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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

文化学院

2022-02-24 | 千代田区 
文化学院
所在地:千代田区 神田駿河台2-5
構造・階数:RC・4
建設年:1937(昭和12)
解体年:2006(平成18)
Photo 1988.11.1

 御茶の水近辺を知る人の多くが記憶している建物。文化学院といえば、やはりこの玄関アーチがシンボルだった。

 文化学院については、解体中の2006年8月11日にも採り上げているので、その際の文を再編、加筆して以下に掲載する。

 表現派的な玄関アーチはデザイン上の大きな特色だが、実はその他には装飾的なものはあまりない。表通り側では3階にバルコニーがあるのがちょっと目立つ程度で、これとて夏場になれば街路樹の緑に隠れて気づく人も少ない。確かにクラシックなカレッジの雰囲気を持つ建物なのだが、建築デザインとしては、一部に放物線も使ったアーチ玄関が目立つこと以外にはさしたる特徴が無いように見える。


 Photo 1988.11.1

 壁面には一面に蔦が絡まっている。この年期の入り具合が存在感に繋がっていた。


 Photo 2005.3.25

 薄暗いアーチの途中に建物(学校の事務所など)への入口があるのも印象的。


 Photo 2002.2.24

 アーチを抜けていくと、右側にも上階への階段がある。そして奥には中庭が見えている。


 Photo 1995.7.22

 通り沿いの校舎の下を潜り抜けると四角い中庭に出る。周囲の校舎から声をかければ話ができるぐらいの手頃なサイズの中庭は、学生の溜まり場であり、小さいながらもキャンパスというものを感じさせる重要な空間だったに違いない。周辺の建物が次第に大きくなっていく中で、ボリュームとしては埋もれがちだったが、それにも関わらず一定の存在感を保ち続けてきた。個性的な卒業生を多く輩出したという伝統から来る存在感も勿論あるのだが、そういう個性を育んだ建物、空間だったのだろう。

 通り沿いの校舎は、北側には大きなガラス窓のある開口部が設けられていた。ここはデッサン室とかだったのだろうか。クラシックな印象のある建物だったが、このあたりは近代的でモダンなデザインだった。

文化学院 - Wikipedia
美術と文芸の専門学校|文化学院(2018年閉校)
与謝野晶子が教えた文化学院が閉校 有島武郎らも教壇に:朝日新聞デジタル

文化学院/神田駿河台2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
文化学院 取り壊し決定 - Anthology -記憶の記録-
続続・文化学院の由緒ある建物が消えてしまう : 本の人生 本との人生 末端古本屋雑記帳

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区  #近代建築  #学校  #屋内階段  タグ一覧

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