9年前の3月11日午後2時46分、
強烈な緊張感を覚えたのを思い出します。
ちょうどその時は、
国道10号を北九州から大分方面へ車で移動中で、
車の中ではNHKラジオの参院予算委員会の中継が流れていた。
当時の首相、菅さんが外国人献金問題で答弁中だったと思う、
突然、緊急地震速報のチャイムが割って入った。
数秒後には放送は渋谷のスタジオに切り替わり、
アナウンサーが地震警報を伝えている最中に
「ああ、今、渋谷のスタジオが大きく揺れています」
「随分長く揺れが続いています。スタジオの中が・・・・
あの冷静なNHKのアナウンサーにしては珍しいほど取り乱していた。
その後、震源と各地の震度が繰り返えされ、津波警報が発令。
繰り返し刻々と津波到達時刻が発表され、
さらにアナウンサーの緊迫した放送は続く。
上空のヘリから送られる映像を見ながらと思うが、
「津波が直ぐそこまで迫っています。」
「まだ、海辺で何人かの人影が見受けられます。」
「どうかこの放送を聞いている方は教えてあげてください。」
現実に今起きていることなのかと自分の耳を疑うほどで、
遠く離れた九州にいる自分にはどうするもできない。
ラジオから聞こえてくるこの生々しい放送は
現実なのかと耳を疑うほどの緊迫感を覚えたものだった。
次第に時間が経つにつれ各地の被害状況が次々に伝わり、
聞きなれた地名が関東地区まで発表されている。
尋常ではない災害であることは直ぐ分かった。
自分の周りでは気仙沼市役所に勤務するOさん、
仙台宮城野区在住のTさんの安否が気になったが電話も繋がらず。
唯一調布の叔母とは電話が繋がり、
かつてない地震の大きさにしゃがみ込んだまま腰が抜けて
しばらく立ち上がれなかったとか。
その後、長男からは「生きてます!」のメールが。
その時はまだ、福島第一原発の事故は表立っておらず、
これがさらなる甚大な災害になるとは知る由もなかった。
黙祷。
←クリックで応援をお願しいします。
強烈な緊張感を覚えたのを思い出します。
ちょうどその時は、
国道10号を北九州から大分方面へ車で移動中で、
車の中ではNHKラジオの参院予算委員会の中継が流れていた。
当時の首相、菅さんが外国人献金問題で答弁中だったと思う、
突然、緊急地震速報のチャイムが割って入った。
数秒後には放送は渋谷のスタジオに切り替わり、
アナウンサーが地震警報を伝えている最中に
「ああ、今、渋谷のスタジオが大きく揺れています」
「随分長く揺れが続いています。スタジオの中が・・・・
あの冷静なNHKのアナウンサーにしては珍しいほど取り乱していた。
その後、震源と各地の震度が繰り返えされ、津波警報が発令。
繰り返し刻々と津波到達時刻が発表され、
さらにアナウンサーの緊迫した放送は続く。
上空のヘリから送られる映像を見ながらと思うが、
「津波が直ぐそこまで迫っています。」
「まだ、海辺で何人かの人影が見受けられます。」
「どうかこの放送を聞いている方は教えてあげてください。」
現実に今起きていることなのかと自分の耳を疑うほどで、
遠く離れた九州にいる自分にはどうするもできない。
ラジオから聞こえてくるこの生々しい放送は
現実なのかと耳を疑うほどの緊迫感を覚えたものだった。
次第に時間が経つにつれ各地の被害状況が次々に伝わり、
聞きなれた地名が関東地区まで発表されている。
尋常ではない災害であることは直ぐ分かった。
自分の周りでは気仙沼市役所に勤務するOさん、
仙台宮城野区在住のTさんの安否が気になったが電話も繋がらず。
唯一調布の叔母とは電話が繋がり、
かつてない地震の大きさにしゃがみ込んだまま腰が抜けて
しばらく立ち上がれなかったとか。
その後、長男からは「生きてます!」のメールが。
その時はまだ、福島第一原発の事故は表立っておらず、
これがさらなる甚大な災害になるとは知る由もなかった。
黙祷。
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何をどのように優先するか、一人一人に何ができるか、そういうことを思わざるを得ません。
亡き人々を悼み、避難者・被災者の平穏の回復を祈ります。
次々にやってくる災害
丁度あの日は渋谷から帰るバスの中
揺れるたびに停車してやっと着きましたが
駅もバス停もタクシー乗り場も長蛇の列
夫は歩いて夜遅くの帰宅でした
自宅は何の被害もなくほっとしましたが
携帯もつながらず夜遅くに一気に届いたのを覚えています
夜も服を着たまま寝ていました
テレビに映る惨状は目を覆いたくなるものばかり
福島はいまだに・・・・・
原発は怖いです
今はコロナですが
それはみんなが気を付ければ収束につながります
心して過ごしたいと思っています
そうですね。今の日本何処にいても地震から逃れることは出来ず、
沿岸部では津波の被害も同じです。
これは人の力で防ぎようがなく、備えるだけではないでしょうか。
しかし、原発もそうですが最近の50年に一度といった集中豪雨や台風は、
私たち人間の一人一人の心掛けで地球環境を守ることで防げると思います。
子や孫のためにも。
その日はご主人も無事帰宅されて良かったですね。
帰宅困難者という言葉が出始めた時でしたが、
家の長男はちょうど就職したばかりの頃で会社に泊ったとか。
放射線もそうですが、コロナウィルスも目に見えないため厄介ですよね。
これも我々人間が発生させないようにすることが必要だと思います。
どちらも早い終息を願っています。