「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        気配りがなくなってきた日本人

2009-03-31 06:15:41 | Weblog
東京では一定所得以下の70歳から上の老人は、年に1千円払うと都内を走るバス
と都営地下鉄に"無料”で乗れる。老人になると、どうしても出不精になり運動不足
になる。この"無料”パスがあると、経済的にも助かり,乗りつぎすれば、かなり遠出
もできる。

僕もこの恩恵に預かり,併行して走る便利な私鉄を敬遠して、時間はかかるがもっぱ
らバスを利用しているが、最近、どうも僕らの世代に比べて日本人が他人への気配
りがなくなってきたように感じる。

先日もこんな事があった。車イスの60代の女性が乗り込んできても、だれも手を貸そ
うとしない。車イスを固定する座席にいた若者は立とうともしない。女性は車イスから
降りて床をはっている始末なのにだ。

これは極端な例だが、普段でも二人掛けの座席の場合、通路側にすわって窓際を空
けていて、乗客がきても詰めようともしない。さすがに老人優先席に座る若者は少なく
なったが、一般席に座れば”ここは自分たちの席”とばかり老人が来てもたとうとしない。
半世紀ほど前、僕らが20代の頃は、老人に席を譲らなかったら、同じ若者から注意さ
れたものだ。

気配りがないといえば、乗車するさい、カードをどこへしまったか忘れてしまい、カバンの
中を探しまわっている若者も多い。それから降りる時も出口まですぐ来ない若者がめだつ。
動作がにぶくなったとは思えない。他人への気配りがなくなってきたとしか思えない。




         スーパー朝市 99円セールズ

2009-03-30 06:18:18 | Weblog
腰痛の老妻に代わって買い物はもっぱら僕が引き受けている。老妻はとえば
ずっしり入った新聞の折込広告を精査し"あそこの店の○○が安い、こちらの
スーパーの▽▽が安いと指図するだけ。僕にしてみれば、1パックの卵が5円
ぐらい安くても、どうということはないのだがー。

昨日もデパート系のスーパーの野菜99円セールズ朝市があるというので,開店
と同時にでかけた。すごい人手である。ふだんはレジに行列など出来ないのに
若い夫婦(僕より)がカーと一杯、買い物をしている。いくらぐらい買うのかと観察
したら4000円から5000円は買っている。一方、僕は老妻の言われたとおりムダ
なものは買わず、1000円程度の買い物だ。

内閣府の「社会意識に関する世論調査」によると、"日本が悪い方向に向かって
いるもの”(複数回答)の中で最も多かったのは「景気」だそうだ。先行きが見えな
い現状では無理もない。年金生活者は収入が限られており「景気」にあまり関係
ないのだが、やはり気分的に景気がよいほうがよい。

早耳の老妻がどこからか聞いてきたのか、隣の区では早くも交付金が支給された
そうだ。交付金を期待しているようでは寂しい限りだが、年金以外にこれといった
可処分収入がない後期高齢者には"長寿”特例を設け、現役より先に支給する、と
いった、粋なはからいをしてくれたらどうだろうかー。

サクラは咲いたが、ここへ着ての花冷えで懐はいっそう寒い。

      「新宿二丁目」 「品川遊郭」 「抹香町」

2009-03-29 07:38:28 | Weblog
「新宿二丁目」が”ニューハーフ”の町であるこいとをNHKのラジオで知った。僕ら
後期高齢者の世代にとって「新宿二丁目」の町名は、ほろ苦い響きがあり、昔は
昼間他人の前で口にするのをはばかった。都心からの都電が靖国通りの方角に
右折した一角で、昭和33年3月31日、売春禁止法が施行されるまでまで、ここで
公然と売春が行われていた。

昨日、品川の荒神様で知られる海雲寺の春の例祭に詣でたあと、足を伸ばして
東海道五十三次の品川宿をぶらり散歩した。品川宿も半世紀前までは、宿場と
いうより、遊郭として知られていた。京急線の北品川駅で降りて旧東海道に入る
とすぐに「土蔵相模跡」の石標がたっている。幕末、高杉振作らの志士が密議をし
た大妓楼があった跡である。僕の記憶では昭和30年代初期まで、この「土蔵相
模」の独特の海鼠壁は残っていた。

売春が政府公認で行われた場所を当時「赤線」と呼んだ。取締りの役所は非公認
地域を青線で囲み、公認の場所を赤線で囲んだことから来ている。都内にはこの
「赤線」は、新宿二丁目のほか、吉原、須崎、亀有、新小岩、武蔵新田など数か所
あった。東京だけでなく全国の主な都市にはどこにでも赤線があった。小田原の抹
香町は川崎長太郎の私小説でとくに有名であった。


こうした遊郭の世界は、いまや落語の世界にしか残っていない。若い世代には解り
にくくなってきた。多分、建物も「土蔵相模」と同じように壊された。文化財として残
すほど価値があるのかどうか解らないが、日本のかっての文化であったことには違
いない。


       後期高齢者の「お知らせ」にURLは解らない!

2009-03-28 06:54:40 | Weblog
「長寿医療制度のお知らせ」が東京都後期高齢者医療連合会という長ったらしい
役所から届いた。「お知らせ」が載っていた「東京いきいき通信」によると「長寿医
療制度」というのは「後期高齢者医療制度」のことだと断り書きが書いてある。なん
ともややこしい。要するに75歳以上の高齢者医療制度のことで、この制度が平成
21年度からこう変わったという通知である。

「お知らせ」を読んでみたが、僕にはすぐにはどこが変更になったのか解らない。まだ
それほどボケているとは思っていないのだがー。編集者は高齢者向けを意識して字を
大きくしたり、イラストを使ったり苦労しているのだが、いろんな情報をいっぺんに伝え
ようとするため、高齢者には理解しにくくしている。

「お知らせ」に”広域公式ホーム・ページをご利用ください”と、「東京イキイキネット」の
URLとケータイ版のURLが記載してある。編集者はご存知なのだろうか?後期高齢者の
何パーセントがパソコンを使っているのかー。ケータイだって持っていても通話機能しか
知らない。

先日、老人会の誕生日会のさいも役所から”振り込め詐欺”防止の説明に若い女性が来
て”お解かりにならなければ、こちらのURLにどうぞ”とURLを黒板に書いた。質問に立った
おばあちゃんの1人はなにを間違えたのか”その電話は録音ですか。録音電話は私たち
には質問できなくて”ー。後期高齢者は程度の差こそあれ、こんな理解度である。
「お知らせ」する前に後期高齢者に意見を聞いたらどうだろうかー。



       地方教委のパーフォーマンスの弊害

2009-03-27 07:26:14 | Weblog
全国公立校で唯一つ「全国学力テスト」をボイコットしていた愛知県犬山市教委が
今年から参加することが決まった。この変な独善的な教育委員会について、小ブ
ログは,過去何回も不参加の弊害を訴えてきたが、犬山市民ではないが、日本国
民の1人としてほっとした。

僕の持論は、犬山市教委のような地方教委が、あまり国の教育行政に反したり、
めだつパーフォーマンスはすべきでは、ないということだ。犬山市教委の教育長の
考え方は、僕に言わせれば、かっての日教組的偏向である。これでは地元の行
政が口を挟むのは当然である。これで良識ある市民も安堵したことであろう。

犬山市教委と事情は違うが、東京品川区教委もめだつことが好きである。朝日新
聞首都圏版が26日一面トップで伝えていたが、近く品川教委は区内で幼稚園児、
保育園児を対象とした小学校との一貫教育を実施する方針だという。この区では
先年、小中一貫校を区内に作った。その教育的成果は知らないが、明治以来、わ
が国の誇りであった学校と地域社会との絆をゆるめてしまった。

品川区教委の今回の改革の趣旨は、小学校入学前に幼稚園や保育園児に簡単な
読み書きや計算などを統一的に教育、一方ではいわゆる「小一プロブレム」という
新入学生徒の”わがまま行動”の抑止に役立てようというものらしい。これは文科省
の認可をえての改革なのだろうかー。

変なたとえで恐縮だが、新薬認可の場合、厚労省が事前に慎重な準備をしている。
幼稚園児、保育園児といえば無垢に近い。一地方の教委の問題でよいのだろうか。



           スカルノと「愛国の花」

2009-03-26 06:14:52 | Weblog
昨日、昔の東京が残る都心の日本庭園でユスフ駐日インドネシア大使を招きお花見
の会を開いた。
主催者は、戦争中インドネシア各地に駐屯していた軍人・軍属の人たちで、世話役を
除けば、平均年齢は88歳、最高齢は94歳という”超後期高齢者”の先輩たちだ。

インドネシアの初代大統領、スカルノが作詞した日本の歌に戦争中日本で流行した「愛
国の花」(福田正夫作詞,古関裕而作曲 昭和13年)がある。スカルノが作詞した歌は、
インドネシアでは”Bunga Sakura"(サクラ)という。その大意は「きれいなサクラは日本の
花、日本人が愛でている。ジャスミンはインドネシアの花、インドネシア人が愛でている。
これはアジアが一つである証拠である」というものだ。

この歌は昭和37年、今の天皇陛下ご夫妻が皇太子時代、昭和天皇のご名代として、イ
ンドネシアを訪れたさい、ボゴール宮殿でスカルノによって披露され、現地の小中校生1
万人が大合唱した。僕がインドネシアにいた41年から42年当時でもこの歌を知っている現
地の人が多かった。

日本庭園の昨日のサクラは、まだ咲き始めたばかり。残念ながら冷雨に煙っていた。でも
平均年齢88歳の”老兵”たちは、60数年前お世話になったインドネシアに感謝して想いを
はせ、また惜しくも南瞑の地で散華した戦友たちに心の中で黙祷した。


               ♯ 愛国の花
        真白き富士の気高さを こころの願い盾として 
        御国につくす 女(おみな)は
        かがやく御代の山桜 地に咲きにおう国の花



       「花は桜木 人は武士」 小沢代表          

2009-03-25 05:28:52 | Weblog
WBCの”侍ジャパン”の勝利は、日本中をを湧き立たせた。勝った”侍たち”の
喜びの顔もさることながら、勝利した瞬間のテレビ観戦をしていた日本人の喜
びの爆発がよかった。政治の空白、経済不安で閉塞状態だっただけに、”侍ジャ
パン”の勝利は、これを吹き飛ばし、笑顔の一帯感をもたらした。

皮肉なことに、国民が野球の勝利で酔っている同じ日,民主党小沢代表の秘書
が西松献金事件で起訴された。3700万円の政治献金について虚偽記載があっ
た、と検察側は言っている。にもかかわらず、小沢代表は党の緊急役員会では
潔白を主張し”続投”が承認された。記者会見では”納得が行かない”と、男の
”不覚”の涙まで流していた。

すこし小沢代表には厳しいかもしれないが、代表は”納得”出来なくとも、3700万
円という額を聞いただけで、国民一般は”なぜそんな大きなおカネが、政治に必要
なのか”と単純な疑問を持つ。小沢代表が手続上、問題がない”といった以前の
問題である。

小沢代表が、政治家として”政権交代”にこだわるのは解らないでもない。でも代表
の過去の”壊し屋”としてのイメージが強すぎる。この数年の参議院での数を頼った
政略で政治は空転してしまっている。

今年の桜は開花宣言は早かったが、ここへ来て寒さが戻り足踏みしている。昔か
ら「花は桜木、人は武士」という諺がある。桜も武士も散り際が大切なのだという
たとえである。




          台湾の"戦友”からの手紙

2009-03-24 06:44:58 | Weblog
僕は従軍経験はないが、台湾に二人の"戦友”がいる、そのうちの1人,陳さんから
航空便が届いた。僕が今年の年賀状に出来たら、老妻と一緒に台湾を訪れたい、と
書いたのに対し、いつくるのか、という"督促”状だ。手紙には陳さのケータイの電話
番号と息子さんの台北市内の電話まで書いてある。

僕が陳さんたちと初めて会ったのは、8年前、戦争中、彼らが所属してたスマトラ派遣
8899部隊(第25軍軍司令部)の戦友会が東京の九段会館で開かれた時だ。当時、僕
は、この部隊の駐屯地、西スマトラのブキティンギの防空壕で日本軍による現地人大
量虐殺のデマを調べていた。これは、まったく根拠のないものだが、現地では”虐殺”
が観光名所となり、日本の学者までがそれを信じ新聞にまで書いていた。

以来、僕は8899部隊の”戦友”となり、岐阜の高山で開かれた戦友会にも出席した。台
湾の二人も戦友会で日本へくると、必ず戦死した戦友が祀られている靖国神社に参拝
する。とくに陳さんは三つ下の弟さんが終戦まぎわ軍属として南方へ渡る途中、乗ってい
た船がバーシー海峡で沈没戦死している。

僕は彼らと苦労を共にした戦友ではないが”虐殺”のデマ調査にブキティンギに何回
か行っているうちに、彼らとの間に”戦友”意識が生まれてきた。陳さんからの手紙で
僕の最近の写真を送れと書いてあった。老妻と相談して給付金が支給されたら台湾を
訪れ、陳さんと林さん二人と再会したいと思っている。

         ホワイトハウスの"勝利農園”

2009-03-23 06:00:16 | Weblog
ミシェル・オバマ大統領夫人が娘二人に新鮮な有機野菜を提供しようとホワイト
ハウスの芝生の一角に"家庭菜園”を作り、クワ入りしている画面をテレビで見た。
ホワイトハウスに農園が出来るのは1943年(昭和18年)、当時のエレノア・ルーズ
ベルト大統領夫人が"勝利農園”を作って以来との事だ。

昭和18年といえば、日本でも戦争が激化して銃後では食糧難が始まっていた。米
などの主食は配給制になり、都会では野菜不足から家庭菜園をつくるよう奨励され
た。東京では昭和通りのような大通りでも一部が農園になった。

ルーズベルト夫人の"勝利農園”では何が栽培されたのであろうかー。日本では空
腹を満たすため,ハラにたまる芋類やカボチャ、とうもろこしなどが多かった。わが家
でも母親がなれぬ手で垣根にカボチャの蔓をはわせたが、うらなりで水っぽく不味か
った。それでも当時としては重要な栄養源であった。

オバマ夫人の菜園作りの目的の一つは、米国の"ファーストフード”文化への警鐘の
意味もかねられているのだという。クワ入れにはワシントンの子供たちも招かれて参
加している。植えられる野菜も芋やカボチャではない。ホーレン草やレタス、ブロッコリー
人参など薬草もあるという。平和な時代である。中学生であった僕らは多摩川の
河川敷の学校農場で"欲しがりませぬ勝つまでは”と、肥ダメの樽をかつぎながらトウモ
ロコシつくりに励んでいた。"敗戦農園”であった。

          高齢者の好奇心 ”べべ”考

2009-03-22 06:12:17 | Weblog
友人の主宰する(財)スペイン協会の集まり「ドンキホーテ」の会に、門外漢ながら
出席させてもらっている。参加者が3分の持ち時間で、広い意味での「スペイン」に
関係ありそうな話をする。3分ではもったいない話ばかりだ。昨日の会でも世界の
鐘の研究をされている方の話は面白かった。年寄りの好奇心を満たしてくれた。

僕もこの会に触発されて童謡「金魚の昼寝」に出てくる”赤いべべ”の"べべ”の語
源について話をした。”べべ”は、ご存知、赤ちゃん言葉で着物のことだが、なぜ、
"べべ”というのかの推論である。

先日、この会の話を用意するため、インドネシア語の中のポルトガル語からの借用
語を調べてみたら”bebe 赤ん坊、人形”とあった(「インドネシア日本語辞典」谷口
五郎編1982年)別の「インドネシア語大辞典」(インドネシア政府教育文化局編1986
年)には”ヨーロッパ女性の衣装”とある。一方手元にあった「西和辞典」(高橋正武
編1958年)には"赤ん坊、お人形”とあった。

これからは僕の推論だが、16世紀から17世紀にかけてスペイン、ポルトガルの船が
東南アジアの島々に渡航してきて、日本でも長崎を中心に鎖国までの約一世紀、南
蛮文化がもたらされた。その名残としてカステラ、パン、タルト、ボーラなどの南蛮菓子
の名前が今でも使われている。こういった菓子は、大名などへの贈物として使われて
いたようだが,Bebeーお人形あるいは着物として贈られていても不思議ではない。

高齢者の長生きのコツは絶えず好奇心を持つことだそうだ。