「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     鳩山総理の不徳の致すところ

2010-04-30 05:29:47 | Weblog
今年の連休は日ならびがよく、今日1日休暇をとれば、連続7日休めるそうだ。そ
のせいか海外旅行も3年ぶりに前年比アップとのこと。まさか、このバスに乗り遅
れてはというわけでもあるまい。鳩山内閣18閣僚のうち11閣僚が連休中日本を留
守にするという。普天間移転問題の関係閣僚、岡田外相、北沢防衛相までが含ま
れている。

可哀相なのは鳩山総理だ。休みもとれず5月4日には"招かれざる客”として沖縄を訪
れる予定とのこと。伝えられる報道では総理は繰り返し明言していた普天間飛行場
の県外移設はあきらめ、結局,前政権が米国との間に決めた現行案の手直しについ
て沖縄側の了解を取り付けに行くにすぎない。古い表現をとれば、なんの顔(かんば
せ)あっての沖縄訪問だ。

昨日、連合主催の「メーデー」で鳩山総理は挨拶した中で"不徳の致すところ”という
言葉で国民に詫びていた。たしかに不徳の致すところだ。普天間問題がどう決着する
のか国民が心配している大事な時に、11人もの閣僚が海外に出かけるとは。とくに北
沢防衛相のインド訪問は、緊急の案件とは思えない。

ワシントン・ポストが先日、鳩山総理を”Loopy”と批判したが、その意味は”現実から
の逃避”という意で使用したのだそうだ。国の舵取り役の総理が”Loopy”であっては
困る。約束の5月いっぱいに普天間問題の解決のメドがたたないならば辞任すべきで
ある。












      昭和生まれのある少年兵の記録

2010-04-29 06:09:15 | Weblog
大東亜戦争中、南方にいた日本軍兵士の間で”ジャワは極楽、ビルマは地獄、生きて
帰れぬニューギニア”という言葉があった。その言葉どおり、ニューギニア戦線に参戦
した兵士の93%にあたる14万人が南寧の地に散華している。僕は最近、この地から
生還できた昭和3年生まれの松尾源司さんが書いた「少年兵ニューギニアに潰ゆ」(新
風舎2006年)という本を読む機会に恵まれた。今日は「昭和の日」である。

昭和3年生まれといえば、僕とたいして変らぬ世代である。従軍世代は1920年(大正
9年)前後の方が多く、昭和生まれはせいぜい当時軍関係の学校(幼年学校、少年飛
行兵学校)の生徒だという僕の認識だったが、実際には松尾さんのような方もいたのだ。
松尾さんは昭和17年、昔の高等小学校を卒業してすぐ14歳で横須賀海兵団に通信兵
として入団、翌18年、15歳でニューギニア戦線に送られている。

松尾さんはそれから敗戦までの2年余、西部ニューギニア(現在のインドネシアパプア州)
のウエワク、ホーランディア、カイリル島に転戦、その間、熱帯性潰瘍、腸チフス、マラリア
に悩ませられながら、食に餓え、連日敵機の襲来を受けて幸にも九死に一生を得て祖国
に帰国できた。

”軍隊は運隊だ”という言葉が戦争中あったそうだ。軍隊はその人の持つ運命に左右され
るという意味だ。松尾さんは幸運だったがこの本の後書きで”かって少年たちが戦場に狩り
出され、祖国の栄光を信じて無念の死を遂げた時代があったことを後世に伝えたい”と書か
れている。昭和も次第に遠くなりつつあるが、僕も松尾さんとほぼ同世代,同じ思いである。

   キャベツ398円 レタス298円 バナナ300円

2010-04-28 06:47:56 | Weblog
昨日もまた東京はどんよりとした曇り空で、午後からは雨になった。その"晴れ間"
をぬって久しぶりに自由が丘の無人スタンドへ野菜を買いに出かけたら三軒とも何
も並んでなかった。例年だと、この時期には玉ネギや大根、ニラなどが一杯台の上
に置いてあるのだがー。

やはり異常気象による野菜不足の影響なのだろうか。帰途、近くの高級スーパーを
のぞいたら店内には野菜は沢山売られているが高い。キャベツ398円、レタス298
円、なぜか天気に関係のない輸入もののバナナまで300円で売られていた。何も買
わないのも悪いのでニラ一束を100円で買った。

戦中戦後の食糧難の時代は、野菜さえ手にいれるのが難しかった。昭和20年の亡父
の日記をみると、亡くなった母親が三日にあげず電車に乗って慶応大学キャンパス近
くの農家に野菜の買い出しにでかけている。あの時代流行だった帯しんで作ったリュッ
クを背負って買い出しに行く母の姿が今でも目に浮かぶ。

戦争で若い男性がみな戦争に狩り出され農作物を作る手が不足していた。流通ルート
も混乱していて消費地に送りたくとも送れないこともあった。わが家の狭い庭には防空
壕が掘られ、僅かな家庭菜園には、おなかの足しになるカボチャが植えられていた。戦
争末期にはアザミなどの野草も食べた。

今は高い、高いといってもおカネさえだせば、なんでも買える。いつもの事ながら幸せな
良い時代だとつくづく思う。

         "根まわし”を怠った鳩山総理

2010-04-27 06:41:04 | Weblog
"根まわし”という言葉がある。「交渉や会議などを事をうまく運ぶために、あらか
じめ手を打つ事で、本来は木を移植する際に周囲をあらかじめ掘って一部きり落
として細根を発達させておく事」(デジタル大辞泉)である。どうやら鳩山総理は普
天間問題では、この"根まわし”を怠り、細根まで切り取ってしまった感じだ。

鳩山総理は繰り返し繰り返し普天間問題は5月中に決着すると明言しているが25
日の沖縄県民の県内移設反対大会や先日の徳之島島民の島内移設反対大会をみ
ていると鳩山総理は"根まわし”はおろか、逆に問題をいたずらにかきまわしただけ
で、約束した期限内どころか問題をいっそう複雑化させたにすぎない。

鳩山内閣発足当時から普天間問題は"連立三次方程式を解くように難しい”(菅副総
理)とされておきながら、なぜ鳩山総理は事前の”根まわし"の努力を怠ったのだろう
か。唯一最有力の沖縄県外の移設候補地とみえる徳之島についても、個人的なルー
トを通じて水面下で動いていたようだが、肝心の三町長への接触を怠り、官房長官さえ
え門前払いされている。

鳩山総理は最初から普天間問題を軽く見過ぎていたようにみえる。米国のオバマ大統
領に対して、なんの根拠があって”Trust me"(私を信じて)などと言ったのだろうかー。
軽率以外のなにものでもない。国と国との防衛がからむ問題である。外交交渉こそ前も
っての"根まわし”が必要なのだ。

          衣替えできない 異常気象

2010-04-26 05:47:48 | Weblog
首都圏の陽気はやっと昨日あたりから春本来に戻った。桜はいつのまにか葉桜に変
わり、街路脇のつつじは咲き始めてきたというのに。だが、相変わらず気温は上がらず
うすら寒い。先日来の寒さで、再び持ち出した冬物の衣類だが、今度は収納しても大
丈夫なのだろうか。

日本人が普段家庭で着物を着ていたのは、何時ごろまでであっただろうか。あの時代
には季節がくると、あまり陽気には関係なく衣替えをしていた気がする。昭和20年、戦
争が負けた年も今年みたいに異常気象だった。東京でも1月から2月にかけて数回大雪
に見舞われた。亡父の5月20日の日記には"6月だというのに、この寒さだ”との記述が
あり、4月に衣替えした冬物の着物を持ち出している。

僕も昭和45年、札幌に転勤するまで東京の家では着物を着ていた。老妻の記憶によれ
ば春から秋にかけては単衣の袷に羽織、ただし7月、8月は浴衣を着、冬場は綿入れを
着ていた。それが札幌に転勤後は土地の風習にならって、活動的なジャージーを着用す
るようになった。

最近は日常、着物を着て生活する日本人はまず見かけなくなった。たしかに忙しい現代
生活には向いていない。が、老人の懐古趣味かもしれないが、時には和服を着て床の間
のある座敷でゆったりと三味の音を聞きながらお猪口で美酒を味会うのもよいものだ。
(昭和37年頃の着物姿)








          消費者庁と福島瑞穂大臣

2010-04-25 06:29:17 | Weblog
毎月終りに四のつく日は”おばあちゃんの原宿”こと巣鴨のお地蔵さんの縁日。東京
近辺のおばちゃんが、どっと集まってくる。昨日24日、この巣鴨の町で、福島瑞穂・
消費者・少子化担当大臣が、お年寄りを電話や訪問サギの犯罪から守ろうという防止
を呼びかけたビラを配っていた。大臣には悪いが、この方の担当は"消費者”行政であ
り、「消費者庁」という役所のあることのPRにも役だったのではなかろうか。

電話や訪問サギなど年寄りをターゲットにした犯罪が急増しているようだ。昨年はこの
種の犯罪が11万7千件もあり、10年前に比べて倍増だとのこと。老妻の話だと、一人
暮らしのおばちゃんが、亡くなったご主人の遺品のカメラを、巡回廃品収集車に引き取
って貰おうとしたら、数も多かったが10万円ふっかけられたという。先日もわが家にさも
僕を知っているような親しげな声で先物取引を勧める電話がかかってきた。

消費者は"消費者が安心して安全な豊かな消費生活を送る”ように設置されたお役所だ。
消費者ホットラインを通じて消費者を悪質商売から守ってくれるのに役だっている。それは
よく承知しているのだが、一歩進んで物価の監視役的な基能もあってはどうなのか。例え
ば昨今の野菜の高騰である。異常気象の影響で品不足なのか、ものすごい値上がりでスー
パーには冷凍野菜まで登場している。

"経済オンチ”の僕だが、これでデフレ現象が解決すればよいのだが、そうも行くまい。政府
の政策が"猫の目”のように変わって落ち着かない。もっと地に足がついた政治を消費者は
望んでいるのだが。

      ♯「汽笛一声新橋を」の跡の郷愁

2010-04-24 05:54:41 | Weblog
馬齢を重ねると、夜の会合は苦手である。とくに昨夜のように冷雨の日には!よほど
事前に電話で断ろうと思ったが、やはり昔の同僚と年に一回会えるOB会ともなれば
喜びもあり顔を出した。出れば、それだけに昔の現役時代が偲ばれ楽しいいっときだ
った。

会場は日本の鉄道の発祥の地、旧新橋停車場跡を中心に数年前、開発されたシオト
メ(塩留)サイトの一角のビヤーホール。せっかくの機会なので会の始まる前に旧停車
場跡の鉄道歴史室をのぞいてみた。旧駅舎の外観を残した建物内には昔のホームの
一部や線路、駅舎の礎石などが保存されており、昨日は「正岡子規と明治の鉄道」と
いう特設展も催されていた。

初代の鉄道唱歌(明治23年)「汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入
り残る月を旅路の友として」は、この停車場から汽車が出ていた頃の歌だが、もちろん
僕は知らないし、想い出もない。僕らの世代に懐かしいのは、昭和12年NHKが国民歌
謡として発表した新鉄道唱歌だ。「帝都を後に颯爽と東海道は特急の流線一路富士、桜
燕の影もうららかに」

富士、桜、燕は当時、僕ら少年の憧れの的だった特急列車の名前である。流線といって
も流線型の電車ではなくSLの蒸気機関車であった。列車には1等、2等、3等の色分けの
線が入っていて、少年の夢は1等の展望車に乗ることだった。当時東京ー大阪間は8時
間、今は新幹線で2時間半。隔世の感がある。








          舛添新党も”全共闘”世代

2010-04-23 07:26:26 | Weblog
自民党の舛添要一前厚労相(61)が新党を結成する。今一つ新党の理念が参加する
メンバーからは理解できない。ただ言えるのは矢野哲郎前参院国会委員長(63)や
改革クラブから参加の山内俊彦参院議員(63)などいわゆる”全共闘世代”が多いこと
だ。

小ブログは昨年9月、鳩山内閣発足時,全閣僚のうち鳩山総理を筆頭に菅副総理など
9人までが”全共闘世代”であることを指摘し、故瀬島龍三・伊藤忠会長(元関東軍参謀)
の”日本の危機は全共闘世代が政治の中枢についた時だ”という言葉を紹介した。”全
共闘世代”とは1965年ー72年、つまりベトナム戦争と安保闘争の時代に大学生活を
送った世代で、うち15%が大学紛争に参加している。

ネット情報によると、瀬島さんと同じような危惧は、2007年3月号の文藝春秋発行の雑
誌「諸君」にも「”全共闘世代”が日本を滅ぼす」という特集にもあった。読んだわけではない
が、その理由はこの世代には徒党を組み、異質を排除し、無責任で被害者意識が強く、リ
ーダーシップに欠けている者が多いからだという。まさに迷走を続けている鳩山内閣を指し
ているように、僕には思われる。

民主党内閣との対決を旗印にしている舛添新党はどうなのか。政策は自民党とさして変わ
りがないように思われる。今の日本の政治の危機は鳩山内閣の迷走阻止だと思うが、それ
なら自民党内にとどまって団結、これに当たるべきだと思うのだが。




        愚か者の総理では困ります

2010-04-22 06:32:26 | Weblog
徳之島の米軍基地移設反対集会の盛り上がりを見て鳩山総理が”ものすごいエネルギ
ーだ”と他人事のように言っていた。いったい、この人は何を考えているのだろうか。徳之
島の三町長が平野官房長官との話し合いをけり、事実上総理の約束している五月中で
の「普天間」問題の決着は不可能になってきた、というのにだ。

僕も徳之島の集会の模様をテレビで見て、なにか時計の針が半世紀以上もまえに戻った
感じを受けた。昭和28年4月、僕はかけだし記者の初仕事で米軍の浅間山演習地反対
運動を現地で取材した。演習地には200万長野県民の反対で阻止されたが、あの時の
ことだ。当時は60年安保をまえに内灘砂丘の試射地、砂川基地拡張反対など住民の反
対運動のエネルギーは徳之島と同じだった。

あれから半世紀を経過した今、当時を振り返ると問題解決には、当事者間のねばり強い話
し合いと時間が必要であった。鳩山総理は、前政権が苦慮していた問題を軽視し、さらには
自分で解決に期限を設けてしまった。期限まであと40日を切ったというのに、まだ”五月晴
れで迎えられる”と能天気なことを言っている。連立与党の社民党の阿部知子・政審会長で
さえ”仕切り直して考え方を整理すべきだ”と進言している。

昨日の党首会談で鳩山総理は自分のことを愚か者呼ばわりされて、自らこれを認めていた。
いやしくも一国の総理である。国民は愚か者に国を預けるわけにはいかない。一刻も早く退
陣して頂きたい。

        "地デジ”対応は大丈夫?

2010-04-21 06:22:46 | Weblog
この一月ほど、わが家はテレビの”地デジ”切替でテンテコ舞いだった。その始まりは
契約しているCATV会社から今切替工事をすれば工事代がタダというので申し込んだ
ことからだ。万事うまく行って、これで来年”地デジ”に移行しても大丈夫だと思ったら
数日後、テレビが音声だけ聞こえて画面が見えなくなってしまった。テレビは3年前買
ったばかるの薄型液晶テレビである。

故障の原因が判らず、CATV会社に電話で相談したが、何分メガに弱い老人夫婦のこ
と、ラチがあかず係りの人が来て調べた結果、テレビ本体の故障と判った。まだ買った
ばかりと思っていたのにだ。会社の人が保証書があれば、無料で直してくれるというの
で、その保証書を探したが、仕舞い忘れてない。結局新品を買うハメになった。

若い世代には当然のことが、僕ら高齢者には解からない。CATV会社から新品を買うさ
いには○○端子を買うように言われたが、その○○端子が何なのか僕らには理解でき
ない。昔は町の電気屋さんが理解できなくても、一切きちんとやってくれたが、最近の量
販店はそのサービスがない。結局、多少高いとは知りながらも、一駅離れた遠くの電気
屋さんから買った。

"地デジ”移行は2011年7月24日、まだ1年以上も先のことだが、僕らみたいな老人家
庭の移行対策は、果たして大丈夫なのだろうか。ある日突然、テレビが見えなくなったとい
う苦情が出なければよいがー。