「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        財政危機 アイルランドからの警鐘

2010-11-30 07:08:05 | Weblog
財政危機に陥ったアイルランドにEU(欧州連合)とIMF(国際通貨基金)が最大850億ユーロを融資することで合意したという。1990年から2000年にかけて毎年10%の高い経済発展をとげ”ケルトの虎”と呼ばれたアイルランドだが、不動産バブルの崩壊と財政政策の失敗で、2010年度の財政見通しはGDP比25-30%にもなりかねないという。

アイルランドといえば、欧州の最貧国で、これといった産業もなく、1845年から49年にかけた大飢饉(じゃがいも飢饉)では100万人が餓死し、100万人が外国へ移民したこともあることで知られていた。そのイメージがあるから、あまり観光客も訪れなかったが、1992年、僕ら夫婦は当時ロンドンにいた息子を訪ねたさい、足をのばしてアイルランドの首都ダブリンを訪問した。大学時代、アイルランドの作家、ジェームス・ジョイスの本を読んだことがことがあったからだ。

ところが、予想に反してダブリンは、美しい整った街で観光資源にも恵まれていて、たった2日間の滞在だったが、十分に観光を楽しんだ。その一方、ダブリンの街はなんとはなく活気に満ちていた印象を受けた。ちょうど当時アイルランドは高度成長の最中だったのだ。

アイルランドの財政危機は、政府が景気刺激策を取らなかったからだという。カウエ首相は”アイルランド人は賢く誇り高い。立ち直りも早い”と楽観的だが、経済専門家の予測判断はそんなに甘くない。ところで、日本は大丈夫なのだろうか。民主党政権になってから一向に景気はよくならないし、財政危機は去っていない。鳩山、菅と二代続く"素人集団”の政治主導の政治が恐くなってきた。アイルランド財政危機も警鐘である。

       生活革命 自宅で夕食をとるビジネスマンマン

2010-11-29 07:46:54 | Weblog
現代男性ビジネスマンの「生活白書」ともいうべき調査結果が新聞に出ていた。これはシティズン・ホールディングズが昭和55年から4年ごとに行っている調査だが、僕のサラリーマン時代に比べてあまりの変容ぶりに驚きかつ大変面白く感じた。

何より変わったのは、毎日自宅で夕食をとると答えたビジネスマンが半分以上もいることであった。半世紀近く前の僕の現役時代には、自慢ではないが、仕事を終えて家に直行するようなサラリーマンは、ほとんどいなかった。僕も病気でもないかぎり上役同僚と一緒に会社近くの居酒屋にひっかかり、時には"午前さま”の帰宅であった。その裏返しなのだろう。勤務時間も8時間39分と前回調査の平成12年に比較して1時間近くも減ってきている。これは、このところの不況の影響で残業が減ったからであろうが、僕らの時代には、とくに残業の必要がなくとも、すぐ帰宅するのはまずいといった空気があった。

変わったものの一つはITだ。僕らの時代にはメールもネットもなかった。サラリーマンかけ出しの昭和30年代の初期には家に電話さえなかった。シティズンの調査では、今のビジネスマンは週に平均7時間59分、1日平均1時間近くメールやネットに費やしているとのこと。またテレビもほとんど同じ時間ぐらいみている。テレビが一般に普及したのは、今の天皇陛下のご成婚された昭和34年頃からだから、やはり、僕らのかけ出し時にはなかった。

サラリーマンが家族と一緒に夕食をとれるのは家族にとってはよい事だ。しかし、同じ調査によると、一日当たりの睡眠時間が6時間2分と、この調査が始まって以来の最短だそうだ。これは何を意味しているか解らないが、生きてゆくために現代はあまりにも情報量が多すぎることが原因しているのかもしれない。


          樹齢600年 品川寺の大銀杏

2010-11-28 08:37:29 | Weblog
旧東海道品川宿のはずれにある真言宗の古刹、品川寺(ほんせんじ)の大銀杏。樹齢600年、樹高25㍍、幹の周囲5・3㍍。例年より紅葉は遅く、一部緑の葉も残っている。600年の間、東海道の往還を見てきた。すごい生命力である。

            スッカラ菅と貧乏神

2010-11-28 06:58:25 | Weblog
菅総理が昨日、鳩山前首相と会ったあと記者団に”たとえ支持率が1%になっても辞めない”と語ったそうだ。政権維持への総理の強い意思を表明したもので、その意思はよしとしたいが、国民にとっては大迷惑である。さきの臨時国会でやっとのこと補正予算は通したものの、仙谷官房長官、馬淵国交相と二人の大臣の問責決議案が可決されている。このままで果たして通常国会を乗り切れるのだろうかー。

言葉は悪いが、菅内閣は9月に発足したが、尖閣での中国漁船問題をはじめ外交問題の失政で今”スッカラ菅”の状態だ。発足時64%もあった内閣支持率は20%台に急降下している。これは尖閣の失政もあるが"政治とカネ”をめぐる小沢、鳩山元両代表の問題がウヤムヤにされているからだ。とくに小沢氏の国会喚問については、臨時国会終了までに実現すると岡田幹事長が約束ながら実現されそうもない。

その小沢氏だが、代表選に負けたあと”一兵卒”宣言したにもかかわらず、新聞報道によると、衆院1回生53人の新グループ「北辰会」の最高顧問に収まり、活発な党内政治活動を始めているという。いったい、民主党という政党はどうなっているのだろうか。”小鳩体制”の終焉によって菅内閣の支持率が上がったことを忘れてしまったのだろうか。

僕には小沢氏と鳩山氏の顔は貧乏神にみえる。民主党が昨年政権について以来、迷走を続けているのは、一に”小鳩”体制にある。それなのに、自分たちの責任を感ぜず、今だに権力の座を奪回しようとしている。菅総理は"官房は情報過疎”と批判しているが、それなら仙谷長官をクビにすればよい。欠けているのは菅総理の国民の声を聴く能力である。



       想像力失ったテレビ ある民放先達の新著

2010-11-27 08:24:35 | Weblog
40年前、若い頃開局時のお手伝いをした福島中央テレビ(FCT)の元副社長、佐藤昭さんが新著「会うてこそ」(邑書林 2010年11月)を出版、僕も贈呈を受けた。佐藤さんとは一緒に仕事をしたことはないが、僕と同じ年齢で、長い間、マスコミに勤務していたという共通点があり、共感を呼ぶものがあり、楽しく読まさせて頂いた。

佐藤さんは昭和28年、開局時の日本テレビに入社、放送記者、論説委員などを歴任したあと、同系列の福島中央テレビに出向、同社の副社長をされた。今回の新著は、その長い放送人としての体験などを郡山市のタウン誌「街こおりやま」に連載した随筆と、日本歌人クラブの会員でもある佐藤さんの詠んだ和歌が所載されている。

本のタイトル「会うてこそ」は佐藤さんの「あとがき」によれば、ドイツ人の作家ハンス・カロッサの言葉「人生は出合である」からきている。まさにその通り、著書は佐藤さんの80年にわたる人生の中での多彩なそして豊富な出合が歌人としての目で描かれている。

随筆の一つ「テレビ50年そして」で佐藤さんは民放初のCM-”セイコウ舎の時計が正午をお知らせしますーがフィルムの表裏を逆にしたため、時計の針が逆まわりし、音声が出なかった裏話を紹介している。僕も昭和45年、開局時のFCTで放送事故が続出、スポンサーへ謝罪にかけまわったことを想い出した。

そんな民放開局時から知っている放送人として先達の佐藤さんが、同じ随筆の中で"テレビは世の中を変えた。人間を変えた。いつとはなしに人々は考えることをしなくなり、想像することをやめてしまった”と書かれ、万葉集の柿本人麻呂の「天の海に波たち月の舟星の林に漕ぎ隠るみや」を紹介、万葉人がうらやましいと結ばれているから面白い。

僕は同じ時代の一人として佐藤さんの歌の一つー「白髪も光頭もあれひたすらに昭和を生きて酔いつぶれゆく」ーとまったく同じ思いがする、今日この頃だ。

       北朝鮮の砲撃事件と新嘗祭(にいなめさい)

2010-11-26 07:32:50 | Weblog
北朝鮮の砲撃事件に対する政府の対応について昨日、衆参両院の予算委員会で、それぞれ集中審議が行われた。その模様をテレビの生放送で僕もみたが、たしかに野党のいうように政府の対応には遅れがあり、危機管理にも問題があったのは否めないという印象を持った。菅総理の答弁は白々しく言い訳のように映った。

午前の衆院では自民党の小野寺五典議員が事件の発生から政府の対応を時系列にパネルを使って追及、政府が緊急連絡室を設けてから菅総理が官邸入りするまで官邸には政府高官は誰もおらず"空白の70分”だったと問題視し、その間、菅総理は民主党の国会対策関係者と国会対策について話し合っていたではないかと迫った。

砲撃事件のあったのは23日の午後2時40分だったが、国民の大半は1時間後の3時半ごろには、テレビの速報で発生を知り、大変なことになったと不安を感じた。僕もその一人だったが、菅総理が記者団に囲まれて事件の一報を説明したのは午後5時40分ごろであった。しかも、その説明は”目下、情報を収集中”であった。僕もこの記者会見をみたが、山本一太参院議員もいうように総理の態度はオドオドしていて目もしょぼしょぼさせていて、こんな男が国の指導者で果たして大丈夫かなあという印象を国民に与えた。

国民が菅内閣の頼りなさを、さらに感じたのは、緊急閣僚会議が開かれたのが、なんと事件発生から7時間も経ってからだったことだ。菅総理の説明によると、宮中の大事な行事の新嘗祭に参加していたからだという。新嘗祭は昔から宮中に伝わる五穀豊穣を祝う祭祀だが、今の日本は祭祀国家ではない。国家の一大事のさいは総理や閣僚が参加しなくても一向に構わない。岡崎トミ子・国家公安委員長に至っては所管の警察庁にも登庁せず新嘗祭には参加している。もう何をかいわんやである。

          なぜ高齢者は虐待されるのか

2010-11-25 07:03:38 | Weblog
老人にとっては嫌な痛ましい事件ばかり続く昨今である。東京・練馬の住宅街で83歳と77歳の老姉妹が白骨死体で発見されたという。どんな事情で亡くなられたのか、なぜ長期にわたって放置されていたのか判らない。一方、横浜の鶴見川では錨をつけて川底に沈められていた82歳の老女の遺体が発見され、容疑者として60歳の息子が逮捕された。高齢者受難の時代である。

80歳前後というと、僕と同世代で大正末期から昭和の初めに生まれている。男性の場合は直接戦争には参加していないが、戦中から戦後にかけての貧しい苦しかった時代を経験している。とくに女性は、配偶者の年代の男性に戦死者が多く結婚難であり、結婚に恵まれても苦しい子育てを体験している。

厚生労働省の調査によると、平成21年度に65歳以上の高齢者が家族から虐待を受けた件数は1万5615件に上り、前年度より4・9%増え、過去最多であるという。そして、その被害者の77%は女性で、しかも未婚の息子による母親への虐待が目立つという。昔は、自分を産み育ててくれた母親に対して暴力を振うことなどなかった。

うすろ覚えで恐縮だが、昔修身の教科書で勉強した中に、著名な博士が老いた母親をおんぶして階段を上り下りしている絵があった。寝たきりの父親に養老の滝の水を汲んで帰宅したら、それが酒に変わっていたという話は戦前の子どもたちはみな知っていた。これも修身の教科書にでていた。

考えてみると、今、親を虐待している世代は戦後生まれで、僕ら世代と違って教育勅語で育っていないから「孝行」という言葉もしらない。人間としては当然である道徳教育も教わっていない。さらに悪い事には、日本には宗教的な道徳律さえない。こういった社会的な欠陥が老人への虐待として今出て来た。自業自得なのかもしれない。


      66年前、本格的な帝都空襲が始まった日

2010-11-24 07:20:47 | Weblog
66年前の昭和19年11月24日、米軍のB-29機による本格的な帝都空襲が開始された。記録によると80機が編隊で来襲、武蔵野市にあった中島飛行機製作所を中心に集中爆撃し、その後荏原、品川、杉並の住宅街と東京港の一部を破壊した。投下弾は爆弾250㌔64個、焼夷弾34個で、死者223名、負傷者325名とある。この日の空襲の後、B-29機による本土空襲は本格化し、激化していった。

僕は当時、中学2年生だったが、正午ごろ警戒警報発令ととに帰宅を命じられたが、家の玄関を開けた途端、西南の方向に大きな爆発音がしたのを覚えている。級友のA君は帰宅途中だったが、この爆撃で逃避した防空壕が崩れ半身、埋まったが幸い救助され無事だった。当時学校では高学年はすでに勤労動員され、僕ら2年生が最高学年だったが、この空襲の後、学校近くに住むものは、学校警備の防空要員に指名された。空襲警報が発令されると、僕らは防空頭巾をかぶり、ゲートルをまいて学校へかけつけた。

そんな僕らもやがて年が明けるとすぐ、軍需工場へ動員されるわけだが、3月10日の下町大空襲以外にも東京は何回もB-29の来襲を受け被害を受けている。下谷黒門町(台東区)にあった伯母の家は、大晦日の空襲で焼け出されている。こうした空襲の被害の模様はラジオはもちろん、新聞には一切、報道されなかった。親類や知人など限られた間の情報であった。

今朝の新聞一面には「北」が韓国を砲撃と大きな活字が躍っていた。砲撃によりモクモクと煙が上がる上空を不安そうに見守る市民の写真が載っていた。これを見て、僕は66年前の帝都空襲の頃を想い出し,戦火の拡大だけをせつに願うだけである。

          最小不幸社会の勤労感謝の日

2010-11-23 07:20:13 | Weblog
今日は「勤労感謝の日」である。国民の祝日の多くは"ハッピー・マンディ”の適用を受けているが、、この祝日は11月23日に固定されている。理由は11月23日は戦前の「新嘗祭」(にいなめさい)に由来しているからだ。「新嘗祭」は10月15日の「神嘗祭」(かんなめさい)とならんで皇室の五穀豊穣を祝う祭祀であった。この日は国祭日で学校は休日であったが、一般勤め人は休みではなかった。

戦前日本の祝祭日は、ほとんど皇室の行事に関係していて、そううち新年(元旦)紀元節(2月11日)天長節(4月29日)明治節(11月3日)が四大節といわれ、勤め人も休みだったが、あとの祝日、地久節(皇后誕生日)春季、秋季皇霊祭(お彼岸)、神嘗祭、新嘗祭などは学校だけが休日であった。もちろん今のように土曜日は休みではなかった。町の商店の小僧さんに至っては休みは盆と正月、それに年に一回の藪入ぐらいであった。

こうした日本人の働き好きは、高度成長時代まで続いた。あまりの働き好きに対して欧米から批判があったのもその頃だ。テレビCMの”モウレツ”の時代である。昭和1ケタの僕らはその時代を生きてきた。

しかし、今の日本人はどうなのだろうか。2010年、完全土日5日制で、15日の国民の祝日を休むと、休日の合計は119日にもなる。週の就労時間も1772時間で1792時間の米国より少なくなってきている。ちなみにお隣の韓国は2256時間である。

労働条件も環境も昔に比べれば格段に好くなってきた。しかし、来春卒業の大学生の内定率がまだ57・6%だという。つまり42・4%の学生の職がきまっていないのだ。勤労を感謝したくとも職がなければ感謝できない。最小不幸社会の政治哲学とする政府は予算も決められず足踏みしたままだ。雇用を最大の政策課題にしている政府である。



      "未知の領域”に入った日本、大丈夫なのか

2010-11-22 07:37:14 | Weblog
英誌「エコノミスト」(11月18日号)が"未知の領域に入った日本”(Into the unknown)という特集をし”少子高齢化が日本経済の再活性化やデフレ脱却の障害になっている。日本はこの問題を最優先で取り上げるべきである”(讀賣新聞)と警告している。

「エコノミスト」は、日本の将来を暗示するかのように、北海道の夕張市を取り上げ、炭鉱の廃止で40年前には12万人もあった人口が今や1万1千人に減り、360億円の負債を抱えている。市役所の建物は、まるで”死体公示所”(morgue)のように灯りが消え、職員がモッブで掃除をしている。六つあった小学校も一つに統合された、と紹介している。そして人口統計学からみると、日本の人口も夕張のように史上類をみない減少を示している、と書いている。

僕は「エコノミスト」誌の報道は必ずしも正しいとは思わないが、最近の政治の貧困からみて、その危険性は感じないでもない。例えば、先日民主党介護保険改革チームが発表した2012年度から実施するという65歳以上の高齢者の平均月保険料を5000円にするという案だ。後期高齢者医療制度に代わる制度にしてもそうだが、果たしてこれで目の前にきている超高齢社会に対応できるのか疑問だ。

2050年には日本人の三人に一人は65歳以上の高齢者だという。僕らの世代は、もうこの世にはいないが、これに対応した社会保障制度が確立できているのかどうか。”老爺心”んながら、はなはだ心配である。