「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ボケ防止ブログ この一年

2006-12-31 07:31:04 | Weblog
一昨日の小ブログの閲覧数が突然4ケタに乗った。何かの間違いだと思うが
かりに間違いだとしても、千人を越す方々がアクセスしてくれたことは、ブロガ
ーとして、こんなに嬉しいことはない。ブローガー冥利につきる。

今年2月、娘の勧めでボケ防止として、このブログを始めた。最初は日記の代
用、身辺雑記を書き留めようとして始めたのだが、アクセス閲覧数に刺激され
て海外旅行で10日間、家を留守にした以外、毎日書き続けた。毎日となると
正直いってテーマに困ることもある。どうしても社会の出来事に関心を持たざる
をえなくなる。これがボケ防止に好いのかも知れない。

原則として僕は毎朝一番でパソコンの前に座る。前もって何を書こうか、そのコ
ンセプトは頭の中にあるのだが、その日の体調に左右される。二日酔いの日は
悪戦苦闘する。したがって前夜の深酒は避けるようになる。これもブログの効用
だろうかー。

大晦日に当たって、この一年の小ブログのベスト5を紹介します、
(閲覧数)
(1)「納めの不動 歳末雑感」(12月29日)
(2)「戦友会と仲良しコーラス」(10月8日)
(3)「家庭電飾とクリスマス流行考」(12月5日)
(4)「フランス焼酎と豪州ビーフと伊ビーンズ」(10月24日)
(5)「男らしさは”ハンカチ”か”手拭”か」(8月23日)
(閲覧指数)=IP
(1)「八大竜王雨やめ給え」(7月22日)
(2)「17.8.05 インドネシア独立記念日」(8月17日)
(3)「テレビも見捨てた巨人戦」(8月10日)
(4)「日本伝統文化 お十夜」(10月26日)
(5)「"紅葉マーク”をつけよう」(11月10日)


巧言令色鮮仁 安倍内閣

2006-12-30 07:47:20 | Weblog
暮にきて行革担当の佐田玄一郎大臣が辞任、ドタバタと渡辺喜美新大臣
が誕生した。渡辺氏はあのミッチーこと、故渡辺美智雄氏の子息である。
就任早々、手腕も解らぬ先に失礼だが、この更迭を聞いて”また二世議員
か”とがっかりした人が少なからずいたに違いない。その辺の世論の読み
が安倍総理にはあるのだろうかー。”仲良し内閣”という評もある。

渡辺新大臣は就任に当たって”愛の行革”といったが”愛の行革”ってなん
のことだろう。安倍総理は発足に当たり”美しい日本”の創生をうたった。
これまた解るようで解らない。ルール違反者をすぐ出すようでは”美しい日
本”はできない。

その昔,旧制中学の漢文の時間で「巧言令色鮮仁」(論語・学而)を学んだ。
三省堂の「慣用句ことわざ辞典」によると、その意味はこうだ。少し長いが
引用してみよう。
「うまく言葉を使ったり顔色を使ったりする者には、人の道を心得た者がすく
ない。心にもないことを言って、おべっかを使う八方美人には誠実な人間は
すくない」

「巧言令色」の対意語は「剛毅木訥近仁」である。今の時代「剛毅木訥」で
は”票”にならないかもしれないが、あまり大向こうを意識した発言はどうな
のだろうかー。テレビの無責任な評論家とは違う。国の政索を担う閣僚で
ある。黙って安倍総理の言う新大臣の”突破力”に期待したい。





納めの不動 歳末雑感

2006-12-29 07:11:33 | Weblog
東京の街から年々歳々昔の歳末風景が消えてゆく。戦前子供のころは
もっと寒かった。からっ風の中を大人が何かに追われるように、走るように
歩いていた光景が目に浮かぶ。商店街では歳末大売り出し,鐘がガラガ
ラと振られ"大当たり、一等賞,桐の箪笥”といったがなり声が今も耳に残
る。駅前の銀行の前には特大の松飾があった。

迎春のこの時期、東京では昔からの言い伝えがあった。”九”は”苦”に
通ずるから、この日には餅をついてはいけない。大晦日のしめ飾りは一夜
飾りで縁起が悪いーといった類。ジンクスだとは判っていても、やはり何
か起これば嫌なものだ。昔はこれを守る家が多かったが今はどうなのだ
ろうかー。

きのう28日は納めの不動の縁日だった。近所の目黒不動へ夫婦で参詣
した。天候にも恵まれ、同世代とおぼしき人たちで人たちで賑っていた。
確かに高齢者社会である。僕も昔は一気に登れた”男坂”の急な階段を
やっとのおもいで登り、ボケないようにお線香の煙を頭に呼び寄せえた。
本堂の裏手には大日如来のお像がある。僕ら夫婦の干支は未と申、大日
如来が守り尊である。今年一年、健康で無事であったことに感謝し手を合
せた。

世の移り変わりは世の慣いである。街の歳末風景が変わるのも当たり前だ。
しかし、ご先祖から伝えられてきた”日本の心”だけは次の世代にも受け継
いでゆきたいものだ。この世界には”改革”はいらない。


大掃除 ”捨て切れない病”

2006-12-28 07:31:24 | Weblog
きのう春みたいな陽気につられ思い切って夫婦で大掃除をした。案の定
夫婦の口喧嘩である。昭和1ケタ生れの老妻は極度の”捨て切れない”病
なのだ。戦中戦争直後の物の足りない時代に育った妻は、すべてが”もっ
たいなくて”捨てられないのだ。僕が”要らない”と捨てたものまで、ゴミ袋
から拾い出す。

あの時代は本当に物がなかった。古新聞がトイレット・ペーパーだった時代
である。母親がお尻の抜けた半ズボンに尻当ての布地を当て、それをはい
ていた。僕らはそれを”猿のオケツ”といっていた。大人も古い背広を裏返し
て着ていた。ポケットが反対なのですぐ判った。衣料不足は戦後まで続いた。
昭和23年のクリスマスのころ、近くの教会で”進駐軍物資の放出”バザーが
あり、茶色の縞模様のオーバーコート”を買った記憶がある。布地がすり切れ
た中古品だったが、得意然と着ていた。

数年前、スリランカの田舎を訪ねたら、村の子供たちが"○○中一年”と名札
を縫い付けた日本製の中古運動着を着ていた。物あまりの日本では、今の若
い世代は簡単に物を捨てる。娘にいわせれば、一シーズン手を通さなかった衣
類は、その後絶対に着ることはないーそうだ。その通りである。それよりは開発
途上国の子供に寄贈したほうがよいのだが。

しかし、あの時代を経験した世代にはそれが出来ない。また、あのような時代
が来るとは思ってはいないのだが、困ったものだ。一種の業のようなものだ。





スマトラ沖津波の復興はなぜ進まないのか

2006-12-27 08:05:27 | Weblog
スマトラ沖地震・津波から26日で2年経った。インドネシアのアチェだけ
で12万人の生命が失われた。この大災害のあと、僕は隣接する北スマ
トラのメダンに1週間滞在した。自衛隊の医療チームが現地に到着した
ころである。僕はジャカルタの英字紙が、自衛隊について"初めて人間
の顔をした軍隊”という見出しで報じているの見てがっくりきた。怒りさえ
感じた。

昭和17年日本軍がアチェに上陸した時は、藤原機関(F機関)と現地人
との提携で無血上陸している。戦時中アチェには近衛第二師団と海軍第
九根拠地隊が駐屯していたが、ほとんど住民との間にトラブルはなかった。
むしろ住民との関係は友好的だった。だからこそ、大災害の直後、陸海の
戦友会はいち早く義援金を募り、東京のインドネシア大使館に持参した。

残念ながらインドネシアの歴史教科書は、日本の軍政を”ファッショ”という
言葉でくくり、当時の日本軍を"野蛮””残酷”とプロトタイプで描いている。
そのために事実に反する"惨殺物語”まで横行する。上記英字紙もその影
響である。

現地からの報道では、復興事業は遅々として進んでいないそうだ。まだ6
万人が暫定被災住宅に住んでおり、基幹道路も半分も完成していないとい
う。災害後世界から届けられた善意の救援金は、効率よく使われていない
ようだ。例によって汚職の噂もある。日本政府も援助金を渡すだけでなく現
地の間違った報道には抗議すべきである。日本的にいえば感謝の気持ちが
なければ、友情は長続きしない。











郵政公社は民間会社となれるか?

2006-12-26 08:00:12 | Weblog
今の郵政公社は来年4月から民間会社となる。今年もあと6日寝ると
新しい年がやってくる。果たして4か月の期間内で民間会社に移行し
民間会社と"イコール・フッティング”のサービス提供が出来るのかー
素人目には甚だ疑問だ。

郵政公社は民間移行後四分社化されるが、庶民に日常最も関係ある
のは「窓口ネット会社」だ。この部門をみる限り、郵政公社に移行後サ
ービスは低下しているとしか思えない。わが家への郵便配達は午後5
時近くになってからである。冬至がすぎて多少陽が長くなったとはいえ
真っ暗になってからである。公社化前にはこんなことはなかった。

きのう郵便を出しに駅前通りの郵便局へ行ったが、この郵便局はいつ
も満員で,どの窓口も行列が出来ている。入口のセンサーが作動せず、
お客はそれをよけて立っている。民間会社なら局舎を拡充したり、移転
を考えるところだが、そんな動きはない。

年賀葉書の発行が年々減ってきているという。今年は昨年比92・8 %の
41億5,000枚だという。それでも単純計算すると、一人当たり赤ん坊まで
いれて35枚、大変な数である。ところが、きのう年賀葉書の追加分を買
いに行ったら、希望の葉書は売り切れで、スーパーへ行ってくれという返
事。その葉書がきょう他の局では売っていた。どうなっているのか。


競馬の効用 ボケ防止

2006-12-25 08:04:34 | Weblog
有馬記念(G1レース)に徹夜組を含め10万人をこすファンが集まった
そうだ。競馬自体の売上げは減ってきているのにこの人気。やはりフ
ァンのお目当ては名馬ディープインパクトのこれを最後に引退するラス
トランの観戦だった。ディープインパクトの見事な勝っぷりは、この名馬
の最後の花道を飾るのにふさわしいものだった。

今年最後のG1レースに僕も大枚500円を投じてテレビ観戦した。格言
に"終わりよければ、すべてよし”とある。僕もそれに期待したが、残念
ながらダメだった。ディープインパクトの単勝を買えば100円の儲けにな
るのは解っていても、それを買わない。それが競馬なのだ。

この一年、僕は友人の電話投票に乗っかって中央競馬G1レース三連複、
一枚100円の馬券を5枚、つまり500円だけ買った。G1レース23のうち
都合で買えなかった3レースを除く20レースを買った。その結果はフェブ
ラリーステークス(5,920円)と桜花賞(3,810円)2レースをとってい
るので投じた10,000円マイナス獲得金9,730円、収支は270円の
の損で終った。

競馬は推理のゲームである。事前にあれやこれやと推理するのが楽しみだ。
若い時は専門の競馬専門紙を買って、本格的な推理をしたものだが、今は
一般紙の僅かな情報を頼って推理しているだけだ。それでも推理することで
ボケの防止には役立っているーと僕は信じている。いずれにせよ一回500円
の投資である。

代議士先生の妻は”山内一豊の妻”か

2006-12-24 07:44:48 | Weblog
わが町の”床屋談義”はこのところ、もっぱら小杉隆元文相夫人の
破産宣告の話である。マスコミの報道では、夫人は14億円の借金
が支払えず破産宣告をしたという。債権者はおもに個人で、その数
は260人、ほとんどが代議士の支援者だとう、夫人は”山内一豊の
妻”なのかどうかー。

小杉隆代議士は自民党の当選8回のベテラン議員で、第二次橋本内
閣では文部大臣を経験している。環境問題が専門で、野鳥の会の理
事、サイクリング好きで”クリーン”なイメージで通っている。
地元の区議でレポーターの須藤甚一郎氏にいわせると”好い言葉でい
えば清廉潔白、悪くいえばケチ”である。代議士は小杉家の婿養子だ
が、実家は古刹の門前の石屋さん、こつこつ石を刻むタイプという人も
ある。

なぜ小杉代議士夫人が、こんなに多額の借金をしたのかー。最初は
エステ関係の会社に投資し、この失敗が原因のようだが、選挙区の
支持者を中心に夫人自身が出向き借りまくっている。中には高利をつ
けて返済したケースもある。代議士は否定しているようだが、選挙資
金に使用されたのではないのだろうかー。夫人が”山内一豊の妻”な
のかどうかは不明だ。

直接関係ない話だが、小杉代議士がかって属していた新自由クラブの
僚友、山口敏夫・元労相の詐欺、背任罪、懲役3年6か月の刑が最高
裁で確定した、というニュースが新聞に出ていた。政治家とカネ、何故
そんなに必要なのか僕らにはわからない。


”一身上の都合”は一回だけで結構

2006-12-23 07:14:54 | Weblog
政府財政調査会会長の辞任をめぐる安倍首相の記者会見での発言は
まさにお笑いだった。本間正明会長(大阪大学院教授)の辞任理由に
ついて首相は”一身上の都合”という言葉を13回もつかって記者の質
問をかわした。”官舎はすべて売却すべし”という報告書を政府に提出
した当の調査会会長が、その官舎に愛人と一緒に生活していたとあれ
ば問題だ。国民の大半はそれを知っている。なのにそれを質問する記
者も記者なら、それに”おうむ”のように答えた首相も首相だ。


”一身上の都合”は勤め人が個人的な理由で退職届けを会社に出す時
などに使う常套語だ。具体的な理由を記入しないのは、暗に聞かないで
くれ、という事情がある。国民だって”武士のなさけ”を知っている。
安倍首相の”一身上の都合”の連発は聞いていても聞き苦しい。お父さん
お祖父さん時代の政治家ならともかくだがー。

僕も一回だけ"一身上の都合"を使って会社を辞めた。退社の理由が複
合的で一つに絞れなかったから、この曖昧な言葉のお世話になった。
安倍首相は13回もこの言葉を使って本間会長を弁護した。しかし国民
は財政調査会が政府の諮問機関で、その会長の任命権が首相にあるこ
とぐらいしっている。首相が懸命に弁護すればするほど首相の責任を問い
たくなる。

他人のプライベートな問題はなかなか解りにくい。一見、真面目な顔を
した経済学者が常習の痴漢だったりする。その点、首相に同情しない
でもない。責められるのは本間会長だ。自分がどのような立場にあるの
か”いい年をした”学者が解らなかったのだろうか。お粗末である。


同時代人の死と「命」を思う

2006-12-22 09:02:01 | Weblog
義姉の葬儀へ行く新幹線の車中の電光ニュースで青島幸男と岸田今日子の
逝去の報を知った。ほぼ僕と同時代の人たちだ。とくに岸田今日子は僕と同学
年、疎開先の飯田の学校で勤労動員を受けた経験まで僕と似ている。しかも
長野新幹線の中で彼女の死を知った。なにかの機縁である。

公募で決まった今年の漢字は「命}である。秋篠宮悠仁親王の明るい「命」の誕
生からいじめによる自殺、交通事故などの「命」の損失の悲しい暗いニュースも
あった。一つにくくれば「命」なのだろう。

若いときにはあまり「命」に無関心であった。しかし馬齢を重ねると「命」に感慨
を覚えるようになる。大げさに言えば、金魚鉢の中の金魚、路傍の草木にさえ
「命」の”いとおしさ”を感じることがある。

"死んでしまえば同じさ”という言葉を耳にする。俗世的にはそうなのだが,生
と死とは大違いだ。年の瀬にはよくあの世にいってしまった友人のことを夢み
ることがある。僕だけの現象なのだろうかー。友人たちと酒を飲みながらワイ
ワイ騒いでいると、夢が破れる。みなこの世にはいない連中である。

やはり生きていることと,死んでしまうのとは大変な違いなのだ。生きとし生け
るものを"いとおしむ”こと、「命」の大切さを義姉の死、青島幸男、岸田今日子
の死から改めて知った次第である。