まるみのあっちこっち巡り

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日本の城の起源 吉野ヶ里遺跡 前編

2012-03-25 00:08:11 | お出かけ 九州・沖縄

吉野ヶ里遺跡は、700年間も続く弥生時代の集落の跡。

弥生時代の全ての時期の遺稿・遺物が発見された
学術的価値の高い遺跡です。

東口駐車場に車を停め、チケットを購入し入場です。





広く稲作が行われるようになった弥生時代。
水の権利などをめぐって戦いが起きるようになり、
外敵から集落を守るため、周囲に濠を巡らした
「環濠集落」が作られるようになったとか。

これが城のルーツと考えられているのです。





吉野ヶ里遺跡の面積は約40ヘクタール、
福岡ドーム6個弱に相当するそうです。
(九州ですから東京ドームではありません)





この広大な遺跡を見学にするのに便利なのが、
園内バスの「ひふみ号」。

毎時15分・45分に発車する無料バスに乗車し、
園内の説明を受けながら北墳丘墓まで行きます。





吉野ヶ里を治めていた
歴代の王の墓と考えられています。

弥生時代中期、紀元前2世紀のもので
見つかった甕棺に玉や剣が一緒に収められていました。





こんな感じだったのでしょうか





甕棺墓列は、一般の人々の墓地です。

素焼きの土器に手足を折り曲げて入れて
土の中に埋める埋葬方法で、
吉野ヶ里では600mにおよぶ墓地が発見されています。





祀堂は、先祖の霊に毎日お供え物を捧げ、
お祈りをするための施設と考えられています。





北内郭は、神聖で最も重要な場所と考えられています。

田植えや稲刈りの日取り、お祭の日を決めたり、
大きな「市」を開く日を決めるなど
儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていました。





まっすぐ入ってこられないような構造をし、
周囲を囲む二重の環濠となっています。

さて、建物の内部に入ってみましょう。



吉野ヶ里歴史公園

佐賀県吉野ヶ里町田手1843

2012.3.3
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