入先のリックスさんに問い合わせをメールしてふて寝。
本日、つーかさっき返信が来てました。
文章ではかわらずわからなかったんですが、貼り方が添付ファイルでやって来てまして、その通りにしたら成功しました。
簡単でした。
つーか、添付ファイルを製品に別紙封入すべきじゃんこれ。
でもまあ、対応は早かったのでよしとしよう。
こんなん問い合わせメールしても無視されるんだろうなと、半分諦めていたので、その点だけは評価しますよ。
つーか、保護フィルムっていろんな種類があるのね。選び放題だけど、初心者は分からないから一番安いのを買ってきちゃったぜ。もしやせんでも、太陽でブラックアウトする画面を改善するミラクル保護フィルムとかあったのやもしれん…。ちっ!次回保護フィルムを買う時は気をつけよう。