「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

1か月の入院生活iPadに挑戦

2013-11-21 06:19:56 | Weblog
今日21日から約1か月間入院します。最初の1週間は、左膝人工関節置換手術をするには僕の血糖値では問題がありそうなので、血糖値を下げるための”予備入院”。そのあと置換手術を行い、リハビリを含めて4週間入院する予定です。

2か月前の9月、4回目の膀胱ガン摘出手術をしたばかりの老体にとっては正直言って苦痛だが、膝の痛みから、このまま寝たきり老人になる可能性もある。周囲に迷惑をかけないための”苦渋”の決断でもあります。

入院期間中、小ブログは病室の電子機器環境によっては更新できないかもしれません。iPadの使用が許されれば挑戦したいと思っています。

「読書」から「聴書」の時代

2013-11-20 06:00:09 | Weblog
新聞の一面全面 広告に宗教学者、山折哲雄氏の”人生80年時代を心穏やかに生きる”というタイトルの「書」が紹介されていた。しかし「書」と思ったのは僕の早とちりで「書」ではなくて、新しいCD の出版広告であった。今や「読書」ではなくて「聴書」の時代なのであろうかー。

「読書三昧」とか「晴耕雨読」の時代に育ってきた僕には、どうもCDで「聴書」するのには抵抗がある。やはり本は秋の夜長、灯火の下で親しんでこそ有難味がある。しかし、同じ後期高齢者でも昭和一けた後期や二けた前期は「聴書」のほうが馴染みよいのであろうか。オーディオ.ブックやCDといったコンテンツなら、なにか別のことをしながらも「聴書」できるし、I-PODなどのケータイに落としても「聴書」できる。

明日の入院を控えて、昨日娘に頼んで近くの図書館から本を何冊か借りてもらってきた。約1か月の入院なので、普段読めない本を中心に読もうと思っている。とりあえず、青春時代に読んだ大佛次郎の「帰郷」と「鞍馬天狗」を借りてきた。とくに意味があるわけではないが、戦前から戦中にかけて活躍した、この多彩な作家の作品に僕は興味がる。イタリア語が専門だった親友は死への病床の上でダンテの神曲を読んでいたのを想い出す。僕もできれば、日本の古典を再読したいと思っている。

多分古典はCDではないと思う。病床で老眼鏡のお世話になりながら、古典を「読書」するのも楽しみだ。

放射能汚染タンク群敷地はかっては美しい松林であった!

2013-11-19 06:26:51 | Weblog
東京電力福島原発4号機の燃料貯蔵プールからの燃料取り出し作業が18日から開始された。工程表通り進めば来年末までに4号機プールに入っていた1533体がすべて取り出されるという。30年から40年かかるという廃炉へ向けて大きな前進だと伝えている新聞もある。果たしてどうなのだろうか。

40年ほど前勤めていた郡山の民放のOB会報に実家が、この4号機から1㌔と離れていない、かっての同僚の被災地訪問記、”わが故郷はいま”が写真入りで載っていた。もちろん故郷の大熊町は帰還困難地域に指定されており、防護服にマスク、靴カバーで身をかためた写真は、さる6月一時帰郷したさいのものだ。今、放射能汚染水漏れで問題になっているタンク群のある場所は、かっては美しい松林があった所だという。同僚は訪問記の結びとして、この美しかった故郷に、いつ孫たちを連れて帰れるだろうかと書いている。

原発事故被災地から60㌔離れた県都、福島市長選挙で、現職の市長が大差で新人候補に負けた。今年になってから被災地に近い郡山市、富岡町、いわき市の首長選挙で続けざまに現職が敗退している。原因は何なのか。除染や復興への遅れに対する住民の批判だという指摘もある。

核燃料取り出しは始まったが、一方では依然、放射能汚染水漏れがあとを絶たない。安倍総理は9月のIOC(国際五輪委員会)総会のプレゼンテーションで”汚染水は完全に制御されている”といった意味の発言をした。僕はこれを信じているが、被災地近くの自治体首長選挙で、たて続けに現職が敗れている。なにか政府の対策に欠けているものが、あるのではなかろうか。

ケネディ.ライシャワー 日米パートナーシップの時代

2013-11-18 06:48:40 | Weblog
新しく米国の駐日大使になったキャロライン.ケネディさんが”ハジメマシテ”と日本語で挨拶して着任された。50年前テキサス州で暗殺されて世界を驚愕させた、あのジョン.F.ケネデイ第35代米大統領の長女である。改めて時の流れの速さを感じる。ケネディ大統領が暗殺されたのは1963年11月22日(昭和38年)だが、僕はあの日、日本時間23日早朝、勤めていた新聞社から緊急電話を受け、タクシーで出社した。もう半世紀も前の事だが、昨日のようにまだ覚えている。

キャロライン.ケネディ新大使は1957年11月27日生まれだから、あの時まだ6歳の誕生日の数日前の出来事だった。父親の葬儀の際、喪服姿の母親、ジャックリーヌ夫人に手を引かれたキャロラインさんの姿が目に浮かぶ。あれから半世紀、世界は変わった。ベトナム戦争の終結、ソ連邦の解体、冷戦体制の終りなどなど。キャロラインさんも個人的に翌年の、叔父のロバート.ケネディ司法長官のまたもの暗殺事件、母親ジャックリーヌ夫人の、ギリシャの海運王、オナシス氏との再婚などを経験した。

顧みると、ケネディ大統領じだいの日米関係は”パートナーシップ”と呼ばれ”蜜月時代”であった。駐日大使は、日本生まれで日本女性を夫人に持つ学者のライシャワー博士であった。ライシャワー博士も、キャロライン.ケネディ新大使と同じく外交問題には素人であった。民主党3年3か月の外交の失敗で、日米関係は”ケネディ.ライシャワー”時代のような”蜜月さ”は感じない。あの時代には尖閣問題など存在しなかった。日米関係は外交政策の基軸である。キャロライン新大使に期待するものがある。

気になる比台風の日本人の安否

2013-11-17 06:55:23 | Weblog
フィリッピンのレイテ島を中心とする台風30号の被害に対する救援活動は発生から1週間も経つのに思うように進んでいないようだ。現地からの報道では食糧不足や治安悪化から他の地域へ脱出をはかる島民で混乱している。気になるのは発生当初から安否が気遣かわれていた在留邦人の消息だ。レイテ島とサマール島にいた133人のうち新たに34人の無事が確認されたが、依然残り41人と連絡が取れていないという。

政府はレイテ島の首都タクロバンの市役所内に連絡所を設けて、行方不明者を探しているようだが現地は混乱状態が続いている。果たして台風のの被害にあったかどうかであえ不明である。先日、NHKの夕方の首都圏ニュースを聞いていたら、日本人と結婚したフィリッピン女性が、家族と連絡がとれないと心配していた。日本の海運会社で働くフィリッピン船員の7割は、この地方の出身者で、やはり家族の安否を気遣い、海運会社で互いに連絡をとりあっているというニュースもあった。

千人規模の陸上自衛隊の救援部隊が数日中に現地入りするが、医療の先遣隊がやっと現地入り出来た状態である。当然やっていると思うが、しっかりとした指揮系統の下で作業を進めてもらいたい。例えば行方不明者探しについても、日本国内にも連絡所を設け、現地と連絡が取れない人々のリストを作り、一人一人つぶしてゆく作業も必要ではないのか。また混乱の中でも無事帰国できた人は、外務省なりしかるべき所に連絡取るべきだ。

最近は無責任な自分勝手な日本人の海外滞在者が多いと聞く。長期滞在者は必ず現地の海外公館に届け出し、しない場合は罰則を求める制度を設けたらどうだろうか。

日本食の世界遺産登録と食物偽装

2013-11-16 06:28:18 | Weblog
食物の偽装表示はとどまるところを知らない。今度は2008年のサミット(主要国首脳会議)の会議場になった洞爺湖畔の有名ホテルのレストランで北海道サーモンと称してチリ、ノールウェー産の鮭を使用していた。何故、こんな偽装をするのか素人の僕にはわからないが、随分と人をバカにした話である。

日本食を世界遺産に登録しようという動きがあるそうだ。そんな時にこの偽装問題は影響しないか心配だ。そこで人を介して食専門家に訊ねてみたら、こんな答えを頂いた。日本食の世界遺産への登録は、個々の食品についての評価ではなく、国土、季節、祭り、行事などの総合的な食文化ではないかという。確かにそうだ。正月のおせち料理一つ取っただけでも、一つの世界遺産の価値はある。

食専門家は世界中の料理を沢山食べているので”どこの料理が美味しいか”-野暮な質問をしたら”近くで栽培されたものを、その土地の調理法で料理して旬に食べることだ”という答えだった。そして食の美味しさは、柳田国男のいう”ハレ”と”ケ”、つまり、”ハレ”=儀礼や祭り年中行事=、”ケ”=普段の日常生活=に応じた食生活に関連あるのではないかという意見だ。確かにそうだ。北海道で10年生活した経験からも、有名ホテルのサーモンよりは道東の民宿でお祭りのさい食べた鮭のチャンチャン焼きのほうが美味しい。

これも僕は知らなかったが、今回の偽装問題とは関係なく、わが国では「食品表示法」が今年の6月成立、いま消費者庁が中心になって法の整備中で2年後には施行される。偽装が表面化したのは、よいチャンスである。日本食の文化遺産登録とあいまって徹底的に”偽装”を洗いなおしてもらいたい。

僕が学んだ8年間の修身の成績

2013-11-15 06:48:53 | Weblog
文部科学省の有識者会議で「道徳」を教科にすることが決まり、検定教科書を使って早ければ2015年度から実施される。内定案を見ると、骨子は僕らが戦前戦中習った「修身「のようである。僕は戦前の昭和12年4月小学校に入学、20年8月の終戦までの約8年間「修身」を学んでいる。たまたま家に僕の小学校時代の通信簿(成績表)が保存されてあったので懐かしく僕の修身の成績を調べてみた。

入学した時には明治時代以降のの小学校で「修身」の成績は、甲乙丙で評価され、そのほかに通信簿には「操行」という科目があった。「操行」とはお行儀みたいなものだろうか。「修身」の評価が甲乙丙だったのに対し「操行」は優良可表記であった。昭和16年の学制改革で、小学校は国民学校と名前が変わり、僕の通信簿も5年、6年は国民学校のものだが「修身」は新しく出来た「国民科」の中の一つで国語、国史、地理と並んで表記され、成績も優、良上、良下、可に変わっている。恥ずかしながら、僕の成績は国民学校時代、一度だけ良上があったが、甲と優であった。

そんな成績の”良かった”僕だが、あまり「修身」の時間についての記憶がない。確かに教科書はあったが国語の副読本みたいな感覚だった。試験があった記憶もない。先生方が何を基準に成績評価したのであろうか。今回の「道徳」案では、五段階の数値評価はなく特別学課として扱われるようだが、それは正しいのではなかろうか。

70年以上昔の事、記憶が薄れてきたが、今でも二宮金次郎の薪を老いながら読書した勤勉さ、養老の瀧の孝行息子の話、木口小兵の日清戦争のさいの死んでもラッパを放さなかった話、軍神広瀬が行方不明の部下を探して艦とともに殉職した話などは今でも覚えている。こういった「修身」の話が80年の人生に自然と役に立っていたのであろう。

世界血糖病デー、やめられない飲酒の習慣

2013-11-14 06:26:17 | Weblog
今日11月14日、東京都庁、大阪城、清水寺など全国の有名な建物がブルーライト.アップされるのをご存知ですか?11月14日はWHO(世界保健機構)が決めた「世界血糖病デー」である。その周知徹底のため、空の色のブルーと団結を現す輪でもってライトアップされるのだそうだ。昨年までは全く知らなかった行事だが、今年はその血糖病で入院するハメになってしまった。

昨日、来月左膝人工関節置換手術で入院予定の病院で、最終的なメディカル.チェックを受けたら、やはり血糖値が手術するには高く、1週間前事前に入院して血糖値を下げてもらいたいと通告された。僕の場合、数年前から血糖値が高く薬を飲んではいるが、ヘモグラビンの数値は5-6台で、糖尿病予備軍ぐらいと自分では思っていた。もちろん、大事をとって入院することにした。

病院では「世界血糖病デー」を記念して血糖値の測定や講演会が行われていた。僕も同行してくれた老妻と一緒に参加した。数年前、知人の医者の勧めで、僕ら夫婦は約半年間であったが、カロリー計算にしたがって食事をした。その結果、二人とも体重が落ち血糖値も正常になった。しかし、僕の場合は若い頃からの”晩酌”がやめられず、すぐ体重はリバウンドしてしまった。その体験もあり、理論的にはよく解かっているのだが、実行できない。人間の悪い性(さが)である。

病院では講演会参加のお土産(写真)にノン.アルコール、ノン.カロリーのビールなど沢山の糖尿病予防の食品をくれた。戦中戦後の食糧難時代には糖尿病患者は日本にいなかったそうだ。その意味では一種の贅沢病なのかもしれないが、友人にも合併症で失明、死亡したものもいる。入院を機会に飲酒の習慣をやめたらどうかと老妻はすすめるのだが、どうもやめられそうもない。



自由12、公明11、民主3 ”寅さん”の葛飾区議選結果

2013-11-13 06:34:47 | Weblog
東京の葛飾といえば柴又の帝釈天、映画「男はつらいよ」の”寅さん”で知られているが、先日行われた葛飾区長と区議会議員選挙の結果が新聞に出ていた。区長は自民公三党推薦候補が、共産推薦候補を破って当選したが、区議選(定員40名)では、自由民主党が12、公明11、民主が3という結果であった。公明が11という数字に僕は驚いたが、前回の議席維持で、驚くには当たらないことだった。

全国的にみて地方選挙での公明党の結果はどうなのか判らないが、東京都議会での各党派別の分布図を見ると、自由民主59、公明23、共産17、民主15-で公明が第2党である。各区別でみても下町の代表区台東区が自由民主9、公明6、民主1、山の手の杉並区でも自由11、公明8、民主7人と、この構図には変わりがない。

公明党が発足したのは昭和39年11月で、まだ半世紀も経たないが、その進出ぶりは驚きだ。葛飾区議選で想い出すのは、僕がまだ駆け出し記者だった時代の先輩に創価学会員Sさんがいた。記者をしながら「聖教新聞」に連載小説を書いていた。当時創価学会には”折伏”という制度があったのであろうか、僕らはふざけ半分に、Sさんから”折伏”されるなよと話し合ったものだ。その後Sさんは会社を辞め、葛飾区の区議会議員に当選したと聞いている。昭和30年頃の話である

僕は政治にも宗教にもあまり関心のない一人だが、公明党が選挙に熱心なのには感心する。選挙になると遠く北海道からも公明党への応援支持の電話がかかってくる。これもまた冗談だが、他の政党もすこし、この熱心さを見習ってはどうか。ちなみに、あまり関係のないことだが、柴又の帝釈天のお寺は日蓮宗である。

中曽根元総理は”従軍慰安婦”のウソを糾す生き証人

2013-11-12 05:44:36 | Weblog
「慰安婦問題に関する誤解を糾す」パネル展が東京の多摩地区で巡回展示されている。膝が悪く見られないのが残念だが、YOU TUBEで展示の一部を見た。戦争体験のない世代には、韓国のいう”従軍慰安婦”とか”性奴隷”の実態が理解できない。その意味では好企画である。主催団体のHPを見ると、展示会のほかに、あの時代を体験している”生き証人”を探し”従軍慰安婦”のインチキさを明らかにしたいとあった。

これを見て僕が第一に頭に浮かんだのは中曽根元総理が、かって知人に語った形で本にした、いわゆる”土人女を集めて慰安所を作った”発言である。これに関して高知の平和団体が、中曽根元総理が慰安所設置に直接関与した証拠であり、これを裏付ける文書が防衛庁の保存資料にあると騒いでいる。そして民主党の辻本清美議員が国会の委員会でしたり顔で質問していた。

僕も防衛庁の資料を見たが、戦争中の日海軍の基地建設体制を知る上では、大切な資料である。しかし今騒がれている”従軍慰安婦”問題の本質ではない。資料は当時海軍の主計中尉であった中曽根氏が昭和17年4月、占領直後のカリマンタン(インドネシア)のバリックパパン石油基地の施設班長に任命された文書である。中曽根氏は”豪語癖”のある人らしく”三千人の大部隊の隊長”と本に書いているが、三千人のうち大半の二千三百人は、石油基地で働く民間の徴用工であった。

中曽根氏は”土人女を集めて”といっているが、どうやって集めたのだろうか、中曽根氏の経歴をみると東大出の短期現役の主計将校でインドネシア語がしゃべれるとは思えない。同じころ同じカリマンタンのバンジェルマシンでは、戦前から同地に住む日本人を介して慰安所を作っている。中曽根氏の場合も多分同じである。あの時代には南京の”百人斬り”みたいな変な話を自慢する人がよくいたものだ。中曽根氏がそうとはいわないが、事実は事実として語り”従軍慰安婦”のウソを糾す”生き証人”になって頂きたい。さもないと、辻本議員みたいに依然”従軍慰安婦”のうそを信じている日本人がまだ大勢いるからだ。