都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

麻機の変貌

2006-08-26 | 静岡県  

 私のHandle Nameは、asabata。時々「asabataって何ですか?」と尋ねられるのだが、実はこれ地名。実家のある静岡市北部地域が麻機(あさばた)と呼ばれることに因んでいる。

 もともとは浅畑(あさはた)だったそうなのだが、それが変化して麻機に。明治以降は、安倍郡麻機村という村だったが、昭和9年10月に静岡市に編入された(静岡市は明治22年4月に成立)。麻機という名称は無くなり、村内の北、東、有永、羽高、南などの字(あざ)のみが残された。だから私の実家は静岡市北。

 更に2005年4月に静岡市が政令指定都市になったのを機に、葵区、駿河区、清水区の3区がつくられたため、現在は、静岡市葵区北とか、葵区有永などになっている。ただ、もともとは麻機村の北であり、東や南だったため、南などは静岡市の中心部からみると北の方であるにも関わらず、葵区南になっている。ややこしいことに、静岡駅のそばには駿河区南町という町もある。これは合併や編入に伴う混乱とも言えるのだが、賤機(しずはた)村が編入された際には、村の上、下という字のみが残り、静岡市葵区下となり、なぜ下なのかさっぱりわからなくなったという例もある。

 地名としては無くなってしまった麻機。だが呼称としては今も生きている。旧麻機村へのバス路線は麻機線で、麻機街道を走り、終点は麻機。地元の小学校は麻機小学校(あさしょー)だし、ちびまるこちゃんでも出てくる巴川(ともえがわ)の上流は麻機川。流域にある麻機遊水池はバードウォッチングのメッカでもある。

 市内の人なら、麻機と言えば、静岡市の北のはずれだということをだいたい知っている。中心部に住む、街っ子に言わせると、麻機=田舎、みたいな意味なんだけど。

 さて、Googleで「麻機」を検索すると、静岡のこの場所に関する記事しかヒットしない。どうやら麻機というものは、地名としてもその他の名称としてもこの地域名しか存在しないらしい。この全国にここしかないというのが気に入ってHNにした。

 そんなわけで、私は麻機にそれなりの愛着を持っているのだが、実は30年ほど前に引っ越して住みついたよそものなので、昔のことはあまり知らない。だがこの30年の間でも麻機はかなりの変化を遂げた。

賤機山・福成神社付近からの麻機(昭和30年頃?)
賤機山・福成神社付近からの麻機
Photo 2006.8.21

 上の白黒写真は、ある知人からコピーで頂戴したもの。Scanして地名などを加えた。年代はちょっと不明。下は最近、私が撮ったもの。同じように見える場所を探したが、樹木などに遮られて撮れる場所が無かったため、若干構図が異なる。この撮影ポイントのすぐそばまではミカン栽培のための農道が造られており、自動車で上ることが実は可能。

 昔と今で大きく異なるのは二点。一つは、田んぼが耕地整理によって碁盤の目のようになり、麻機川も改修されて直線化したこと。上の写真でも、巴川の文字の右のあたりまでは既に護岸改修がされていて、幾何学的にカーブした堤防が見えているが、上流側はまだ自然のままで、川筋は蛇行している。田んぼは微少な高低差に沿って作られていて、様々な形をしており、あぜ道も蛇行していたが、私が住み始めた昭和40年代には、既に耕地整理は終わっていて、直線化した川に沿って長方形の田んぼが並び、真っ直ぐなあぜ道がその中を通る場所になっていた。

 二つめは、画面中央の漆山が削られて全くなくなり、そこに県立こども病院(煉瓦色の建物群)と国立病院が建設されたこと。漆山という山があったこと自体、最近まで知らなかったため、この写真を見たときは驚いた。まさか山を一つ削って無くしてしまっていたとは。以前、この近辺に漆山荘という施設があったが、その名の由来が実在の山の名前だったことを知り、今頃になって納得。周辺の田んぼが耕地整理で碁盤の目状になっている中、二つの病院が周辺とは関係なく、不整形な敷地形状や建物配置をしていたので、不思議に思っていたのだが、もともと山だった部分だかららしい。

 この他、およそ50年の間の細かい変化は沢山ある。麻機小学校は木造校舎からRCに建て替えられているし、漆山の左後方の田んぼは流通センターとして、野菜その他の市場となった。有永近辺の住宅も増加している。また写真からは判然としないが、最近は山腹のミカン畑が減少し、耕作放棄され竹林化する例も多い。ミカンの価格が下がったこと、跡継ぎがいないことが主な原因らしい。

 更に、こども病院の左後方は全て遊水池になっている。戦後、耕地整理をして、堤防を造り川を直線化し、氾濫原をなくして耕作地を増やしたわけだが、1974年(S49)7月7日の七夕豪雨では、この一帯の大半が浸水し、以降も大雨の度に巴川は氾濫を繰り返した。氾濫原を無くしたことで、水の行き場が無くなったため、結局洪水が起こってしまっていたわけで、その後、巴川流域には遊水池が多数作られることになった(巴川流域総合治水事業)。一度田んぼにした場所を、また氾濫原とする事業なわけで、無理して田んぼにしなければ良かったのに的な感じなのだが、まあ仕方がない。でもって、この遊水池が自然の宝庫となり、バードウォッチングなどに訪れる人も増え、結果的にはリクリエーションゾーンに変わった。

 お米が余って減反政策も行われ、麻機の田んぼも、近年はかなり減っている。その代わり花卉や野菜の温室栽培が増えた。また、農地の宅地化も進んだ。

 数年前に新潟に行ったら、見渡す限り田んぼだった。20年ぐらい前までは麻機もかなり広い範囲が田んぼだったが、今ではそのような場所は無くなってしまった。市街化区域ではないので、急に市街地化することはないはずだが、少しずつ農地や緑が減っているのがちょっと気になる。

静岡の街並み
#街並み 静岡県  #パノラマ  #眺望

コメント (24)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 駿河台女坂 | トップ | 第二東名ととっくり »
最新の画像もっと見る

24 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (GH)
2007-02-08 19:09:50
こんにちは。今度北に引越しをする予定です。家族四人で自然の近くで住みたいと思っています。とても参考になりました。ありがとうございます。
返信する
こんにちは (asabata)
2007-02-10 23:20:09
GH様
初めまして。私の実家も北ですので、
御近所さんということになりますね。
ただ北はかなり広いですけど・・・。
麻機はまだ自然がある方ですが、
数年後には第二東名ができるようですし、
環境も変化していくことでしょう。
新しい生活が充実したものになると良いですね。
返信する
はじめまして (GH)
2007-02-11 17:44:52
asabata様
お返事ありがとうございます。そうですね。第二東名ができたら、また大分変わるかもしれませんね。そうなるとまた今の静かな雰囲気も変化するかもしれません。なんだかちょっとさみしいような、、、

今までずっと都会(東京やNY)に住んでいて、山のある風景や木のにおいの香る場所を渇望するようになりました。本当は竜爪山の山の奥に住みたいぐらいなのですが、やはり仕事や保育園のことを考えるとそうもいっていられません。夢は古い家でも環境のことを考えていろいろに配慮して作ったところに大切に住まわせてもらうことです。太陽を感じたり、土を感じるあたりまえのことを感謝しながら過ごせたらいいな~と思っています。

今、考えている物件は麻機ヶ丘団地というところにあるのですがご存知ですか? ご近所にもしなったらよろしくおねがいします。わからないこともあるかもしれませんから。
返信する
ご近所 (asabata)
2007-02-12 01:06:00
麻機ヶ丘団地、存じ上げております。
あまり細かいことを書くと、
実家の場所が判ってしまう可能性もあるので伏せますが、
お近くになるかと・・・。

麻機は私が小さい頃よりも、随分と都市化が進み、
便利になりました。
私自身は自転車などで野山を走り回って、
魚取りをしたり、凧揚げをしたりと、
今思えば、田舎育ちを楽しみましたが、
今では町内を走る自動車も増え、
道路でボール遊びなどができるほど、
のんびりした場所ではなくなってしまったのが残念です。
小さい頃は裏山に勝手に一人で行ったりして、
親を心配させたりしましたが、
今の小中学生はそんなことしてるのかな~。
返信する
はじめまして! (mao)
2012-01-23 16:00:22
私も麻機北出身です!大学で東京に行き、そのままこちらで就職、結婚、その間に実家も清水に引越...今ではなかなか麻機に行くこともできず、最近はどうなのかなと調べていたらこちらに辿り着きました。

内容も全部分かり、かつイメージも浮かび、あさしょー時代、わけも分からず「ゆわすいち」や「そーごーゆーぐ」「そがさん」「さいこーじこうえん」とひらがなで記憶された言葉も次々に思い出してきました。

親友が漆山だったのでよく北から田んぼを抜けて自転車で遊びに行ったのですが、昔そこに山があったとは驚きでした。

自転車といえば麻機ヶ丘の坂で、あの頂上から鈴木酒店までブレーキをかけずおりる、という今では信じられない遊びを小学生時代はしていました笑

お不動さんのお祭りはまだやっているのでしょうか?
観山中はまだヘルメット着用のオレジャンでしょうか??

懐かし過ぎて長くなってしまいすみません。
このエントリは消さずにずっと残しておいてもらえるととても嬉しいです。

あぁ、麻機に帰りたくなってきました!!

返信する
初めまして。 (asabata)
2012-01-25 04:46:26
maoさんへ。
お返事が遅くなりました。
楽しんで頂いたようで、私もうれしいです。

そがさん、というのはお不動さんのそばの駄菓子屋さんでしょうか。
だいぶん前になくなってしまい、たぶんその後クリーニング屋さんになり、現在はそれもやめられたようです。
鈴木酒店は健在。あそこの坂をノーブレーキで下りるのはかなり危険ですね~。
お不動さんのお祭りはまだやっていますね。その時期に帰省できないので、お祭りの様子まではわかりませんが・・・。
観山中は今もオレジャンかなぁ・・・。これもちょっとわからないです。

変化したことと言えば、裏山に新東名が建設され、今年5月頃に開通するということ。
http://tokyostair.web.fc2.com/Asabata/asabata1.html

あと、流通通りから安倍川の方へ、賤機山をトンネルで抜ける高架道路が昨年できました。
長沼の方から、鯨が池のそばにできる新東名のインターへの道です。

麻機を離れてからどのくらい経っておられるかわかりませんが、お店の方もいろいろ変わりました。
スーパー51はかなり前に無くなり、その後、北部スーパーもヤギマートも無くなりました。
代わって北部スーパーの跡地に大型の静鉄ストアができて、夜遅くまで営業しています。
また、その道の反対側にはウィンダーランド(大型ドラッグストア)も出来ました。
麻機線のバスは延伸されて、麻機北(浅間神社前を通って、川沿いの角)まで行くものが20~30分に一本走っています。
私自身は実家がまだあるので、ときどき帰りますが、実家を離れてから20年以上経つと、やはり街の様子はかなり変わっています。

ときどき、昔の麻機のことも書こうと思っていますので、よろしければまたブログにお立ち寄り下さい。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-01-30 16:06:18
こんにちは
私は逆に麻機にお嫁にきたものです
昔の麻機の様子を興味深く読ませていただきました
観山中のジャージは紺地にオレンジのラインにかわっています
返信する
いろいろ (asabata)
2012-01-31 19:58:04
(Unknown)さま
こんにちは。
新東名は更に前倒しされて4月中旬開通になりましたね。
静かだった麻機の裏山を毎日約4万台の車が行き交うようになると、
騒音がどのようなことになるのか気掛かりです。
私が高校生の頃までは浅間神社にはフクロウがいたりもしたのですが。
返信する
Unknown (Unknown)
2012-01-31 21:54:39
先日久しぶりに朝うっすらと雪がふりました
騒音といえば1年ほど前は大量の土を載せた大型トラック
が街道を何十台といったりきたり相当な騒音と地盤がゆるいため揺れがひどかったですよ
返信する
あさばた (Unknown)
2012-05-27 11:31:59
はじめまして。
私は街歩きを趣味としているのですが、静岡に出かけた時に…新静岡で『あさばた』とひらがなで行先を掲げたバス(路線によって漢字表記もあるようですが)が気になって…終点まで来てしまいました。
鯨ヶ池の方を経由して山道を下って『あさばた』に着きました。
どんなところか、読ませて頂き良く分かりました。
静岡は山と海とメリハリがあって、本当に良いですね。
返信する

コメントを投稿