「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       鳩山総理 ”あなたを信用しません”

2009-12-31 06:44:30 | Weblog
鳩山総理の普天間飛行場の移設問題の処理についてオバマ大統領の周辺はいらだちを
感じ”trust me"(私を信じて!)という総理の言葉に首をかしげ始めている、と米国の新聞
が報道しているそうだ。ニュースの信憑性は、別として、かなりの日本人も総理の言葉に信
頼を置かなくなっているのではないか。

「政権交代」をうたい総選挙で大勝利した鳩山内閣は発足して100日余で早くも誰が党首だ
か判らなくなり、選挙公約(マニフェスト)も守られず、先送りばかりだ。最たるものが普天間
問題だ。5月まで決定が持ち越されたが”四次方程式”(菅副総理)で、果たして解けるもの
かどうか、意見がまちまちである。

僕ら年寄りにとっては最大の関心事であった後期高齢者医療制度廃止という公約は2年先
とか4年先とか引き延ばされ、最近は話題にもならず黙りこくり戦術みたいだ。後期高齢者に
とっては2年、3年は、それこそ”死活”の問題なのだが。

今年もあと一日になった昨日”人間のための経済””輝きのある日本”とまたぞろ美辞麗句を
並べた経済成長戦略なるものが発表になった。100兆円の需要を創造し、400万人の新規雇
用を創出するという戦略だ。実現できれば結構な話だが、国民は政権公約で懲りている。鳩
山総理の話は”not trust"だ(信じない)。

気象庁の発表によると、日本列島は暮から新年にかけて暴風や高波、大雪で荒模様の予報
だ。これが来るべき年の前兆にならないことを祈っている。



     貧困ビジネスの脱税 総理の生前贈与

2009-12-30 05:56:16 | Weblog
貧困ビジネスが脱税で国税局から告発されたという。貧困ビジネスとは生活保護受給
者らに低額宿泊所を提供するなどをビジネスにしている業者のようだ。一見、正義の味
方、月光仮面みたいな商売だが、脱税でカネ儲けをしていたらしい。不況の中で咲いた
アダ花みたいなものだ。

この貧困ビジネスを大きく報道する新聞の記事の横に”5・7億円納税、首相側発表”とい
う小さな記事が載っていた。鳩山総理の例の偽装献金に関連して母親から政治資金を
受けていた、あのおカネである。おカネは結局母親からの生前贈与と判断したのであろう。
でも外部からの摘発がなかったならば、言葉は悪いがドロンした可能性もある。

貧困ビジネスで告発された業者の名前は「FIS」。FISとは「Faith in Passion Service」の
略で”情熱のこもった誠実な奉仕”という意味だそうだ。鳩山総理の政治信条は”友愛”。
言葉だけで実がないという点では両者、一脈あい通ずる感じがないでもない。

派遣大手だった「グッドウイル」(善意)も名前に反した仕事がばれて倒産した。民主党のマ
ニフェスト(政権公約)も羊頭狗肉、大風呂敷な感じがしてきた。昔から「巧言令色」という
言葉がある。美辞麗句には心がないという意味である。





  トップセールスの大統領 財産管理の出来ない総理 

2009-12-29 06:51:06 | Weblog
韓国の電電公社企業連合がUAE(アラブ首長連邦)初の原子力建設契約をフランス
や日米企業連合を押さえて受注した。総額400億㌦(約3兆6400億円)という巨額な
プロジェクトを韓国が一手で受注できた裏には李明博大統領の自ら乗り出したトップ
セールスの力があったということだ。

李明博大統領は政治家になる前は「現代建設」の社員だった。韓国初の海外受注
工事、タイのバタニ高速道路建設プロジェクトは李明博氏の手によるもの。その後の
中東地域でのアラブ造船所建設や工業港建設も氏が手がけている。大統領が入社
した当時の「現代建設」は社員90人程度だったが、今は16万人の大企業に成長して
いるが、大統領はその功労者の一人といわれている。

李明博大統領は1941年、日本の植民地時代の大阪市の平野区の生まれ。父親は
牧場の労務員だったが、戦後すぐ韓国に一家をあげて帰国した。朝鮮動乱の中で、
一家は転々と職を変え、李明博氏も働きながら定時制高校を終え、苦学して大学を卒
業している。苦学力行の人である。

日本では最近、故田中角栄氏の後、苦学力行タイプの総理が出ていない。鳩山総理
に至っては”乳母日傘”で育った。あまりに恵まれた家庭で育ったためか、母親から貰
った財産の管理さえ出来ない。どちらが良いのかいちがいにはいえないが、国民を鼓
舞する意味では、トップセールスに軍配は上がる。

   またまたバリ島殺人事件 危険な女性一人暮らし

2009-12-28 07:13:41 | Weblog
またまたバリ島で日本の女性が殺された。小ブログは9月30日、日本の女性観光客
が殺された時”まだ懲りぬ日本の女性たち”と、バリ島での観光の”落とし穴”につい
て警告した。今回の犠牲者は、現地総領事館の記録によると、2001年からのロング
ステイで、届け出もあったが、現地滞在許可は切れていたようだ。

僕は1967年以来、10数回バリ島を観光で訪れているが、2006年を最後に出かけてい
ない。その理由を”バリ島への提言”として小ブログ(2006年12月1,2日)に書いた。
要約すると、それは事件の多発するビーチの自然の喪失と、”ジゴロ”と現地で呼ばれ
ているビーチボーイとそれを買春する日本人女性との関係である。昔のバリを知ってい
る僕は、もう二度とここへは行きたくないと決めた。

バリ島には2006年の時点で3000人近い日本人が、長期滞在者として総領事館に登
録があったが、当時の関係者の話ではこの他にも”ジゴロ”と同棲している不正滞在者
も多いという話であった。

バリは確かに観光資源に恵まれており、信仰に明け暮れているバリには昔は犯罪など
皆無だった。それほど魅力のある島だった。日本人の若い女性がここに惹かれるのは、
よく理解できる。物価も日本に比べれば安く、今回の犠牲者が借りていた長屋風の家
賃は月、日本円で5000円ほどだった。

しかし、あくまで外国である。日本でもそうだが、女性の一人暮らしは危険である。南の
国の解放的な風土だけに余計気をつけなければいけない。



          どうなっているの自民党

2009-12-27 06:56:02 | Weblog
自民党の現職参院議員がここにきて3人も離党手続をとった。野に下った自民党の
動向はあまり新聞に出てこないが、党内で何がおきているのか?来年8月の選挙
を控えて、党内の結束が今、一番必要な時期である。しかも鳩山内閣が政権公約
違反で迷走を続けており、今こそ逆襲にでるチャンスだというのにだ。

テレビの画面に久しぶりにかっての自民党参院幹事長だった青木幹雄氏の顔が写
った。現職の大島理森幹事長と何やら話あったようだが、一部の報道によると、参院
比例区の自民党の定年制についてだという。自民党は衆院選の比例区では73歳参
院選では70歳という内規があるそうだが、この内規に特例を設けて、次期参院選に一
部の”長老”を公認候補として認めるべきかどうかという問題だという。

正直いって青木氏には大変失礼だが、氏は自民党の古い”顔”の代表みたいな印象
が国民にはある。先の総選挙で大敗した原因の一つは長老による派閥政治だという
指摘もある。有権者は自民党のこの体質に審判を下したのだと思う。70歳定年制が
よいのかどうかは解らない。ただ小泉純一郎・元総理は、当時73歳定年制を守り、中
曽根、宮沢両先輩総理の比例区立候補に断を下している。

今、自民党に必要なのは本来の保守政党としての良さ維持する一方、選挙で大敗した
敗因を猛省することである。それには長老たちは一線から退き、次世代の政治家たちに
任せるべきである。過去の”顔”では勝てない。



      2010年政府予算案 忘れられた老人福祉

2009-12-26 07:01:02 | Weblog
「コンクリートから人へ」「命を守る」とうたった政府の2010年度政府案が閣議
決定された。その説明の鳩山総理の記者会見をテレビでみたが、老人福祉に
ついては一言の言及もなかった。政権公約(マニフェスト)だった後期高齢者医
療制度の廃止はウヤムヤにされたあげく、予算案でみる限りこれといった老人
福祉対策は一つもない。

「子ども手当て」や「高校授業料の無料化」は将来のわが国を見据えたもので
あり賛成だ。ただ社会保障費の大幅な伸びの中で、老人福祉が置き去りにさ
れたのはどういうわけかー。群馬県の特別老人施設「たまゆら」で象徴されるよ
うに、わが国の老人福祉は深刻で、施設に入所したくとも入れない”待機”老人
で一杯だ。

現在、65歳以上の日本の老人人口は21・3%だが、数年内には日本人の四人
に一人は老人の時代がくる。にもかかわらず、具体的な政策がみられない。今
でも生活保護を受ける老人が急増してきている。僕の旧友は来年傘寿(80歳)を
迎えるが、生活保護の世話を嫌い週に数回、学校の夜警の仕事をしている。

鳩山総理はあまりにも恵まれた生活環境にあって、日本の老人が今置かれた生
活を理解していないようだ。小ブログで何回か紹介したが、卒寿の僕の友人は軍
人恩給まで収入に加算されて後期高齢者医療保険で3割の自己負担をしている。
僕も僅かな収入なのに”現役なみ”と認定され3割負担をしている。

息子に数千万円のおカネを分け与える大金持ちとは違う。こういう時代である。僕
らも相応の協力は、惜しまないが、あまり美辞麗句で年寄りをだますのだけは止
めてほしい。

          鳩山総理 謝罪でなく辞任を!

2009-12-25 06:07:45 | Weblog
昨夕、テレビで鳩山由起夫総理の偽装献金の謝罪会見をみた。総理としてではなく
一議員としてで、官邸ではなく市内のホテルで、議員バッジをはずしての会見であっ
た。そして、司会者は小沢一郎幹事長の下の副幹事長であった。僕の思いすぎだと
思うが、この会見も”剛腕”氏の指図、演出ではないかと映った。

胸の議員バッジは、国会外でははずしているという説明だったが、総理としての釈明、
謝罪なのに、なぜ一議員としての”謝罪”とわざわざ断わるのか、今ひとつ僕には理解
できない。多分、一国の総理の謝罪となると、事が重大で、口をすべらすと政権運営に
も影響があるという配慮からなのだろう。

東京地検の公設秘書への起訴内容を見て、改めて総理の金銭感覚のズサンさに驚いた。
総理自身も”どうせ信じてもらえぬだろうが”と投げやりにもとれる言葉を吐いているが、一
般の家庭では考えられない。こんな浮世離れの感覚で国政に当たられてはとぞっとする。

”秘書が起訴されれば議員を辞職する”とのメルマガの公言も”過去にあったことは否定し
ない”といっただけ。鳩山総理の発言には整合性がなく責任がない。この人の口癖の”思
い”だけで実現性がない。

総理は自分の政治進退について”鳩山辞めろという国民の声が圧倒的になった場合、国民
の声を尊重しなければならない”と言っている。国民の目線、目線と言っておきながら目線が
解らない総理は一日も早く退陣して貰いたい。



     だびに付された旧日本軍のご遺骨300体

2009-12-24 06:58:39 | Weblog
(財)インドネシア協会の「インドネシア通信」最新号の短信欄にショッキングな
ニュースが載っていた。インドネシア・パプア州ビアク県スンベルクル村の洞窟
から旧日本軍兵士の遺骨300体が収集され、だびにふされて日本側に引き渡
されたというのである。このニュースは現地の新聞からの引用だが、日本のメデ
イアも報道したのであろうかー。少なくとも僕は知らなかった。

ビアク県はニューギニア北西部の淡路島の3倍ほどの小島だが、大東亜戦争の
末期、この島に建設された日本軍の飛行場をめぐって逆上陸してきた倍する連合
軍との間に死闘が展開され、日本の陸海軍部隊約13000人が玉砕した。生還者
は僅かに数十名であった。

今回遺骨が収集された洞窟は、多分島の海岸線から2㌔ほど離れた急俊な山陵
に二つある自然の鍾乳洞のどちらかであろう。当時の戦史によれば、その一つは
2000人は収容できる大きなもので、司令部もあった。この洞窟に対して連合軍は
火炎放射器で攻撃した。その模様は「パラダイス島戦記」(宮坂英朋 岩波出版サー
ビス2002年)に詳しい。

長年ニューギニアの遺骨収集に当たっているNPO法人「太平洋戦史館」(岩手県奥州
市)の岩淵宣輝氏によると、ビアク島だけで6000体の遺骨がまだ現地に残ったままだ
という。今回の遺骨はその一部だと推定されるが、300体という遺骨はだびにふさない
と現地から祖国へ帰還できないほどの量だったに違いない。痛ましい。これを日本のメ
デイアが扱わないとすれば、戦争の風化である。



     ”子ども手当て”のばらまきは政治ではない

2009-12-23 06:45:13 | Weblog
近所の区立公園の前を通ったら黄色い帽子をかぶったA保育所の幼児たちで一杯。
そこへ橙色の帽子のB保育所の別な幼児たちがやってきて鉢合わせ。それほど広
くない公園は、両方の保育所の幼児たちで占領された形でにぎやかだ。

A,B保育園とも東京都の認証保育園で、国の基準による認定保育所と違って基準が
ゆるく、園庭がなくとも許可になる。保育園不足解消のため、都では平成13年から
鉄道沿線の駅前の保育所ならば、園庭がなくとも近くに代替の屋外遊戯場があれば
認可している。A,B保育所ともこの認証保育所なのだ。寒空の下、まだ母恋しい年頃
のニ、三歳児が砂場で遊ぶ姿はなにかいとおしい。おそらく園庭のない保育所なんか
文明国にはないのではないか。

鳩山内閣は政権公約(マニフェスト)違反ばかりの中でかろうじて”子ども手当て”だけ
は実施するようだ。収入に差をつけず中学生までがいる家庭には月額2万6千円(来年
度は半額)が支給される。該当の家庭にとっては嬉しい話だ。しかし、実際の子育ての
現場では、園庭もない保育所があったり、都会では保育所に入れない”待機児童”が
一杯いる。

おカネのばらまきなら誰でもできる。現実に対応した政策をたてるのが政治ではないの
だろうか。”(子ども手当て)が必要がない方には自治体に寄付して頂く制度を設ける”
(鳩山総理)。あまりにも現実を知らなすぎる政治家の言である。


    ガガーリン飛行士から野口飛行士への半世紀

2009-12-22 06:49:29 | Weblog
日本の宇宙飛行士、野口聡一さんが昨日ロシアのバイコヌール基地から打ち上げれ
た宇宙船ソユーズに乗って宇宙飛行に出発した。野口さんは國際ステーション(ISS)
に5か月間も滞在して日本の実験棟「きぼう」で無重力実験に挑戦し施設の維持管
理の仕事もするそうだ。

このニュースを聞いて僕は48年前、1961年4月、ソ連(当時)がヴォストーク宇宙船で
人類初の宇宙飛行を行った当時を想い出した。あの時は僅か1時間50分の宇宙飛行
だったが、ガガーリン飛行士が無事地球に帰還でき”地球は青かった”と言った言葉
に感激したものだった。僕は新聞社で外電を翻訳する仕事をしていたが、当時の同僚
の一人は、この快挙の直後生まれた長男に「宇平」君(宇宙平和)と命名した。

ソ連が初の人工衛星スプートニクを打ち上げたのは1957年10月である。ガガーリンの
宇宙飛行はそれから4年後。あの当時は冷戦下米国とソ連が競いあって宇宙開発をし
ていた。あれから約半世紀の歳月を経て、今回のソユーズにはロシア人の空軍大佐が
宇宙船を操縦し、米国の陸軍大佐と日本の野口副操縦士が同乗している。とても半世
紀前には考えられなかったことだ。それよりも宇宙へ単に行く時代から今は宇宙で生活
しこれを利用する時代に変わってきた。同僚が宇宙平和を願って「宇平」君と命名した通
りの時代がやってきている。感無量だ。