都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

上野から新潟へ

1992-10-03 | ロシア  

 ロシアへの旅行前日、大学から帰宅後、一眠りして、ウラジオ行きの準備をする。もっと早く準備をすれば良かったのだが、ぐずぐずしていたため、前日になってようやくパッキングをした。準備に手間取り、結局徹夜になってしまう。初めての海外旅行がロシアでしかも極東のウラジオストクである。他のほとんどのメンバーも行ったことが無く、情報が不足気味の土地なので、何を持って行くべきか迷ってしまった。

 ヨーロッパやアメリカなら、食べ物の心配はまずない。しかしロシア極東の街では、食べ物がどうなることやら全く見当が付かなかった。数日前の段階から、何を持って行くかで、ひとしきりみんなで話していたのだが、こと食べ物に関しては、みそ汁のパックやら、カップラーメンを持って行くなどという話、小さな電気ポットを持って行く話など、予想される事態?に対して、どれほど準備したものか悩むのだった。

 朝8時半頃に自宅を出て、上野駅へ向かい、9:38発の新潟行き新幹線の自由席に、研究室の面々と4人で乗車。「しばらくは日本食には会えないねぇ」などと言いながら弁当を食べて寝てしまう。だがリラックスして列車の中で寝てしまえるのも今の内かもしれないとも思われた。

 モスクワなどへは成田からの飛行機路線があるが、今回の主たる目的地であるウラジオストクやハバロフスクへは、成田からの定期便はない。この極東ロシア地域へは、新潟からハバロフスクへ、アエロフロートの飛行機が飛んでいる。東京に住んでいるのに、海外に行くためにまず新幹線に乗って新潟へ行かねばならない。

 11:30頃に新潟着。所持金に多少心配があったので、銀行で少し現金を下ろし、持って行くことにした(しかし、この現金は現地では結局全く使うことはなかった。)。タクシーで空港に向かう。車中で聞いた地元のラジオでロシアの話が出てきて、やはり新潟はロシアと関係が深い場所なのかなと思う。

 12:30、新潟空港に全メンバーが集合。ここで日ソ旅行社の添乗員と会い、ビザを貰い、荷物を預ける。空港の喫茶店で昼食。13:15に再び集合した後、出国審査。待合室にて搭乗までの間時間をつぶす。

 O氏、K氏、Sさん等は、免税店で外国たばこを購入。現地の人々に対する挨拶代わりになるという。初めて外国へ行く私は知らないことだらけ。だが、外国たばこが挨拶代わりになる国というのは、旧共産圏の国か、かなり開発から取り残されている国のどちらかしかない。そういう国には私以外の面々も、あまり行ってはいなかった。


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