2019年4月6日の青梅さんぽを紹介します。
青梅駅→しだれ桜の梅岩寺→青梅街道のレトロ建築→しだれ桜の金剛寺(イマココです)
9時31分、急な坂を下りると山門が目の前に現れた。
実は素敵な白壁の向こうにあるのは幼稚園。白壁のある右でなく奥へ向かう。
む〜ん??お目当のしだれ桜がショボい。やはり大枝が折れたというのは本当だったか。がっくりしつつも来ちゃったからには参拝せねば。
説明板発見:金剛寺表門 東京都指定有形文化財(建造物) 指定:昭和36年1月31日
真言宗豊山派青梅山無量寿院金剛寺は平将門の創立と伝えられますが、元享年間(1321−24)に再興され、三田氏、小田原北条氏の帰依を得た古刹です。
この表門は、天保2年(1831)の火災の際に、金剛寺の諸堂宇の中で唯一焼失を免れた建造物です。明治の初期に街区の整理により現在地に移築され、その際に屋根、礎盤(石造または木造の繰形を呈する柱と礎石の間に据えるもの)などが改変されていますが、旧状をよく保っています。構造は一間(2、75メートル)の間口に、出入り口が一つの一間一戸の四脚門で、屋根は切妻造、瓦棒銅板葺です。二本の主柱から1、06メートル離れた門の外側と内側に4本の控柱を設えています。門の主柱と控柱をつなぐ頭貫の木鼻と拳鼻部分に彫られた渦文様の上に鳥が飛ぶような絵様と呼ぶ装飾は、桃山時代の技法を伝えているといわれます。この絵様から、表門が建立されたのは17世紀前半ないし中頃と推定されています。この表門は小型で簡素な門ですが、江戸時代後期の、彫刻を多用する建物とは異なった趣があります。 平成22年3月 東京都教育委員会」
見上げる。
本来の目的のしだれ桜は?
こんな感じで写すといい感じだけども。
分かりますか?しだれ桜の画像をごらんください。
右中央にある大枝が、途中でぶっつり途切れています。巨木の本によりますと、金剛寺のシダレザクラの樹高8メートル 幹回り2、3メートル 樹齢150年。梅岩寺のシダレザクラと姉妹桜と言われている。ほんの10分前に梅岩寺の見事なしだれ桜を見て金剛寺さんに移動したので、記憶の中で比べやすい。折れてしまったのは残念だけど、桜はまだ咲いている。やがて再び見事な姿に復活すれば嬉しいなあ。頑張れ!
さて、お参りせねば。あれ?また説明板がある。何かしら〜?
金剛寺の青梅 東京都指定天然記念物 指定:大正11年6月
平安時代に活躍した平将門の伝説を持つ古木であるが、現在では完全に老衰期にある。
この梅は季節が過ぎても黄熟せず、落実まで青く、このため「青梅(あおうめ)」と称せられ、青梅市の名称もこれによって付けられたといい、いわば青梅市の象徴でもある。
しかし、植物学的には突然変異であるとされているが、滝上氏所有の梅もこの種の「青梅」だと言われている。 平成5年3月31日 東京都教育委員会」
そうか!この木からこの地が「青梅」のと呼ばれるようになったのか。
参拝。
あれ?あそこにも説明板がある。何かしら?
金剛寺銅鐘 市指定有形文化財 平成15年8月2日指定
この銅鐘は、中世末以来多摩郡の鋳工として著名な横川村(元八王子市横川町)加藤鋳物師集団による作品で、寛文6年(1666)8月に金剛寺に寄進されたものである。
銅鐘に陰刻された金剛寺縁起は、青梅地名伝説と将門伝承話を伝える最古の文献として評価することができる。寄進者には、青梅村をはじめとする山の根諸村支配の代官であった高室四郎左衛門尉昌直(昌久)を筆頭に18人の名が刻まれ、草創期の青梅村の治政者と集落形成の有力者との結束意識をうかがうことができる。 青梅市教育委員会」
さて、次です。9時46分、金剛寺さんを後に。
坂道を下りていたら、ようやく咲き出したしだれ桜があった。別の種類のようだ。
坂を下ってたら行き止まり。
道の行き止まりにあったまるで昭和のドラマセットみたいな建物がありました。さて?
実はYAHOO!の地図でルート検索したらずいぶん大回りを指示された。近道がありそうなんだよな〜。地図で航空写真に切替えると、川に橋があるみたいなんだよな〜??
あ。ラッキー道路工事の警備員さんがいるわ〜。「すみません〜」
聞けばやっぱり川には橋があった。
9時57分橋のたもとに到着。
川を渡れば青梅の桜の名所・釜の淵公園です。