知り合いのカメラマンがスマトラ取材旅行から帰国した。今年の3月、
西スマトラパダン地方をM6・3の地震が襲い各地で大きな被害が出
た。観光地ブキティンギの「日本の穴」は、どうなったかー。永年「日
本の穴」問題に関わって来た僕は、地震で「穴」がどうなっか、気が
かりだったので、まず尋ねた。
「日本の穴」というのは、戦争中この地に駐屯していた弟25軍司令部
が掘った防空壕のことだが、戦後インドネシア政府は、この壕を日本
軍による労務者虐殺現場として”観光”名所化しようとした。壕の入口
には惨殺を匂わすレリーフまで登場した。
1996年、僕は戦時中「スマトラ新聞」記者として現地にいた先輩と旅行
して、この虚妄をしり、各地の戦友会と連絡を取り、壕の築造責任者か
ら詳細な証言をえた。外務省筋は「インドネシア政府は、一度決めたこ
とは・・・」と逡巡していたが、僕らの抗議でレリーフは撤去された。
帰国したカメラマンの話では「日本の穴」は、やはり地震で被害を受け、
立入り禁止になっていたという。ブキティンギ市や観光業者にとっては
観光の目玉を失い大痛手である。閉鎖が一時的なものか永久的なもの
かは解からないが崩壊の危険はある。長野市の松代大本営跡は年間
維持費が1億円もかかっている。とてもブキティンギ市にそんな予算は
ないようだ。
「虐殺」は話として、あることないこと後世に伝えられるが、壕は戦争の
傷跡として未来永劫に残る。現地の住民の大半は、まだ「虐殺}を信じて
いるだけに依然として困った問題だ。
西スマトラパダン地方をM6・3の地震が襲い各地で大きな被害が出
た。観光地ブキティンギの「日本の穴」は、どうなったかー。永年「日
本の穴」問題に関わって来た僕は、地震で「穴」がどうなっか、気が
かりだったので、まず尋ねた。
「日本の穴」というのは、戦争中この地に駐屯していた弟25軍司令部
が掘った防空壕のことだが、戦後インドネシア政府は、この壕を日本
軍による労務者虐殺現場として”観光”名所化しようとした。壕の入口
には惨殺を匂わすレリーフまで登場した。
1996年、僕は戦時中「スマトラ新聞」記者として現地にいた先輩と旅行
して、この虚妄をしり、各地の戦友会と連絡を取り、壕の築造責任者か
ら詳細な証言をえた。外務省筋は「インドネシア政府は、一度決めたこ
とは・・・」と逡巡していたが、僕らの抗議でレリーフは撤去された。
帰国したカメラマンの話では「日本の穴」は、やはり地震で被害を受け、
立入り禁止になっていたという。ブキティンギ市や観光業者にとっては
観光の目玉を失い大痛手である。閉鎖が一時的なものか永久的なもの
かは解からないが崩壊の危険はある。長野市の松代大本営跡は年間
維持費が1億円もかかっている。とてもブキティンギ市にそんな予算は
ないようだ。
「虐殺」は話として、あることないこと後世に伝えられるが、壕は戦争の
傷跡として未来永劫に残る。現地の住民の大半は、まだ「虐殺}を信じて
いるだけに依然として困った問題だ。