都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

おじさんに拘束される!?

1992-10-10 | ロシア  

1992.10.10(Sat) Vladivostok

 西通りを歩いていると、とある事務所の入口付近に立っていた背の高いおじさんに声を掛けられた。ロシア語でしか話さないため、何の事やらさっぱり判らない。にこやかな笑顔で手招きするのだが、何もわからないのでとまどっていると、背を押され、パジャールスタ、ハラショーを連発されて、結局ビルの中に入れられてしまう。内部の回転ゲートを回して中に入れられ、しばらくおじさんと接見することになってしまう。とはいっても言葉は全然通じない。この時ばかりはかなり緊張した。

 添乗員の女性が作ってくれたロシア語の身元説明カードをO氏が見せると、今度はしかめっ面をしてハンコをもらえという身振りをする。なんだかよくわからず、二人で顔を見合わせていると、彼は私達を外へ連れ出して、道路の向かい側の7F建ての建物を指さし、「あそこへ行け!!」というようなことを頻りに大声で言う。警察か何かなのだろうかと思いつつO氏とそちらへ向かう。しかしその割にはおじさんは同行する風でもない。僕が手を振って挨拶をすると彼も更に手を振って建物を指さす。全くなんだかよくわからない。

太平洋漁業・海洋科学研究所  Google Map
建設年:1930年?

 しかし建物に近づくと、実はこれが何か由緒ある建物であるらしいことに気付く。持参の建物カードをめくると、太平洋漁業・海洋科学研究所(1930年)であるらしいことが判明する。カードに記載されているとおり、確かに大きなモザイクレリーフが壁面にある。屋上にもちょっとした飾りが付いている。結局、大声のおじさんの親切?な行為で、この施設に気付いたようなものだ。でも資料のとおり1930年建設の建物なんだろうか? 1950年代以降のような気もする・・・。

 壁面のモザイクレリーフはいかにもロシアというかソビエト的だ。
 私たちが調査対象とした物件は、ソビエト時代にウラジオガイドとして書かれた、「こんにちはウラジオストク」という本に掲載されているものに基づいていた。しかしソビエト時代の書物なので、全面的にこのような共産主義モニュメントが「見どころ・名所」として扱われている。日本の観光ガイドブックと異なり、「見る」の他の、「遊ぶ」「買う」「食べる」「泊まる」の部分がほとんどないのも特徴だ。従ってこのガイドに沿ってウラジオを歩くと、社会主義の勉強にはなる。だが、日本人などはこれでもかこれでもかの英雄賛美と社会主義礼賛の嵐を浴びて、ぐったりしてしまう。

 先程のおじさんは結局のところ、どっぷり浸っていて、無条件にあれを良しとしているのだろう。確かに地方都市で見どころが少ないので、小さなものも観光スポットとして取り上げざるをえない状況もあるのかもしれないが・・・。

 おじさんは恐らく、街を調査しているという僕等のカードを見て、親切心からあそこは由緒ある建物だから是非行きなさいと言ったのだった。大声でわめきながらビルに連れて行かれ、一時は半ば監禁状態に追い込まれてしまったので、こちらはかなり困惑し、O氏などは後で「なんだあのジジイ」とか言って毒づいていたのだった。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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