ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

ファミリーヒストリー

2014-02-02 | よもやま話
昨夜からの雨も上がり濃霧の朝となった長崎です。

ジャガイモの植え付けも出来ず、
久しぶりにのんびりした日曜日になりました。

先日、南島原へ行くことがあって、
もう日も暮れていたのですが原城跡に立ち寄ってきました。



原城は、島原半島の南部に有明海に張り出した丘陵に、
本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていたが、
元和の「一国一城令」で島原城が築城されて原城は廃城となったところ。



島原藩主松倉勝家は、島原城建設による財政逼迫により苛政を敷き、
また、過酷なキリシタン弾圧を行ったことにより農民一揆を引き起こし、
世に言う「島原の乱」の舞台がこの原城で、全国の耳目を集めることになる。

この一揆は島原半島のみならず天草にも飛び火し、
天草の一揆群衆と合流し約3万7千人が原城に立て籠もった。



キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた
当時16歳の少年天草四郎を総大将とし、
組織だった籠城戦を展開し幕府軍と戦闘を繰り広げたが、
3か月に及ぶ籠城に弾薬・兵糧が尽き果て幕府軍に壊滅させられた。

その島原の乱の一揆軍の軍師でキリシタンの蘆塚忠右衛門(あしづかちゅうえもん)。
この人物こそわが家の祖先という話もあるが定かでない。



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コメント
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