「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        小沢さん 最大不幸を考えて!?

2011-01-31 07:29:34 | Weblog
自然災害だから仕方がないのだが、北陸を中心とした日本海側の豪雪や鹿児島・宮崎県境にある霧島山系新燃岳噴火、各地に広がる鳥インフルエンザーなど国民生活に支障をきたす暗いニュースばかりだ。そんな中にあってサッカー・アジア杯で豪州を破っての勝利は久しぶりの快挙だ。しかし、いまひとつ手離しで喜べないのは何故だろう。このところの政治の混乱が原因でなければよいのだがー。

今日から、国民生活に直接関係のある国家予算の審議が始まるが、その入口から与野党の間で開催をめぐってすったもんだしていた。理由は予算委員長が野党の同意なく独断的に委員会を開催しようとした手続き上の問題がからんでいたようだ。こんな大事な時期に大事な問題を審議しようというのに、とかく問題のある人物が委員長で大丈夫なのだろうかー。

自民公明の野党が委員会を前に硬化しているのは、もちろん、こんな手続き上の問題ではない。菅内閣の信義上の問題であろう。マニフェストが詐偽フェストと悪口をいわれるし”政治とカネ”をめぐる小沢一郎前代表に対する民主党内の対応も、まったく何をやっているのか理解できない。

その小沢一郎前代表が昨日予定どおり検察審査会の議決を受けて強制起訴された。が、当の小沢氏は起訴されても議員は辞めないし、民主党を離党する意思もないとうそぶいているそうだ。もし、それが事実とすれば、国会は混迷の度を深めるだけだ。小沢氏は神に誓って自分は正しいといっているが、起訴されても責任は感じないのか。ここまで日本の政治を空転させていてもそうなのか。ここで政治家としての決断をしなければ、日本は最大不幸を迎えるだけだ。

         心配なアラブ世界のドミノ現象

2011-01-30 08:46:04 | Weblog
このところアラブ世界の様子がおかしい。チュニジアの政変に触発されたのであろうか、今度はエジプト全土でムバラク政権に対する反政府デモが大荒れに荒れ、すでに100人もの死者を出している、同じような反政府デモはイエメンでも起きており、アルジェリア、ヨルダンでも不穏な動きがあるという。これが他国にも飛び火して、ドミノ現象を起こさなければよいのだがー。

自分のことで恐縮だが、僕は1956年11月の第二次中東戦争(スエズ戦争)から1968年の第三次中東戦争(六日戦争)までの10年余、新聞社の外信部で取材している。この時代もアラブ世界は流動的で、エジプトがシリアとが合邦したり離れたり、イラクとイエメンではクーデターで王国が倒れている。それに慢性的なパレスチナ問題を抱えて、レバノンでは年中行事のように政変が起きていた。

今回の一連の騒ぎの"キー・ワード”は長期政権だという。ムバラク大統領はもう30年ちかく政権の座にある。イエメンのサレーハ政権も20年だという。長期政権は一見安定しているようにみえるが、やはり長い間に国民の不満もたまってくるのだろう。過去の世界の歴史をみてもポルトガルのサラザール政権(36年)がよい例である。最近ではインドネシアのスハルト政権がそうであった。"開発の父”と称えられながら31年は長すぎた。追われるように大統領の座を去った。

エジプトはアラブ世界では大国であり指導的な国でもある。パレスチナ問題は、僕が現役だった半世紀前と同じで解決はみていないが、僅かにエジプトの妥協と譲歩と仲介もあって解決の方向へは向かっている。アラブ世界の安定のために一日も早い解決を期待したい。

             頭の”疎い”菅総理

2011-01-29 07:44:32 | Weblog
日本の長期国債について米国の格付け会社「スタンダード・アンド・プアーズ」が「AA」から「AAマイナス」に引き下げた・格下げの理由は先進国の中で日本の財政赤字が最悪の水準にあるからだそうだ。僕はこの問題については疎いので、よく解らないが、一国の最高トップである菅直人総理まで"疎い”と公言されたのには驚いた。広辞苑によると"疎い”とは”その人(事)に関係のない状態”をさす一方”頭の動きが鈍い”という意味もある。

早速、昨日の国会では、この発言めぐって野党から鋭く追及されたが、菅総理によると"疎い”と言ったのは、記者団にコメントを求められた時点では"聞いていなかった”のでそう答えたのだという。広辞苑には"疎い”の意味で"聞いたことがない”という意味はない。苦しい言い訳に聞こえる。

自公政権の最後の総理だった麻生太郎氏は漢字の読めない宰相として、当時野党であった民主党から盛んに揶揄された。参院予算委員会では、議場に難読の漢字のパネルまで持ち込んで、麻生氏をテストしようとした副代表までいた。

たしかに漢字を読み違える総理も困るガ、僕に言わせればまだ愛敬だ。しかし、一国の総理で、しかも財政大臣まで経験した人物が"疎い”と答えられては影響が大きすぎる。意味を間違えて使用したとしたら”頭の動きが鈍すぎる”。"疎い”の意味も解らずに総理をかばい、マスコミを批判していた閣僚もいた。自民党も麻生氏への仕返しに国会で菅総理に対して日本語の読み書きテストをしたらどうか。

         波乱だった江(ごう)の時代のアジア

2011-01-28 07:23:48 | Weblog
昨日、68年来の級友と一緒に江戸東京博物館で開催中の「江(ごう)姫たちの戦国」特別展を見てきた。NHKの大河ドラマで放送のため平日なのに館内は女性客を中心に一杯。僕はドラマを見ていないが、江の生きた安土桃山時代を改めて考える機会になり勉強になった。

江(1573年-1627)は近江の国小谷城主、淺井長政と織田信長の妹,市との間に生まれ、姉には豊臣秀吉の側室となった茶々、京極家の正室の初がいる。生まれてすぐ戦乱で両親を亡くした江は12歳で尾張国佐治一成にいだが、秀吉の命で離婚、秀吉の甥に当たる秀勝と再婚したが、死別、そのあと再度徳川家康の三男、秀忠と結婚している。まさに戦国の時代を象徴するような波乱の一生を送っている。

江の一生は安土桃山時代(1568年-1598)の30年と江戸時代の初期に当たるが、改めてこの時代を考えて見ると、日本の国にとっても激動の時代であった。とくに日本を囲むアジア情勢が流動的であった。1573年に室町幕府が倒れた後、国内の戦乱を経て秀吉は明と対峙することを理由に1592年(永禄の役)と1596年(慶長の役)と二回も朝鮮に出兵、今の中国東北部にまで兵を進めている。

一方、アジアではルソン(フィリッピン)が1571年にはスペインによって植民地され、日本にも1549年、布教のためフランシスコ・ザビエルが来日、江の時代にはすでにキリスト教大名も現れている。歴史に”れば”とか”たら”はありえないのだが、わが国の将来が別の方向を歩んだかもしれない大変な時代でもあったのだ。

      空席がめだつ国会質疑 政権の末期症状

2011-01-27 07:19:57 | Weblog
昨日テレビの国会中継で衆院本会議の菅総理の施政方針演説に対する質疑の模様を3時間半にわたって見た。自民党の谷垣総裁が民主党政権は憲政史上最大の確信的公約違反だときめつけ、今会期中での解散総選挙を迫った。これに対し菅総理はこれを拒否し、相変わらず国民に安心と活力を与える政治をと答えていたが、さすがに自分でも言葉に矛盾を感ずるのかもしれない。水ばかり口にしていた。

気のせいだろうか。時々テレビカメラが議場内の全景をなめて撮っていたが、議員の空席が目についた。このところの大相撲の国技館ほどではないが満席ではない。一緒にテレビを見ていた老妻の推定では60人ぐらいは欠席していた。僕が見た時には、話題の小沢一郎氏も席にはいなかった。

政治家(議員)にとって国会本会議への出席は最大の仕事ではないのだろうか。ひがむわけではないが、われわれ庶民に比べれば、はるかに高い報酬を貰っている。財源不足から公約が実現が出来ないといっているが、まず出来ること、例えば議員の定数削減、報酬の大幅カットから始めてはどうか。

あきれたのは、政党与党の一番バッターで登場した議員の、あまりにも”よいしょ”の質問と、これに長々と沈鬱な答弁をした菅総理の政治的ドンカンさだ。民主党にはやはり人材がいないのだろう。よその党の使いふるした人間を”三顧の礼”をもって迎えたのも無理もない。民主党議員席の無意味なバラバラの拍手を見て、僕は菅政権の末期的症状を見て取った。

      “熟議”もされない「後期高齢者医療制度」

2011-01-26 07:44:55 | Weblog
「後期高齢者医療制度」にかわる「新制度」の実施が、また一年遅れ、2014年度からだという。厚生労働省の話だと「新制度」実施にからむシステム改修費予算は今年度予算に組み入れてないとのこと。予算に計上しても今国会で審議される見通しがないからだとのことだ。土俵に上らなければ相撲にもならない。菅総理のいう”熟議”以前の問題だ。

後期高齢者医療制度の廃止は民主党の政権公約ではなかったのか。廃止するというので一票を投じた年寄りもいたはずだ。ところが、昨年12月、1年がかりで出てきた「新制度」は大方の高齢者の期待にほど遠い。逆に70歳から74歳までの前期高齢者の医療費窓口負担を二割にしようというもので、手直ししたのは地方への負担を大きくしただけである。

先週、住んでいる地元の役所から「後期高齢者医療医療保険」の昨年度の払い込み通知が届いた。改めて額を確認すると、僕の受領している厚生年金の約一割に相当する。昨年度僕は二度も癌手術で入院している。年金以外に僅かな収入があるため、僕の窓口負担は”現役なみ”の三割である。確定申告で調整はするが支払った医療費は大変な額だ。幸い支払えるからよいが、長生きするということは大変なことだ。

「新制度」の実施が1年先にずれこんだといって、何も恩恵を受けるわけではないが、改めて菅総理に問います。「後期高齢者医療制度」の廃止は民主党のマニフェストではなかったのですか。僕ら年寄りは覚えています。鳩山幹事長(当時)が巣鴨の街頭でおばあちゃんたちに「後期高齢者医療制度」の廃止を叫んで騙していたことを!



       ”眉唾”で聞いた菅総理の施政演説

2011-01-25 07:33:42 | Weblog
菅総理の施政方針演説をテレビの国会中継で見た。演説内容は総花的で言いことづくめだが、有言不実行の総理だ。僕は眉にツバをつけて聞いた。結論は財政が苦しいおり、消費税を上げて社会保障制度を改革したい、ということなのだが、それなら最初から解り易く国民に協力を訴えればよい。マニフェスト不履行内閣では”眉唾”と疑われてもやむをえない。

その点,野田財政相の財政演説のほうが国民に理解しやすい。わが国の財政は逼迫しており、もはや国債に依存するのが困難だというのだ。自公政権時代からそれは指摘されており、民主党の一昨年のマニフェスト作成時でもそうだったのだが、民主党はそれを無視して大風呂敷を広げた。結果として子ども手当てでつまずき、反省もなく朝鮮学校まで無償化を考えている。

与謝野経済担当大臣の社会保障改革と税の一本化構想も彼の持論であり、僕もその通りだと思うが、2年前、あれほど当時の鳩山総理のカネの問題でかみついた与謝野氏を、菅総理が重要閣僚に登用するのか、僕には解らない。どちらも政治的な節操を問われても仕方がない。

この施政演説を受けて26日から国会質疑が始まるが、混乱はさけられない。ここまでダッチ・ドール状態に陥ってしまった菅内閣だ。菅総理が美言麗狗をならべ6月までの期限を切って重要法案を提出すると言っているが、おいそれとは信じないだろう。鳩山前総理も普天間問題を8月までに解決するといって出来なかった。出来ないことを出来るといって国民を騙したのだ。まず、これを反省して国民に謝罪することから、すべては始まる。

            太平記と「建武神社」の廃墟

2011-01-24 07:27:46 | Weblog
昨日NHKラジオ(第一)早朝番組「文学のしずく」で久しぶりに太平記の朗読を聴いた。戦前、皇国史観の歴史で育った僕らの世代にとっては太平記に出てくる後醍醐天皇や楠正成、新田義臣の名前はとても懐かしい。忘れかけていた、この時代の出来事が陳腐な表現だが、走馬灯のように想い出された。

まったく偶然なのだが、一昨日、僕は遠縁の三回忌の法事で東京の首都高速道路沿いにある母方の墓地に参拝した。この当たりは、高速道路の建設によってすっかり様変わりしてしまった。昔、この墓地の上には「建武神社」があったのだが、いつのまにか壊されていて、僅かに石垣と石屏の一部だけが残り廃墟となっていた。

僕の記憶だと、この「建武神社」は昭和15年、紀元2600年の奉祝行事の一つとして建設された。戦争中、国民学校(小学校)の生徒だった僕は毎月8日の大政奉戴日(大東亜戦争が始まった12月8日を記念した)には、級友とともに神社を参拝、持参の竹ほうきで境内を清掃したものだった。

戦時中は儒教的な大義名分に立つ君臣論から南朝の後醍醐天皇と建武の復興が高く評価され、各地に建武神社が建てられた。鎌倉への遠足でも八幡宮や長谷の大佛とともに後醍醐天皇の皇子、護良親王が幽閉された大塔宮の土牢に参るのが一つのコースになっていた。これに対して足利尊氏は徹底的に逆賊として教えられた。

「建武神社」の廃墟をみて、僕は自分の生きてきた80年を振り返り、歴史の変な面白さを実感した。今、学校ではどんな歴史教育をしているのだろうかー。

        定年延長と年金支給年齢の引き上げ

2011-01-23 07:42:29 | Weblog
与謝野薫経済財政担当相が「税と社会保障」の問題に関連して定年の延長と年金支給年齢の引き上げを示唆する発言をした。発言の趣旨は”人生90年を前提にすると、定年延長は当然だし、それにつれて年金支給年齢の引き上げも考えなければならない」というもののようだ。

米国の民間人口研究所が数年前、英国の科学雑誌「ネイチユア」に発表した論文によると、日本人の平均寿命は2050年には90歳に達するという。厚生労働省の昨年度の発表でも日本人男性の平均寿命は79・59歳、女性は86・44歳である。あと40年先には人生90歳になるのも夢ではない。与謝野大臣の発言も必ずしもオーバーではない。

急速に少子高齢化が進んでいる日本の社会だ。今のままでは、早晩日本の社会保障制度が破綻をきたすのは、素人の僕でも解る。与謝野大臣の発言は当然すぎるほど当然だ、民主党政権は、今まで何をやっていたのか。出来もしないことをならべて、すべて先送りばかりしてきた。

現在国民年金の支給開始年齢は65歳。厚生年金の支給開始は段階的に引き上げられていて、2013年になると、男性は65歳になる。一方、大方の企業では、依然定年は60歳である。電通の調査によると、定年を迎えた男性の77%が、定年後も勤めていた組織の中で仕事をしたいという。今の日本では60歳といえば、まだ隠居の年齢ではない。それより年金が支給されるまでの間、空気を食べて生活するわけにはいかない。厚労省の調査では60歳前半の生活保護申請者が増えている。60歳定年と年金支給年齢引き上げと関係があるのではないだろうか。

人生さまざま、一概にはいえないが、1970年代には大手企業は55歳定年だった。それを見越して僕は50歳で仕事をやめ、第二の人生で65歳まで現役で仕事をした。与謝野大臣は72歳。人生経験も豊富である。国の将来を考えて、しっかりとした社会保障制度を確立してもらいたい。

        今に生きる山下奏文将軍の遺言

2011-01-22 06:34:05 | Weblog
70年前のマレー・シンガポール作戦に従軍した第五師団給水部隊の兵士だったIさんから寒中見舞いとともにご自分の書かれた原稿が載っている新年号の雑誌が贈られてきた。Iさん大正4年生まれで95歳。昨年夫人に先立たれて今は一人暮らし。週一回のデー・サービスを受け、年寄り仲間と軽い体操をして風呂に入れるのが楽しみだという。お元気だ

Iさんは原稿の中でマレー・シンガポール作戦の司令官(第25軍)で、戦後マニラの連合軍戦争裁判で刑死された山下奏文大将の遺言を感慨深く読んだと紹介している。山下将軍はマニラ郊外のロスバニオスで絞首刑に処せられているが、処刑前、立会人の片山弘二牧師たちに”君たちが日本に帰ったら人々に告げて欲しい”と次のように語ったという。「戦死者のご遺族に対し総指揮官として謝罪したい。自分は指揮官として最善の努力をしたと信じ、この点は何ら恥じない。今後の日本の将来を考えたとき、義務の履行、科学教育の振興、幼児教育の重要性という三点を忘れずに訴えて欲しい」(昭和52年「歴史と人物」8月号)

Iさんは”東洋平和のためならば”と大東亜戦争の意義を信じて戦った一兵士として山下将軍の遺言を感慨深く読んだそうだが、銃後の小国民として戦争の勝利を堅く信じて軍需工場に動員されていた僕もIさんとは違った感慨をもって山下将軍の遺言を読んだ。政治家としての義務ーマニフェストを履行せず、その反省もない民主党の指導者たちを、まるで予見したかのような山下将軍の遺言である。