都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

入舟湯

2021-03-13 | 中央区  
旧 入舟湯
所在地:中央区 築地6-3
構造・階数:木・2F
建設年:震災後〜昭和初期
解体年:2017〜18(平成29〜30)
Photo 2006.7.23

 銭湯として使われていた頃のことは知らない。初めて通り掛かった1998年5月時点で既に仕舞屋になっていた。下記の「赤猫丸平の片付かない部屋」では、東京都公衆浴場商業協同組合の組合員名簿で、1960年度には「入舟湯」として掲載されているが、1976年度のものには載っていないと記されており、45年ほど前に既に廃業していたようだ。

 銭湯でなくなってから長いあいだ別の用途で使われていたようで、「ぼくの近代建築コレクション」では、1991(平成3)年時点で建設会社の事務所として使われていたと記されている。また、手もとの住宅地図(1994年)では個人宅になっている。

 小規模な店舗や事務所が混在する住宅地内のやや狭い道に面して建っていたので、最初は元銭湯だとは思わなかった。もしかすると元銭湯かもしれないなとは思っていたが、後でネットで他の方の記事を見てようやく確認したのだった。

 平入りで、妻入りの宮造りの銭湯ではない。だが、左右対称で正面中央に建物の規模に比して大振りな唐破風屋根の玄関があるあたりは、やはり銭湯っぽい。2階なのか吹き抜けの高窓かは分からないが上部の窓はお座敷などで見られるもの。「ぼくの近代建築コレクション」に掲載されている1991年時点の写真では、まだ玄関部分に白い壁板は建てられていなかったが、その後、数年の内に扉以外の部分は閉じられてしまった。

 Google Street Viewで確認したところ、2017年10月には写っていて、2018年4月では既に解体されているので、その半年の間に解体されたようだ。


 Photo 1998.5.23


2025.1.5 追記
 入舟湯の周辺の旧小田原町は戦災ではあまり焼失しなかった場所で、戦前、1933(昭和8)年の火災保険特殊地図にも「入船浴場」と記されており、入舟湯は戦前からあったもののようだ(戦前・戦後の火保図や、1960年代の全住宅地図帳では「入舟」ではなく「入船」と記されている)。

中央区築地6丁目 入舟湯 銭湯遺跡探訪(4) | 赤猫丸平の片付かない部屋
入船湯、他/築地6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
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