あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

アニメ「ワールドトリガー/大規模侵攻編」佳境へ

2015年05月13日 | アニメ・特撮
緩急つけつつ話は進む。

「おさらい」的な演出と、一気に進む戦闘シーン。



もうランバイネンが退場かぁ。
※「楽しかったぞ、玄界の戦士。縁があったらまた戦おう」の
 セリフが好きだわ

エネドラは基地へ突入してくるし、敵将ハイラインも出撃して
くるし・・・。

これって、
もうすぐ忍田本部長が戦闘に参加してくる流れだよね。



ああ、草野毅さんの戦闘声が聞けますか。
楽しみ過ぎます。

一方エネドラは、なんか段々声が馴染んできた。
言っちゃ悪いけど、凶暴さを増していくエネドラに
古川登志夫さんの声は軽いかなぁ~と思ってたんだが

いやいや命令違反で基地を攻めたエネドラは、ある意味
考えなしで地に足が着いてないヤツとも言えるし
こっちも、どんどん古川さんの声で慣れてきた。



この感じ、なんか以前も感じた事あるな・・・と思ったら
「クリント・イーストウッド=山田康雄」と同じだ。

最初は「俺の44マグナムが火を噴くぜ」てな事を
低く凄みのある声が合うだろう・・・と思っていたら
山田さんも結構軽い声だもんね。

それに何度も接してて、慣れていって、仕舞にゃもう
「クリント・イーストウッド=山田康雄」じゃなきゃ
居心地悪くなるほどシックリ行ってしまうのだから
慣れというか、イメージと言うか、そういった物は
侮れません。

次回は完全に馴染むでしょうね。

しかしアニメ本編同様、原作に追いつきそうだとか
そっち方面でも気になってしまう「ワールドトリガー」
なのでありました。

「昭和のテレビ童謡クロニクル」発売記念イベントへ(4)

2015年05月13日 | サブカル
トリオユニット「blue marble」によるポンキッキのカバー曲。

女性2名と男性1名、キーボード2台で打ち込みアレンジに
あわせてセンターの女の子が歌う。

1.十二支のうた
2.ほえろ!マンモスくん
3.カンフーレディ!
4.はるなつあきふゆ
5.ポ・ポ・ポ・ポ・ポポポ・ポ・ポンキッキ
6.ポンキッキ・スキャット

正直、期待していたより面白かった。(失礼!)
「カンフーレディ」ではカンフーの振り付けがキュート。



「はるなつあきふゆ」では和テイストな歌に
やや重なレゲエ・ビートがカッコイイ。
ベースラインがリトル・フィート調というか
(セカンドライン?)、細野晴臣風というか、
アンディ・フレイザー風というか。
雪村いずみ&キャラメルママの衝撃を少し思い出した。

でも長身男子のメンバーが持ち出したのはリコーダーや
ピアニカ。これも面白い。



当イベントは2度の短い休憩あったが
トイレ行ったり追加オーダー頼んだりで休憩にはならず。
さすがに私は疲れが来た。結局3時間やったもんな。
ダディさんは酔って少し寝てたっぽいけど、小島豊美氏や
長谷川龍氏は元気だった。

終盤は「ピッカピカ音楽館」の話題。
私が住んでた地域では流れていなかった番組だが、やはり
エピソードは面白かった。

スポンサーは小学館単独。
当時CMで流行っていた「♪ピッカピッカの、1年生~」
(クニ河内さん作曲だったとの事!)に因んだタイトルだった
そうな。

結局「ポンキッキみたいな番組を」と引き抜かれ、
個性的な番組作りがなされた・・・と。



当初「パオパオチャンネル」内のコーナー扱いだった
「ピッカピカ音楽館」。
音楽プロデューサーは元おとぼけCatsのダディ竹千代こと
加治木剛さん。

第1弾シングル「ヤーレンソーラン北海道」は30万枚のヒット。

たくさんの「幼児幼女」が裸で体を洗うという映像が
放送中止騒動を巻き起こした「ピッカピカウォッシュ」では
加治木さんは音楽監督を務めてたとの事。
「もっと売れたんだけどなぁ」と嘆くダディさん。
映像流れたけど、いまなら絶対に制作時点でNGです。

でも「ヤーレンソーラン北海道」30万枚は自らの音楽活動中
最上位の枚数だったそうで
「あの頃は子供が生まれたばっかりで頑張ったんだよ」と
コメントするダディさん。

元四人囃子の故・佐久間正英さんもプロデューサーとして
成功する前に子供モノの仕事を得ていた・・・という事で

いやぁ、やっぱり子供番組といって侮っちゃいけません。



この辺になると個々のキャラクターが分かってきた気がする。
やはり小島豊美さんへの興味が深まったな。

印象深いのが、歌唱を担当した子役さんを評する語り口。
「この子はある時スッパリ辞めたね。見事だったね」という
口調は、まさに演芸界にいる人のモノだった。

「潔さへの賞賛」。
亡くなった談志師匠と同じです。

今回は「昭和のテレビ童謡」にスポットが当たったが
※新人時代は音楽会社の人間としてTV関係者に顔を
 覚えてもらうため連日TV局を訪れたとそうな。
 月日が経ったら“みんなのうた”の「山口君ちのツトムくん」
 みたいに成功しそうな素材の話があちらから持ってこられる
 くらいになったそうですが。



やはり演芸畑も歩み、多方面に才能を発揮してきた人です。
※家に帰って調べたら
 「山藤章二のラクゴニメ」も手掛けておいででした。
 志ん生DVDの製作総指揮と監修役ですよ!



そういった話も色々聞きたいなと思っていたら
閉めの挨拶を促された小島豊美氏は司会の田中氏に
「まだまだ話す事はあるなぁ」「もう一回やりましょうか」と
語りかけられ、喜んだ会場から大きな拍手が巻き起こりました。

※田中氏も嬉しそうだったなぁ。
 開場直後は「こんなに集まっていただいて・・・」と
 感激の面持ちだったけど、終わってみればイベントは立派に
 成功したと思います。

ぜひ次回もお願いしたい。
あまり喋らなかった長谷川龍氏の話ももっと聞きたい。

※質問コーナーとか設けてもイイんじゃないですかね?

幼い頃、今回イベントで聴いたような音楽に接して
いたんだなぁ~と、感慨深い思いがしました。

そして今やファン歴ウン十年の70年代ロックフリークだもんねぇ。

やっぱロフトプラスワンのイベントでの当たり回は
余韻に浸れるねぇ・・・。
出演者の知人、縁者が隣にすわってたりするし、何より
似たような興味対象を持った者同士の濃密な共同意識がある。

満足な余韻に浸りながら歌舞伎町を後にして新宿の道を歩く・・・
そんな5月の夜でございました。