「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京の海 月島、お台場にもあった水泳道場

2019-07-15 06:03:58 | 政治

7月の第月曜日は「海の日」国民の祝日だが、大方の日本人は、そのいわれも意義も知らない。夏休み前の単なる連休にすぎない。毎日が休日で時間をもてあます老人にとっては、若く元気だった頃の「海」の回想にふける一日にすぎない。

戦前の東京は「海」が近くにあった。文久3年創立のわが母校、攻玉社の校歌は”窓には見ゆ船の帆、庭には満つ潮の香”で始まるし、応援歌は”大洋の水洋々と走りてここに止むところ”で始まる。明治時代、母校が東京湾に面する竹芝の浦にあったころを歌ったものだ。僕が子供だった昭和10年代にはこの風景はもう見られなかったが,山手線の車窓から、漁船の船泊も見えたし古い料亭の建物もあった。

昭和15年(1940年),僕は海洋少年団主催の水泳道場に参加している。省線(JR)浜松町駅近くの桟橋から(はしけ)に乘り第四お台場に運ばれた。台場の岸には木製のドックがあり、僕ら初心者はこの中で泳いだ。僕はこのドックの中で初めて浮くことができたし、赤い六尺褌を自分で締めることができた。

亡父が水泳道場に関係していたので、昭和16年には月島の道場にも通った。都電の月島の終点を降りてかなり歩いた埋め立て地であったが、今は埋め立てが進んでどこだか推定でいない。当時でもがひどく、泳ぐ気にならなかった。月島は今や”もんじゃ焼き”の名所だが、当時は食糧切符による外食食堂しか店は開いていなかった。

 

 

 

 

 


政治の季節 プアサ(断食)の中のジャカルタ暴動

2019-05-25 05:45:03 | 政治

先に行われた大統領選挙の結果に不満をつ野党分子が21日深夜から大統領官邸などもあるジャカルタ中心街でデモを行い、一部が暴徒化して治安部隊と衝突した。デモは政治好きのインドネシア人にとっては政治の季節にはつきもの。僕も新聞社勤務の現役時代何回も経験しており、中でも1974年1月の田中角栄総理訪問時のデモは反日、規模の大きさからいってまだ記憶に新しい。

インドネシアは人口2億4千万人を抱える世界第四位の大国であり。わが国からのODA(開発援助資金)累積最大の国で、歴史的にも関係が深い。現在も1800社の日本企業が投資し、2万人もの日本人が常駐、日本人使館校もある。しかも、大使館の建物もデモ予定地に入っている。もしものことがあれば、一大事だったが、事前の大使館からの危険通告が徹底し、日本人はデモに一切、巻き込まれずに済んだ。

デモの背景の一つとしてイスラム強硬派ISの流れを組むFPI(イスラム擁護戦線)があるのではと聞きかじった。インドネシアは信徒数からいえば、最大のイスラムの国家である。デモが本当にFPIの組織の下で行われたとすれば大変なことだが、僕は現地の邦字紙,ジャカルタ新聞にに掲載されていた日没のプアサ(断食)明けの弁当を美味しそうに食べる治安部隊の兵士の顔写真を見て不安は消えた。この国は穏健な回教徒の多い国でなのだ。