あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

満福寺

2012年04月09日 05時28分54秒 | 鎌倉
江の電江の島駅から一駅、腰越駅に到着です。
あ。
江の電は2両編成と4両編成があるのですが、腰越駅は先頭車両がホームが短いので開きません。後ろ3両に乗るようにしましょう。
満福寺は腰越駅から鎌倉方向へ徒歩すぐ。と。
こんな光景が見えます。
よ~く見るとね、道の向こうに山門へ続く石段があります。でもその手前には、鎌倉らしい~踏切があるのだ。
ね。鉄道好きにはおススメでしょ?
さて、満福寺さんは鉄道好き以上におススメするのは歴史好きな方です。
それは、満福寺が源義経の悲劇の始まりの場所だからです。
「一の谷・屋島・壇ノ浦と次々に平家の軍を破って、元暦2年(1185)5月に鎌倉に帰って来た義経は、兄頼朝と方針が一致せず、鎌倉へ入ることが出来ませんでした。
手柄をたてて帰って来た義経にとって、それは思いがけないことでしたから、なんとかして兄の怒りをとこうとしましたが、頼朝の怒りは深まるばかり。そこで義経は満福寺に逗留し一通の嘆願文(腰越状)を書いて、頼朝の信望がたいへん厚かった公文所別当の大江広元に差し出したのです」
ってなことで、まずは拝観料200円を支払い本堂へ。トップ画像は本堂のふすま絵です。これは弁慶の立ち往生の場面ですかね?
安宅の関の場面

静御前が東北へ落ちる義経を見送る場面
上のふすま絵と向き合うように、義経のふすま絵がある。
義経の最後衣川の場面(享年31)
天井画です。
もう一場面。
腰越状を書く義経
ふすま絵では雪の場面ですが、実際は旧暦で5月24日でしたので、初夏です。ま。冬の方が雰囲気出るよな。
ホロリとなった後、順路へ戻りましたらば…。
義経と弁慶のフィギュアの数々
おまけ。 ふすまに鎌倉彫がはめ込んである。
なんだかな~…。他にもっとマシな義経か弁慶の萌えアイテムはないんか~いっ!!
暴れそうになってたら、あった!しかも最強の萌えアイテム発見!!
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先週の金曜日、ダンナが歯を1本抜いた。
翌、土曜日も歯医者へ行くとかなんとか。男の人はな~、自分が出血すると気分が滅入るらしい。ちっ。
そして土日のお出かけは夢と消えた。
せっかく待ちに待った桜のお花見が出来る休みなのに…。空しく、おうちで録画したテレビを見てました。
む~な~し~い~…。
凹むわ。
コメント
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