「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

"人生100年” リカレント教育の必要性

2018-01-31 05:57:01 | 2012・1・1
”人生百年”時代が夢ではなくあってきた。僕の周囲にも大正3年生まれ(104歳)と7年生まれ(100歳)の先輩がおられる。”銀さん金さん”の世界が現実化してきた。その時代を先取りして、通産省がリカ―レント(recurrent)教育の必要性を説く大綱を発表した。耳慣れない言葉で、80老にはよく理解できないが、人生100歳まで生きるには、現役を終えた後も生涯教育が必要だということらしい。

今、日本人の平均寿命は女性が87.14歳、男性が80.98歳だが、70年前の昭和23年には女性53.9歳、男性50.06歳にすぎなかった。70年間に寿命が30年も延びた勘定だ。しかし、日本の企業ではまだ60歳定年制が多い。昭和の時代ではまだ55歳であった。87歳(2月誕生日)の僕は、平成の30年間のほとんど年金を頂き”ご隠居生活”を送ってきたわけだが、振り返ってみると、リカレント教育がなかったならば、どうだったかと思うことがある。

”第二の人生”に備え、僕は定年前の50歳で転職しているが、1年間、まったく職に就かず当時高価であったインドネシア語のリンガフォーン.テープを買い求め自宅で独習、近くの大使館の講習会に通い勉強した。文字通りインドネシア語漬けの1年であった。結果的にはこれがリカレント教育であった。このリカレント教育のお蔭で新しい職が見つかり65歳まで働くことができた。

10年前、75歳からの後期高齢者医療制度が発足した時、”後期”という言葉をめぐって高齢者から反発があったが、今は当時以上に”後期”に違和感がある。100歳までの人生にまだ”四分の一”世紀ある。”人生100年”を退屈せず、健康に生きるためには心身ともにレカレントが必用かもしれない。


未曾有の寒さであった敗戦の年の冬

2018-01-30 06:38:26 | 2012・1・1

1月22日あら23日に東京に降った大雪が隣家の北側の屋根にまだ残っている。(写真左は23日、右は30日)すでに1週間たっているのだが、このところの最低気温蓮日氷点下の寒さに消えない。残雪の記録日ではないだろうか。気象庁の予想によると、明後日には、また東京は雪だとのこと。ひょっとすると、あのとても寒かった昭和20年1月―2月の敗戦の年の記録を凌駕するかもしれない。

亡父の残した日記帳の昭和20年2月1日の項には"元日以来未曾有の寒感とほとんど連日の空襲で早くも2月を迎えた”で始まっているが、73年前、敗戦の年の東京の冬はは2月22日に積雪量38センチという東京としては史上2番目の豪雪を記録するなど異常な年であった。当時、中学2年生で多摩川に近い六郷の軍需工場へ動員されていた僕は、この大雪の中を蒲田駅から工場まで行進したのを鮮明に覚えている。この豪雪から3日目の25日の日曜日、東京は再び大雪に見舞われ、その中でB-29の空襲で,神田、秋葉原周辺が焼けて死者まで出ている。

寒さと空襲の二重苦の中で、都民の間にはインフルエンザが大流行していたらいく、亡父の1月30日、31日の日記には”職場は欠勤者多く、だらけた空気”とある。しかし、明治生まれの父は26日の銀座空襲で山手線が有楽町駅で停車しないため東京駅から徒歩で通勤、これがたたって本人もダウンしてしまっている。僕が動員されていた蒲田の東海道線脇の防火用水には、捨て場所のないトイレの汚物が投げ込まれていた。恐らく、昭和20年の冬は史上最低であろう。

生活保護受給者に差別 ゼネリックス医薬品の使用

2018-01-29 06:27:42 | 2012・1・1
厚労省によると、生活保護受給者はゼネリックス薬品を使用することに法で明記されるらしい。超高齢化に伴い老人の医療費(医療扶助)が高騰、その対策の一助にと、老人が多い生活保護受給者を狙い撃ちしたのであろうか。ゼネリックス薬品は、英語のGenericsからきていて、一般的、総合的とう意味だが、欧米では薬品にかぎりブランド名に対して薬品一般の名称として使われているようだが、何故か日本では、特許期限の切れた薬品に使われ”後発医薬品”と訳されている。

調剤薬局の窓口には”ゼネリックス希望の方は申し出ください”と張り紙がしてあり、僕はもっぱら値段の安いこれを使っているが、やはり”後発”の名称には抵抗がある。”先発”に対して効き目が悪いのではないかという思いである。それに薬によってはゼネリックスがない場合がある。その場合、生活保護受給者はどうなるのだろうか心配だ。

日本の医薬分業は外国に比べて判然としていない。ちょっとした日常的な胃薬や風邪薬なら駅前のドラッグストアで買えるし、ネットでも購入できるらしい。それでも、医者の処方箋による方が安価なので、お年寄りの中には、たいした病気でもないのに、薬をもらうために病院通いをする。これでは高齢者の医療費が増えるのは当然である。

厚労省のお役人が机の上で生活保護受給者にはゼネリックスと考えるのは理解できる。しかし、国民の間にはゼネリックスは”安くて効き目の薄い”という誤解がある。それは”後発”という日本語訳からきている。わざわざ法律で、明記する必要があるのだろうか。差別社会を助長するだけだ。

"東京死ね”とは言わないが、都の老人福祉予算

2018-01-28 06:09:13 | 2012・1・1
東京都の平成30年度予算案が発表になった。産経新聞の東京版(1月27日25面)の見出しによれば、都民生活に重点を置き、子育て高齢者に過去最高額とあった。就任当時に比べて小池都政のマスコミ注目度は今一つだが、日本の首都の予算案である。老人の都民の一人の目から、高齢者福祉政策をみてみた。

小池知事が最重要課題としてだけに待機児童対策には1576億円を計上している。これは前年度に1381億円に比べて大幅の伸びで過去最高の額である。これに対して、特別養護老人施設(特養)整備のための区市町村への補助金は249円、前年度の125億円の倍増だが、数字のケタが違う。東京都には介護が今にでも必要な要介護3-5の高齢者が2万5000人近くいる。声なき老人は”東京死ね”と、都議会前でデモなどできないが、待機児童対策費に比べて少ないのではないか。

高齢者や障害者向けの公共施設や駅などの洋式トイレ化に7億円、多機能トイレの整備に7000万円計上したのは、老人にとっては有り難い。しかし、高齢者の生き甲斐のために「首都大学東京premium college」「100歳大学」に37億円はどんなものであろうか。横文字好き、マスコミ受けが好きな小池都政である。高齢者向けではないが、英語による疑似体験施設「Tokyo global gateway」に10億円必要なのであろうか。「都民ファースト」を掲げる小池都政だが、都民の中にも老人がいることを忘れずに。

難しくなった葬儀への対応

2018-01-27 06:00:15 | 2012・1・1
新しい年になってまだ、1か月足らずなのに、友人知人の訃報が4通も届いた。昨日も家族が町の掲示板に近所に住む町内会の世話役の訃報が張ってあったと知らせてきた。まだ僕より10歳近く若い方だ。彼のお母さんの葬儀にも出ており、昔なら当然お通夜告別式に出る中だが、二人とも通院日と重なってしまった。

最近、新聞の死亡欄を見ると、葬儀の簡素化からか、また他人に迷惑をかけては悪いという配慮からか葬儀を親族だけで済ますケースが多くなってきた。その”配慮”からか、生前親しかった友人でも、遺族からの知らせがなく、年賀状をみて礼儀的に知らせてきたように思われる。

訃報を受けた側も、その対応が難しい。若い現役の頃は多少葬儀場が遠くても出かけたものだが、80歳半ばを過ぎると、お通夜の参席は無理だし、足腰が弱って遠方への告別式へのも出席も無理である。結局、故人との生前の関係にもよるが、遠くから合掌して失礼することが多くなった。数年前までは、弔電を打っていたが、弔電はIT時代前の”遺物”で、果たしてご遺族に弔意が伝わっているかどうかわからない。それにバチがあたるかもしれないが高くて最近はやめた。

暮の喪中葉書が最近では、死亡葉書化してきたが、時代とはいえ寂しい感じがする。わが家では喪中葉書を受け取ると、生前のお付き合いの度合いにもよるが、仏前に菓子をお贈りしたり、少なくと故人への弔意を一言書いた葉書を送ることにしている。小さな家族葬には反対ではないが、人の死があまりにも簡単に扱われ始めた気がする。





大塚耕平”民主党”代表の国会質問

2018-01-26 07:05:28 | 2012・1・1
昨日の参院本会議の模様をテレビの国会中継で見ていたら、一番手で質問に立った大塚耕平民進党代表が”民主党.新緑で風会の大塚耕平です”と自己紹介した。すぐ苦笑しながら訂正したが、離合分散した旧民主党の亡霊が国会内に漂っていて判りにくく、国民には迷惑だ。参院は昨日、今日の二日間で各派の質問があるが、旧民主党からは、昨日は大塚氏のほか、岡田克也元代表が無所属の会で質問、今日は立憲民主党の福山哲郎氏が代表質問に立つ。 

民進党から”枝分かれ”した「希望の党」からの質問はなく、「希望の会」から福島みずほ氏が今日質問するが「希望の会」とは「希望の党”とは無関係で、小沢一郎氏の自由党と民社党との参院内の会派である。昨年の衆院選挙の際出来た、民進党前原誠司前代表と小池百合子都知事との間で、一部の民進党議員を排除して出来た政党とは違う。肝心の議員ですら所属の会派を間違えるのだから、僕のような政治に素人には余計判りにくい。

大塚 代表の「民主党」自己紹介は愛嬌といえば愛嬌だが、旧民主党議員の質問は、申し訳ないが同じように見えて、統一会派を組んで一人が代表質問すればよいのではないだろうか。先日の衆院本会議で、希望の党の玉木雄一郎代表が質問の中で、「排除」という言葉を使って議場がわいたそうだが、そんな言葉かりで喜んでおられたら国民が困る。憲法改正など政権与党から重大案件が提起されている。旧民主党は政権時に立ち返って一本になって欲しいものだ。大塚氏の失言の裏にもそれが隠されているのでは。

草津白根山 ”死火山”の噴火に思う

2018-01-25 05:34:51 | 2012・1・1
草津白根山が突然噴火爆発した。"草津よいとこ一度はおいで”の温泉で知られるが、ここに噴火するような火山があるとは知らなかった。3000年前に噴火したらしいが、有史以降の記録がない、いわゆる”死火山”の噴火である。まったく前兆はなかったそうで、被害がこの程度ですんだのは不幸中の幸いであった。

火山噴火についてゃ、まったく門外漢だが、白根山の噴火と同じ頃、フィリピン.ルソン島のマヨン火山も爆発した。ルソン島では1991年、死火山と思われていたピナツボ火山が噴火、爆発したのが記憶に新しい。インドネシアのバリ島のアグン山も昨年12月以来、活発な火山活動をしている。今回の白根山の噴火が、これら海外の噴火とは関係ないと思うが、素人には気になることだ。19世紀最大の火山噴火といわれる、スンダ海峡沖のクラカトワ海底噴火は1883年に起きているが、5年後、会津磐梯山が100年ぶりに噴火し大きな被害が出ている。

火山国の宿命だが、富士山の噴火も心配だ。1709年の宝永爆発以来、300年間噴火がない。気象庁はじめ関係機関が監視に当たっていると思うが、南海トラフ地震のような国を挙げての対策はあるのであろうか。草津白根山の噴火地点はスキー場のゲレンデから僅か200mであったという。”災害は忘れたころにやってくる”(寺田寅彦]。今回の白根山の噴火は、まったく想定外だといわれているが、これを機会に火山噴火の総点検をしてみよう。

意味があるのか 安倍総理の平昌五輪開会式出席

2018-01-24 06:13:13 | 2012・1・1
今朝の産経新聞(1月24日付け首都圏版一面トップ)によると、安倍晋三総理は2月9日から韓国の平昌で開かれる冬季五輪の開会式に出席するとのことだ。産経新聞は1月始め同じ1面トップで総理が平昌五輪へ参加を取りやめたと報じ、僕も”当然なことだ”と小ブログに書いた。その考えは今も同じだが、何故総理の気持ちが変ったのであろうか。多分、公明党や自民党の一部から反対があり、世論も賛成と反対とが相半ばかしてるからであろう。(昨日の産經FNN調査 賛成49.5%)

平昌五輪は開幕まであと10余日に迫り、韓国と北朝鮮との間の合同参加への取り決めはIOC(国際五輪委員会)を交えて着々進められているが、一方では韓国内で市民が北朝鮮国旗や金正恩労働党委員長の顏写真を焼いたりした行為に対して、北側は強く抗議し、参加撤回もじさない談話も発表している。国際間の協定、約束事など平気で”ドタキャン”する民族である。最後の最後まで何が起こるかわからない。

安倍総理は開会式出席に当たり、文在寅大統領との首脳会談の場を作り、「慰安婦」問題をめぐる韓国側の真意をただすという。しかし、五輪という晴れやかな場での話題としてどうだろうか。僕は安倍総理が第二次内閣発足前、あれだけはっきりと靖国神社参拝を約束しながら2013年12月、一度だけ参拝、その後は,例大祭での”真榊奉納”で済まされているのが何故か想起され、今回のケースもこれに似ているように見えてきた。その場しのぎでなければよいが。

平昌五輪の開会式には「北」と「南」が朝鮮半島を形どった旗を掲げ合同行進する。五輪には政治問題はないことは十分承知しているが、安倍総理は、この行進を観覧席でどう見守るのか。同胞の拉致問題は未解決である。祖国の頭上にミサイルが飛び交っても謝罪一つない国である。隣国としての礼儀はあるが、それは”まっとうな”国の場合である。安倍総理は平昌に行かない方がよい。

東京都心 平成の大雪

2018-01-23 05:55:50 | 2012・1・1
昨日昼すぎから東京都心にも降り始めた雪は夜半すぎまで続き、今朝(23日)起きてベランダの窓を開けてみたらご覧のような一面銀世界だ。気象庁の発表によると、都心での積雪が20cセンチでを超えるのは、2014年(平成26)年2月以来4年ぶりとのことだ。この時の積雪量は27センチで、都心での積雪量べストテンの10位であった。

ネットに明治以後の積雪番付が載っていたが一位が1883年(明治22年)2月の46センチ、5位が1887年の1月の31センチ、8位が1925年の27センチで、10位までの残りはすべて、昭和で僕は体験している。1980年代、僕は札幌で10年間滞在し、雪には色々想い出があるが、敗戦の年(1945年)東京に降った38センチ(第2位)と2.26事件の年(1946年)の36センチ(第3位)の大雪は忘れられない。

家の周囲の雪かきは子供や孫がすべてやってくれ、僕ら老夫婦は暖房のきく部屋で温もっていたが、改めて雪国の雪おろし、雪かきの苦労を想い出しながら、いつもながら、”これだけの”降雪で鉄道、道路などに支障をきたす都会の対雪インフラの毀弱さを思いさせられた。

一枚も当たらなかった今年の年賀葉書

2018-01-22 06:45:38 | 2012・1・1
少し古い話だが、今年の年賀葉書、わが家では一枚も当たらなかった。記憶にある限り初めてのことだ。毎年、3枚か4枚は3等の「お年玉切手セット」は当たっていたが、今年は受けっとった年賀葉書が100枚を割ったためだろう。しかし、疑い深い僕は、昔から郵便局のこの制度に疑問を持っている。10年前に書いた小ブログ(2008年1月28日)にも”年賀葉書当たりましたか”というタイトルで200枚貰った年賀葉書なのに僅か3枚なのにクレームをつけている。3等の当選番号は末尾2ケタ2枚なのだが、何故かこのあたり番号が確率からいって少ないのである。

昨日、頂いた年賀葉書を整理して新しい住所録を作って色々なことがわかった。老夫婦で100枚印刷したが、発送したのは95枚うち賀状の交換は87枚だけ。やはり、加齢とともに毎年数が少なくなってきている、その中で嬉しかったのは100歳を迎えた先輩を筆頭に大正生まれの90歳代の方が5人もおられることだ。一方、賀状の中には毎年は、印刷賀状に添えて必ず、一言添え書きがあるのに今年はそれがない。よく見ると宛先の筆跡がご本人ではないのである。また、賀状が来ない方も増えてきた。

僕は賀状は生きている限り、その証拠として年に一回は出す主義としている。しかし、相手から”今年を持って賀状は交換しません”という挨拶があると、来年からはそれでも送るわけにいかない。長年ご交誼のあった友人、知人はだいたい、これでもって縁が切れるのは残念なことだ。52円で済むことなら、僕としては鬼に笑われても来年も賀状は出すつもりだ。