70年近くの旧友の告別式に参列した。昨日の東京は最高温度が36.8℃という猛暑が戻り、正直いって80老にはきつかった。住まいのある東京の南の端から式場の北の端まで公共交通機関を乗換て行ったが、いつものことながら駅の施設が、依然として老人にはバリアーが多すぎる。片側一列ほとんど無使用の登りのエスカレーターは、あっても下りのものがない。超高齢化時代である。関係者は老人の視点に立って検討してもらいたいものだ。
最近、葬儀に参列して思うことは、同時代人の参加が少なくなってきたことだ。旧友は戦後の学制改革の影響を受けて旧制中学と新制高校の二つを卒業している。旧友は二つの同期会にも熱心に顔を出していたが、昨日の告別式に出席したのは僕一人だった。僕と同期の会は、まだ年に一回、夜間飲み会をかねての会を開いているのだが、弔電も打ってこなかった。どうも人の死、最後の別れについて社会全体があまり重く感じなくなってきたのであろうか。
昨日の告別式は親族、友人、知人併せて合計30人ほどの「家族葬」であった。花に囲まれた祭壇の仏式による立派な葬儀であった。しかし、僕が一つ気になったのは、参列者のほとんどが数珠を持っていないこと。ご焼香の際、式場の参列者に対して一礼する、しきたりが忘れられてきたことだ。これに反して、昔に比べて、ご遺体との最後の別れにお棺の中にいれる花が豪華になり多くなってきたことだ。
大変ゲスな表現だが、80歳をすぎると自分が死んだ時、果たして何人が葬儀に参加して貰えるかわからない。しかし、それでよいのだ。長寿に対する一つの勲章であるからだ。
最近、葬儀に参列して思うことは、同時代人の参加が少なくなってきたことだ。旧友は戦後の学制改革の影響を受けて旧制中学と新制高校の二つを卒業している。旧友は二つの同期会にも熱心に顔を出していたが、昨日の告別式に出席したのは僕一人だった。僕と同期の会は、まだ年に一回、夜間飲み会をかねての会を開いているのだが、弔電も打ってこなかった。どうも人の死、最後の別れについて社会全体があまり重く感じなくなってきたのであろうか。
昨日の告別式は親族、友人、知人併せて合計30人ほどの「家族葬」であった。花に囲まれた祭壇の仏式による立派な葬儀であった。しかし、僕が一つ気になったのは、参列者のほとんどが数珠を持っていないこと。ご焼香の際、式場の参列者に対して一礼する、しきたりが忘れられてきたことだ。これに反して、昔に比べて、ご遺体との最後の別れにお棺の中にいれる花が豪華になり多くなってきたことだ。
大変ゲスな表現だが、80歳をすぎると自分が死んだ時、果たして何人が葬儀に参加して貰えるかわからない。しかし、それでよいのだ。長寿に対する一つの勲章であるからだ。