履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
カケス 7の1
多盛老人の末子であった保君は、私と同年輩ではあったが、学校では早生れの私より一級遅れて居た。
私の家の附近には、向いに多盛老人の家が一軒きりと言った関係が多分にあったが、学校から帰ると保君と私は、いつも仲良く遊んだものであった。
私の家の裏に一度は開墾をしたことがあるらしい二段歩程の空地があったが、其処には一米程の背丈でヨムギの枯立が密生して居た。
それは、私達が引越て来てから一週間程経過をした或る日の午后のことであったが、保君と私が、石蹴と言う競技的な遊びをして居た時に、私の名を裏の物置から母の声が呼んだので、「保君、一寸待ってくれ」と、タイムを要求して私が物置へ駈けつけると、「焚付けが無くなったから、裏の枯れたヨムギを折って来ておくれ」と、母が言いつけたので、「よっしゃ」と、裏へ行って枯れたヨムギを一本一本ポキンポキンと折って居ると、傍へ寄って来た保君が、「そのヨムギどうするのよ」と、聞いたので、「うん、これお母さんが焚付けにするのよ。」と私は答えた。
すると「よし、それならば俺も手伝ってやる」と言って保君は、私と少々離れた所でそのヨムギを手折り始めた。
私が五十本程手折ったヨムギを、「これだけあれば良いかい」と言って、母へ差出すと、その枯ヨムギを私の手から受取った母が、「毎日使うんだから、もっと沢山取って欲しいわ。」と言って居る所へ、私の三倍以上の量を抱きかかえて来た保君が、「おばさん、焚付けにするのなら、雁皮と言ってとても良い木の皮があるよ、だけどおばさんが、この枯ヨムギで良いと言うのなら、俺、此処の奴全部取ってやるよ。」と言ってから、「俺うまいことを考えたんだ、今作ってくるから一寸待っとれよ。」と、その一抱えの枯ヨムギを母の前へ投げ出して自分の家へ走って行った。