「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         フロックではない30代市長の当選

2009-06-30 05:36:27 | Weblog
横須賀市長に33歳の吉田雄人氏が現職を破り当選した。先の千葉市長熊谷俊人氏
(31)、松坂市長山中光茂氏(33)についで三人目に若い市長誕生だ。横須賀は小泉
元首相の地元、その小泉氏の推す現職を破っての勝利である。

この勝利はけっしてフロックではないみたいだ。吉田氏は選挙に当たって市内を自転車
で駆け巡り1000回以上も駅頭にたって市民に政策を訴えた。それに彼は過去2回も市議
選挙でトップ当選の実績があるそうだ。”過去の総理の栄光でも自民、民主の国政では
横須賀は変えられない”という論理も説得力があったのだろう。

衆院解散、総選挙の日程をめぐって国の政治が迷走しているが、僕はあいつぐ30代市長
の勝利を知り、16年前の第40回総選挙(1993年7月8日)を思い起こした。この選挙では
自民、社会の既成二大政党への不信から、日本新党、新党さきがけが躍進、結果として非
自民の細川連立内閣が生まれた。松下政経塾出身の新人が当選したのもこの選挙であ
った。

あの時と同じように国民は新しい変化を求めているようにみえる。数による”ねじり現象”
を奇貨にして一向に国会審議が進まない政治に国民はイライラしている。相も変らぬ政
治手法、足の引っ張りあいにも飽き飽きしている。与党も野党も"古狸”政治屋は自発的
に辞めてほしい。立っても有権者が一票を投じなければよい。

          米軍のイラク進駐とその代償

2009-06-29 05:37:32 | Weblog
6月いっぱいでイラクの都市部から戦闘服の米国軍兵士の姿が消える。2003年
3月の戦争開始以来、6年3か月ぶりである。米軍の完全撤退は2011年で、まだ
先だが、とにかく街から”迷彩服”がなくなるのは平和への第一歩だ。でも現地
からは、依然として市場に仕掛けられた爆弾が爆発したりして多数の死者が
出ている。大丈夫なのだろうかー。

わが国では敗戦によって連合軍の占領がサンフランシスコ平和条約(1951年9月)
まで約6年続いた。この占領期間は、イラク戦争開始から現在までの期間とほぼ
同じなのだが、この間、占領軍も住民もほとんど犠牲者が出ていない。これに対し
て、イラクでは現在までに米軍、連合国軍含めて4629名(米国防総省資料)が、戦
闘、非戦闘で死亡、民間人は推定で10万人近くが犠牲になっており、今なお犠牲
者が出ている状態だ。

イラク戦争の発端はなにだったのか?ブッシュ米大統領(当時)はイラク国内で大量
破壊兵器が製造され、これがテロ集団、アルカイーダに渡るのを防ぐという口実で
戦争を開始したが、まったく誤報か作り事であったことは、いまや周知だ。"独裁者”
サダト・フセイン元大統領を裁判にかけて処刑してもイラクの騒動は治まらない。情勢
判断の誤りから来る占領政策の誤りだ。敗戦後の連合軍による占領は、わが国にとって
大変不幸であったが、占領中に犠牲者がでなかったのは不幸中の幸いであった。

          都会の野鳥の巣造りとガマ蛙

2009-06-28 05:22:32 | Weblog
わが家のベランダから見える隣家の室外器の上の軒下で野鳥が巣造りをしている。
育雛を始めて10日ほどたつが、話題の乏しい老夫婦は最近、この話でもっぱらだ。雛
がピイピイと鳴き出すと親鳥がどこからともなく飛来する。時には母鳥だけ、時にはつ
がいで餌を運んでくる。二人はそのたびにデジカメを構えるのだが、警戒心が強く撮れ
たことがない。

昭和58年発行の「街の自然12か月」という目黒区発行の本によれば、僕の家のある周
辺には79種の野鳥がいるが、僕らの観察が悪いのか、巣造りの鳥がなんだか特定でき
ない。区の鳥はヒヨドリだが、これより大型だ。ムクドリにも似ているが、色と尾が違う。
ツバメなら僕らでもわかる。親鳥たちは僕がラジオ体操から帰る7時ごろ来ることが多い。

わが家のあるあたりは幻の東京五輪(昭和15年)を目当てに開発された古い住宅地だが
最近はめっきり自然が喪失してしまった。昔はどこにでも巣造りできた野鳥もかわいそう
である。モルタル造りの軒下に巣造りするとは!僕が戦争による強制疎開でここへ引越し
てきたときには、まだカマキリもトカゲもウヨウヨいたのに。

こんな自然喪失の中で、なぜかわが家の猫の額のような庭の片隅に代々、ガマ蛙が棲息
している。近くに池も川もないのに不思議である。歳を重ねたためか、昔は関心もなかった
自然界の生きとし生けるものに興味が出てきた。

          都議選 自民党のマンネリ戦術

2009-06-27 05:27:55 | Weblog
7月3日が告示だというのに東京都義戦は事実上始まっている。昨日も新聞のチラシ
に混じって自由民主党の機関紙「自由民主」の○○議員特集の号外が入ってきた。
機関紙は毎週火曜日発行、一部税込み105円だが、号外は無料である。選挙のプロ
がやっているのだから法律には反してはいないのだろうが、号外発行にかかる費用
は相当なものだ。ここでも政治とカネについて考えさせられる。

選挙目当ての号外だから仕方がないが、後期高齢者の僕がみてもマンネリだ。議員
と都知事とのツウショットの写真は、まあまとしても1ページ使って区内に住む自民党
支持の有力者の顔写真をずらりと載せ、さらに区議会議長の経験者の写真を掲載して
いる。いずれもおつむが後退した男性ばかり、33人中女性は2人だけだ。まるで自民党
の支持層を象徴しているみたいだ。

わが選挙区は公明党が力を入れている選挙区らしく、数か月前からいろんな筋を通じて
他宗派の我が家にも接触がある。が、自民党の候補者は名前も知らない。昔、自民党
の候補者といえば、選挙区をこまめにまわり、僕らも町の集まりなどで一回ぐらい顔をあ
わせたものだった。冠婚葬祭におカネを出せというのではない。地方議員はやはり選挙
区との普段の接触が必要だ。

麻生総理は都議会選挙を来るべき総選挙の前哨戦とみて、自民党の候補の事務所を
まわって激励したという。それも大切だが、投票するのは選挙民だ。「自由民主」の号外
をみて、年寄りの僕でさえ、あいも変らぬ自民党の無策の戦術にあきれた。いま自民党
に必要なのは新しい戦略だ。


          モカコーヒーと東チモール産コーヒー

2009-06-26 05:08:00 | Weblog
先日ある会合で東チモールのコーヒーについて面白い話を聞いた。東チモールは
21世紀になってインドネシアから離れて独立したが、農業以外にはこれといった
産業もないアジアの最貧国の一つだ。この国で日本のNGO組織「ピースウインズ
ジャパン」(PWJ)が国造りの一助にとコーヒー栽培を援助している。

東チモールのコーヒーは1815年、宗主国のポルトガルがブラジルから持ち込んだ
ものだが、長年にわたって品質改良もせず放置していた。それが結果的にはプラ
スになって無農薬,希少種のコーヒーなのだそうだ。PWJはこれを逆利用して今、
”Fair trade"(正当な値段で買い取る商取引)で日本国内でオンラインショップで販
売(http://pwshop.ocnk.net/)し、売上金の一部を同国の援助にあてている。

この話を聞いた後、たまたま新聞を見たら昔から「モカ」の名前で親しまれてきたエ
チオピア産のコーヒーが残留農薬の問題で輸入が激減し、今年4月の輸入量はほと
んどゼロだったとのこと。このまままではもう日本では「モカ」は飲めなくなりそうだとい
う。エチオピアにとって日本は大の得意先だけに大きな痛手だ。エチオピアの残留農
薬汚染源は運搬用の麻袋にあるらしい。

東チモールもエチオピアも開発途上国。有機栽培、自然農法の時代である。途上国の
農業にも新しい波が押し寄せてきている。


         59年前、朝鮮戦争が始まった頃

2009-06-25 04:05:10 | Weblog
なぜか朝鮮戦争が始まった日のことを昨日のように覚えている。もう59年も前になる。
来年で暦が一巡する前のことだがー。昭和25年6月25日、僕が大学2年の時だ。朝鮮
半島出身のS君(朝鮮総連勤務)が”戦争が始まった”と、大声をあげて教室に入って
きた。戦後5年も経ち、正直いって僕はそれを聞いても興奮せず対岸の火事みたいな
気持ちだったが。

後年、機会があって当時のことを調査したが、この昭和25年という年はある意味では
日本の戦後のターンニングポイントであった。自衛隊の前身、警察予備隊がGHQ(連合
軍総司令部)の強い要請で創設されている。それも朝鮮半島情勢の急迫で、戦争が
勃発して僅か2か月後の8月にである。38度線の国境を越えた北朝鮮軍は3日で韓国
の首都ソウルを占領、電撃的に南下してなんと29日には福岡県など西日本には空襲
警報まで出ていた。

この年の秋、母校の外堀を埋めて出来たばかりの運動場で警察予備隊の訓練が始まっ
た。僕らはこれを見て”性懲りもなく、また軍事教練か”と醒めた目で批判したのを
覚えている。しかし、当時の朝鮮戦争の戦況をみると、GHQがあわてて「警察予備隊」
の名前で事実上の軍隊を日本政府に要請し、政府も断りきれずこれに応じたかが理解
できる。

あれから59年、朝鮮半島は戦火こそ消えたが、緊迫した情勢は昔のままだ。北朝鮮は
当時の軍事作戦を暗号で”暴風”と呼んでいたそうだが、もう”暴風”だけは結構である。
ただ、僕らも59年前の歴史を教訓として覚えておこう。



     英霊もあきれる古賀遺族会会長の宮崎詣で

2009-06-24 13:16:23 | Weblog
自民党の古賀誠選挙対策委員長が昨日、宮崎に東国原英夫知事を訪ね、次の総選挙
に自民党から出馬するよう正式に要請した。これに対し、東国原知事は条件として次期
総裁候補とするならなど条件を提示した。お笑いタレント出身のこと、”おちょこり”と思った
が、会談後の二人の話と表情をみると必ずしもそうでもないみたいだ。

6月23日は「沖縄慰霊の日」である。古賀氏は「日本遺族会」の会長である。まさか、この
日を沖縄県民(民間人)だけの慰霊の日と感違いしているのではあるまい。沖縄戦の戦闘
では島を死守しようと戦った18万8136人の方が戦死している。この中には牛島満第32軍
司令長官以下の軍関係者も含まれている。自民党の選対委員長も要職だが、遺族代表
ならば当然、平和への祈りをこめて沖縄へ巡拝すべきだ。

テレビのコメンテーターの一人がしたり顔でうがった見方をしていた。古賀氏は麻生総理と
一緒に沖縄へ行き摩文仁が丘で参拝するのを嫌って宮崎詣でに切り替えたのだろうという
のだ。まさか、そんなことはあるまいが、東国原知事への出馬要請だけで行ったのならな
世も末である。靖国の200万英霊もあきれていることだろう。

麻生総理の「沖縄慰霊の日」参拝は当然のことだが、参拝する以上、沖縄戦についてすこし
勉強されたほうがよい。沖縄戦の日本の将官には大田実「大将」はいない。大田実氏は
沖縄海軍根拠地隊の司令官で少将であった。

       読み違えた「かんぽの宿」の庶民性

2009-06-24 05:08:03 | Weblog
自民党の議員さんたちは「かんぽの宿」を利用したことがないのかもしれない。
「かんぽの宿」といえば、僕ら庶民にとって安い宿の代名詞みたいなもの。僕も
旧友たちとの親睦会などで各地の「かんぽの宿」のお世話になったことがある。
豪華さはないが、「簡保」のおかげで安く泊まれるという意識があった。

麻生総理は筋書き通り?西川善文・郵政社長の”続投”を認めた。民間会社の
人事に政府は介入すべきではないという理由だが、僕ら庶民にとっては鳩山前
総務相の{かんぽの宿」の不正売買に端を発した”正義”の主張が強烈だっただ
けに西川社長の”続投”には首をかしげる。それも懲罰なのかもしらない。自身
が課した社長報酬30%3か月返上も、庶民の”正義感”を逆なでする。高給取り
のくせに馬鹿にするな、ということだ。

郵政会社が”叩き売り”した「かんぽの宿」は、その後どうなったのか、郵便局の
窓口からパンフレットが見えなくなった。安くなった宿があるという話も聞いたこと
がない。高くなった宿があるとすれば問題だ。もともと、この問題には僕ら庶民の
知らない裏の裏があるようにみえてならない。

産経新聞とFNNの最近の合同調査によると、西川社長の続投には75%が反対して
いる。鳩山氏の後を受けた佐藤総務相も”(西川続投)で世論が鎮まるとは思えな
い”と他人事みたいなことをいっている。残念ながら麻生内閣は末期症状である。



            鳩山代表の日本語

2009-06-23 06:20:57 | Weblog
鳩山由起夫・民主党代表の発言の露出度が多くなってきたが、僕ら年寄りには気に
なることがある。それは代表の使う日本語だ。昨日もテレビの画面をみていたら、自
民党内の”麻生おろし”の動きを牽制して”さもしい”、”目くらまし”といっていた。”さ
もしい”というのは広辞苑によると、「沙門(さもん)のような感じでいやらしい、見苦し
い」という意味。”目くらまし”は、目を眩ます、つまり眩惑、目先だけのことをいって人
をだます意味だ。年寄りでもあまり使わない言葉だ。

前から鳩山代表の日本語が気になるのでメモしていた。”愛のふれあい凛(りん)とし
た国家”連戦連勝、一身を投げ打って総力を結集””大きな日本の大掃除をしよう”ー
これは鳩山氏が民主党の代表に選ばれた時の挨拶の言葉だ。この言葉を聞いて僕
は、戦争中の空々しい大本営の発表を思い出した。団塊世代の代表は大本営発表
など知る由はない。もしかすると全共闘の時代に闘士が使用していた語調かもしれな
い。

もう一つ代表の気になる日本語は”民主党さん””共産党さん”と政党名を擬人化して
呼ぶことだ。民間会社のセールスマンならいざ知らず大政党の代表が公式の場で使う
のはあまりにも幼稚で下品だ。弟の邦夫氏は”知人の知人がアルカイダ”など不用意
な発言があるが、兄の由起夫氏の日本語は空虚で時代がかかっている。これも鳩山家の
血の流れなのだろうかー。



           礼服にもクールビズを

2009-06-22 04:52:24 | Weblog
クールビズも4年目に入って定着してきたようだ。少なくとも本来の目的である
二酸化炭素排出量マイナス6%つまり室内温度28℃維持協力は出来ている
ようだ。ただ麻生総理はじめ閣僚たちのクールビズは、それどころではないの
だろう。見た目には代わり映えしない。ジャケットにノータイ姿が多い。

昔人間の僕にとってクールビズで一番困るのは、冠婚葬祭である。やはり黒の
礼服にノータイでは礼に反する感じがする。明日23日は沖縄慰霊の日だが、昨
年の記念式典だったと思うが、県知事はじめ来賓が黒の半そで、ノータイで参席
されていた。沖縄だけのクールビズだが、全国版に広めてはどうか。

常夏のインドネシアでは伝統的のジャワ更紗(バティック)地の長袖のシャツが、
冠婚葬祭のさいの礼服として公認されている。日本ではクールビズといえば、ジャ
ケットにノータイ姿だが、おしゃれという観点からはどうなのだろうか。

戦前、クーラーなどなかった時代だが、都会のサラリーマンは白麻の背広、カンカン
帽をきちんとかぶっていた。今のクールビズは、ただタイをはずしただけ。襟元がなん
となくさびしい。気候も風土も違うが沖縄のクールビズは、本州に比べてもっと多様化
している。礼服クールビズを含めて学ぶところが多い。伝統的な白絣地を使ったクール
ビズなんかもどうだろうかー。