備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

「スーダラ節」「無責任男」 植木等さん死去

2009-02-12 22:13:01 | 訃報

Kodak DC4800 ヴェトナム

'07/03/28の朝刊記事から

「スーダラ節」「無責任男」 植木等さん死去 80歳

映画「無責任」シリーズなどの軽妙な演技で、高度成長期の大衆の気分を体現したコメディアンで俳優の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。
葬儀・告別式は近親者のみで行う。
後日、お別れ会などを開く予定。喪主は長男広司(ひろし)さん。

植木さんは今年1月から食欲不振などを訴え、入退院を繰り返していたが、3月中旬から病状が悪化したという。

父親の後を継ぐため東京で僧侶の修行をしてたが、東洋大在学中に歌手を志して音楽活動を開始。
1947年にNHKラジオ「お昼の軽音楽」でデビューした。

57年から、ハナ肇さん率いる「クレージーキャッツ」のメンバーとして活動。
61年に「チョイト一杯のつもりで飲んで」の歌いだしで愛された青島幸男さん作詞の「スーダラ節」がヒットし、国民的人気者に。
翌年の「ニッポン無責任時代」に始まる東宝映画「無責任」シリーズやクレージーキャッツ主演シリーズもブームを巻き起こした。
テレビでは72年まで11年間続いたバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」などで「お呼びでない」「分かっちゃいるけどやめられない」など多くの流行語を生んだ。

50歳で主演した北条秀司作の舞台「王将」で新境地を開き、以後は性格俳優として幅広い演技をこなした。

黒沢明監督の「乱」や、木下恵介監督の「新・喜びも悲しみも幾歳月」での演技が、国内の各映画賞を受けるなど高い評価を得た。

歌手としても「スーダラ節」のほか「五万節」「ドント節」「ハイそれまでョ」などのヒットがある。

植木さんは45年、東洋大在学中に援農学徒として現在の伊達市で半年を過ごした。
97年にはゆうばり国際映画祭にも参加し、出演作2本を上演する「植木等劇場」が開催された。

93年に紫綬褒章、99年勲四等旭日小綬章を受章した。


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西山事件訴訟 元記者の請求棄却

2009-02-12 21:37:16 | 政治

Kodak DC4800 ヴェトナム

'07/03/28の朝刊記事から

西山事件訴訟 元記者の請求棄却
東京地裁 沖縄密約触れず


日米の沖縄返還協定をめぐる機密扱いの公電を外務省の女性事務官から入手し、国家公務員法違反の罪で1978年に有罪が確定した元毎日新聞記者西山太吉さん(75)=北九州市=が「協定には違法な密約があったのにもかかわらず、違法な起訴で名誉を傷つけられ、記者活動の停止に追い込まれた」などとして、国に謝罪と3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、東京地裁(加藤謙一裁判長)であった。
加藤裁判長は、不法行為から20年で損害賠償の求償権が消滅する民法の「除斥期間」を適用し、請求を棄却した。
沖縄返還に際し、日本政府が米国側費用を肩代わりするとした密約の存在については判断しなかった。
原告側は控訴する方針。


「20年経過 権利消滅」
判決理由で、加藤裁判長は西山さんに対する起訴などから今回の訴訟の提訴まで20年以上が経過していることを指摘、「仮に不法行為が成立するとしても、損害賠償請求権は既に消滅した」と述べた。


沖縄返還密約
1971年6月に日米間で調印された沖縄返還協定で、米側負担と定められた軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本側が肩代わりする密約があったのではないかと調印直後に毎日新聞政治部記者だった西山太吉さんが記事で指摘。
72年3月、西山さんが外務省の女性職員から入手した極秘電文を基に当時社会党の横路孝弘衆院議員が衆院予算委で密約の存在を追及した。
日本政府は現在も密約を否定しているが、2000-02年、密約を裏付ける米公文書が発見され、昨年、交渉を担当した吉野文六・外務省元局長も密約があったことを認めた。



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