2019年3月31日、小田原周辺の桜と巨木探訪を楽しみました。桜は入生田のしだれ桜・小田原城の桜・荒井城址公園のしだれ桜で先出しで記事投稿済み。なので今日の記事は入生田のしだれ桜近辺の巨木探訪です。
しだれ桜を楽しんだ後、登りのアスファルト道でなく階段と石畳道を選択。しだれ桜の背後の細道を入るとすぐ説明板を見つけた。

長興山鉄牛和尚寿塔付近の樹叢 小田原市指定天然記念物
長興山紹太寺は幕末の火災で堂塔が焼失しましたが、この付近の樹林は火災からまぬがれたため、聖域としてそのまま残され小田原市内はもとより神奈川県下でも数少ない残存自然林として貴重なものです。
この樹木を構成している代表的な樹木は、かってこの地域一帯を覆っていたと思われるスダジイとイヌマキで、共に20本余りを数え、これらの樹木は、いずれも小田原市内で最大級のものです。
このほか、クスノキ、ヤブニッケイ、シラカシ、ウラジロガシ、ヤブツバキなどの照葉樹が混生しています。
なお、この樹叢の指定面積は、6,706平方メートルです。 小田原市教育委員会」
え〜と?いわゆる東京ドーム144個分です。



お寺の由来などは別記事立てします。この記事は巨木優先です。


場所は稲葉一族のお墓の石段を一つ下がったところにある御霊屋跡のそば。御霊屋にはかつて稲葉氏歴代の位牌と開基稲葉正則の坐像が安置されていました。

在りし日の紹太寺の配置図。弘化5年(1848)頃のもの。配置図の一番上に御霊屋がありました。かつての伽藍は現在は畑。

急な石段を降ります。上の画像左手前に見える巨木。この辺りにはかつて石地蔵がありました。像の高さ2.5メートルの大きな石造りの地蔵菩薩像が祀られていました。石地蔵は小田原城主稲葉正則の父正勝の家臣塚田杢助正家を供養したものでした。正家は、主君正勝の一周忌にあたる寛永12年(1635)1月25日、切腹して殉死した人です。
石地蔵は箱根湯本の正眼寺に移され、現在も境内に祀られています。
上の画像をよく見ると、画像奥に石段がありますが、手前は石畳です。参道は、急な石段と石畳が繰り返し連続しています。この辺りの石段には巨木が点在してて見所いっぱいです。



最近巡ってる巨木は、公園や寺院仏閣でご神木になってる樹がほとんど。まあここもかつては紹太寺さんの参道だったのですが。おそらくすでに100年以上手入れなどしてないのでは?と感じます。こうね。自然のままに。しかし隣り合う木と太陽の光を奪い合い空に手を〜〜違った!腕を伸ばした。闘ってる木です。荒々しい姿をしてます。



ちなみに、石畳は昔のもののようで、枯葉や苔が貼り付いてる場所もあるので、足元は登山靴着用がオススメ。

石畳の様子。



石段の一番下に到着。

