ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

そのとき私は・・・

2020-08-12 | よもやま話
一年経つのも早いけど、
もう35年も前のことになるのか。

群馬県上野村御巣鷹の尾根。
あの衝撃的な日航機墜落事故です。

ジャンボ機の墜落事故ということで、
当時、同じ業界にいた私は強烈な衝撃を受けたことだった。

いまでもお盆前になるとその日のことを思い出す。

1985年8月12日、福岡から羽田に向ったジャンボ機。
折り返し大阪行きの日本航空123便が機材トラブルに遭遇。

乗員乗客520名が亡くなられ、
日本国内で発生した航空機事故では最多。

今年はコロナ禍で参加を見合わせる人もいる中、
遺族らは現場となった御巣鷹の尾根へ慰霊登山に出発したという。





ジャンボ機といえば当時の花型機で、
日航は100機以上を保有する超エリート企業だった。

事故翌日の朝の廊下でのこと、
普通であれば考えられない光景が。

出発のブリーフィングを終えた日航の客室乗務員たちが
大声ではしゃぎながらシップに向かっていたのです。

自分の会社の飛行機が墜落事故を起こし、
多くの乗客が犠牲となり同僚も亡くなったというのに・・・

良いほうに考えればこれがプロ意識?


また、当時のエピソードで・・・

空港のキャリア会議の席上においても、
各社喧々諤々意見を出し合うなかで日航さんだけはいつも黙ったまま。

ある程度意見が出そろったところで、
会議の主催者は “日航” さんの意見を求める。

するとその日航さんの一言で
大抵の物事は決まってしまうのだ。

当時の “日航” そういう存在感?のある
お化け企業のイメージがある。


いま航空業界はコロナ禍で厳しい経営環境にさらされ、
最近では乗務前の飲酒が摘発されているが、
安全運航にだけは徹してくれることを願っている。




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2 コメント

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Unknown (ビオラ)
2020-08-13 23:42:26
今晩は~☽☆

同じ業界にいた
・・・そうだったんですね・・・。

あの事故は、あまりにショックが大きすぎます・・・。
今でも、忘れる事はありません・・・。

今、コロナの事が原因で、航空業界は、大変な事になってますね・・・。
パイロットの方は、操縦する機会が、激減している事で、技術面・・・、腕は、落ちないのかなと・・・、ちょっと、気になってるんですが、その辺りは、大丈夫なのでしょうか?
シュミレーションできる画面での練習で、操縦の感覚は、保てると言うような事も聞きますが・・・、どうなんでしょうか?
やはり、実際の操縦にまさるものは、ないと思い・・・、気になったりですね・・・。

色んな部門で、優秀で、今まで活躍していた人達も人件費削減の対象になったりあるかと・・・。

何んとか、元のように、
人々に・・・、夢と一緒に、空の移動を、楽しませてくださるように戻らないかと・・・、
切に願うばかりです・・・。
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ビオラ さん (atcchin)
2020-08-14 09:12:25
おはようございます。
いま、人が動くことに関係する業界は大変ですよね。
特に航空業界は影響が大きいと思われます。
操縦する機会が減っても技術面は大丈夫でしょう。
車の運転もそうですが、技術は身体が覚えているものです。
ただ、車と違うのは確認チェック作業が多いことでしょうか。
ただ、乗員のフライトチェックは常時行われていますから心配は無いと思います。

ウィズコロナの日常とはどう変わるんでしょうね。
まったく前の状態に戻れるのかが気になります。
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