「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           ”おねだり”夫妻の犯罪

2007-11-30 05:34:08 | Weblog
自衛隊のことを英語で”self defence force”と訳す。”force"は軍隊である。その事務方の
No.oneだった守屋武昌・前防衛省事務次官夫妻が東京地検特捜部に収賄容疑で逮捕さ
た。昔の言葉で言うならば、防衛省の役人は"武士”に当たる。なんともさもしい、なさけな
い”おさむらい”の犯罪だ。

諺に”武士は食わねど高楊枝”というのがある。武士は体面を重んじ、かりに空腹でも満
腹のように楊枝を使う。つまり貧しい境遇にあっても気位は高く持て、という意である。守
屋夫妻は、その逆だったようだ。次官夫妻という高禄をはみながら、300回ものゴルフ接
待を受け、ふぐ料理までたかっていた。ふぐの毒に当っても仕方がない。

”夫唱婦随”という言葉があるが、守屋家は”婦唱夫随”だったようだ。普通、役人以外に
は収賄罪は適用されないそうだが、今回は夫人に対して「身分なき共犯罪」が適用された。
贈賄側の山田洋行が海外の子会社を通じて夫人の口座にに数百万円が振り込まれてい
たのが発覚したのだという。

NHKドラマ「功名の辻」の山内一豊の妻は嫁入りした時の支度金で駿馬を買い、夫の出世
に役立てた。戦前は一豊の妻は日本の婦人道の鑑(かがみ)と讃えられた。これに対して
守屋武昌の妻は自分から”おねだり”して夫を"悪の道”に走らせてしまった、と新聞は伝え
ている。

"武士には二言はない”という諺もある。日本の政治をこれほど混乱させた守屋夫妻の責任
は大きい。司直の調べに対しては"ニ言”のないよう本当のことを述べて欲しい。






      お江戸が残る品川の荒神さま界隈

2007-11-29 05:59:52 | Weblog
きのう夫婦で品川の”荒神さま”へお参りにでかけた。”荒神さま”は旧東海道
品川宿のはずれにある海雲寺という古刹だが、江戸っ子には”荒神さま”の名
で通っている。海雲寺の千体観音は、昔から”竈(かまど)”の神様として江戸
っ子の信仰を集め、3月、11月の27日、28日が大祭である。

わが家でも僕が物心ついた70年以上前から春秋2回必ず参詣している。自宅
の神棚に安置してある木製の”お社(おやしろ)"をお寺に持参、おたきあげ(護
摩)をして貰うしきたりだ。東京の旧家には参詣のあと頂いた"火の用心”のお
札(ふだ)が台所に張ってある。一方”荒神さん”には”竈をおこす”という縁起
もあって商家にも人気がある。境内ではその縁起物の”お釜おこし”が売られて
いる(1個300円)。このお菓子はここでしか売られていないそうだ。

”荒神さま”かいわいは江戸の名残が残っている。近くの海照山品川寺(ほんせ
んじ)門前には江戸地蔵第一番のお地蔵さん(1708年創建)が露座されておら
られる。もちろん「東海道膝栗毛」の時代にも鎮座されていた。お寺には国の重
要文化財に指定されている大梵鐘もある。この大梵鐘は幕末期、何者かに持ち
去られ、ヨーロッパを60年遍歴したあとスイスの美術館の好意で返還された数奇
の運命を持っている。境内には樹齢300年の大銀杏があり、その脇には戦争の
犠牲になった軍馬、軍犬、軍鳩(伝書鳩)の慰霊碑もある。

変容を続ける東京にもまだこんなところが残っている。


          子供のケンカに親が出た!

2007-11-28 05:40:45 | Weblog
ブログの楽しみの一つは全国の見知らぬ方との"対話”だ。とくに僕ら老人は社
会からうとくなっている。そこでブログを通じて、生きている現代を学べる教科書
でもある。

先日、2人のお子さんを持つお母さんのブログを拝見した。内容は小学校の男の
子が、学校の掃除の時、口ゲンかから相手の子に手を出してケガをさせた、その
経緯と事後処理のことだ。僕は一年近く彼女のブログを拝見しているので、お子
さんが、むやみに他人を殴るような子でないことは知っている。よほど何か事情が
あったに違いない。学校から連絡を受けた、その家庭ではお父さんが直接子供か
ら事情と言い分を聴いた。そして出した結論は”他人を殴ってはいけない”という
家訓にそい謝罪せよということ。父親は子供を同行して相手の家へ謝りに行った。

よい話である。それなのに僕はいささか違ったコメントをしてしまった。自分の子供
の時の体験から"子供のケンカに親がでた”と書いてしまった。僕の真意は昔は
子供のケンカなど日常茶飯事で、親が介入することなどなかった。親が口を出すと
"子供のケンカに親が出た”とはやし立てられたものだ。たいていの場合は子供同
士で解決した。時代が変わってきた、と僕は言いたかった。少子化時代か、学校も
家庭も少し子供の世界に構いすぎる気がするのだがー。昔はケンカも子供が大人
へ成長する過程でのワン・ステップだったのだが。

              葉のついた人参 

2007-11-27 05:22:39 | Weblog
小春日和に誘われて、昨日久しぶりに自由ヶ丘の無人スタンドへ野菜を買いに行
った。自由ヶ丘は東京の若者の住みたい町の一つ。駅周辺にはしゃれた店も多い
が、ちょっと離れると、まだこんな無人スタンドもある。売っていた野菜は人参(20
0円)里芋(300円)大根(200円)の三種類、人参は長い葉がついたまま、里芋、大
根は泥つきである。都会の人間は自然野菜に弱い。自転車の荷台で運べる人参
と里芋を買って帰った。

このあたりの地価は、坪200万円を越えている。文字通り土一升金一升の地で生
産された"高級野菜”である。50cmはゆうにある人参の葉をきざみ、精進揚げにし
て食べた。昔あった、あの深紅の細くて長い人参の葉には及ばないが、美味には
変わりがない。

人参には大まかに分けて二種類あるそうだ。昔は東洋系の細くて長い人参だけだ
ったが、生産が難しいため、昭和30年代ころから、いまスーパーで売られている西
洋系のズングリした人参が主力となった。僕ら世代は、ノスタルジアからか東洋系
が好きなのだが、今では東京では手に入らない。人参はかって子供達の嫌う野菜
の代表だったが、品種の改良で匂いがなくなったのか、最近の子供達はあまり嫌い
ではなくなったと聞く。

食糧難時代、乾燥人参が配給になった。お米に混ぜて炊いて食べた。見た目には
きれいな混ぜご飯だったが、おいしくはなかった。何度も書いたが、今のグルメ飽食
の時代は幸せである。

         後期高齢者は治療より予防を!

2007-11-26 05:33:38 | Weblog
今年はインフルエンザの流行が早いそうだ。地元の保健所から予防接種の通知が
きているのだが、まだ行っていない。東京では65歳以上の老人は2,200円出せば注
射して貰える。高齢になると風邪が引き金で大事に至ることがままある。今週は是
非、お医者のお世話にならなくては!

新聞に来年4月から発足する後期高齢者医療制度のことが出ていた。後期高齢者
というのは75歳以上の老人のことを指す役所言葉だ。新制度になると、運営主体が
現行の市区町村から都道府県単位に変わり、全員がこれに加入することになる。
僕ら夫婦は現在、夫婦で月、32,000円ほど国民保健料を支払っている。その上年金
以外に多少収入があるため医療費は3割自己負担である。幸い2人とも比較的健康
なのでよいが、それでも老人にとっては大きな負担だ。

僕は病気は治療より予防だといのが持論だ。都が実施する定期診断には毎年行っ
ているし、必要に応じて血液検査をしてもらい、自分の身体の数値を把握することに
している。また早朝のラジオ体操にも出来るだけ参加、体調維持に努めている。

後期高齢者医療保険料が全国一高いのは福岡県で101,750円(年額)でこれに対し
最も低いのは長野県で71,700円で、その格差は1・4倍だという。理由はよく理解
できないが、新聞は”福岡県は医療施設が充実していて高齢者が受診しやすい”か
らだという。それでは長野県はどうなのかー。同県の医療施設が貧困だとは聞いた
ことがない。逆に長野県の女性の長寿率は高い。福岡と長野との医療に対する県民
意識の違いではないだろうか。

       家康も食べた健康食品

2007-11-25 05:29:36 | Weblog
徳川家康も食べたという健康食品「浜納豆」をご存知ですか?先日、僕は伊勢旅
行の帰途、久しぶりに原産地、浜名湖に近い地で見つけ買い求めた。別名「唐納
豆」「塩辛納豆」とも呼ばれる粘り気のない、糸を引かない納豆である。主として遠
州(静岡県)三か日地方で作られる大豆の発酵食品で、香煎(こうせん)や山椒の
皮などで味付けしてある伝統食品で、足利義勝以来、代々の将軍家に献上された
と伝えられている。

醗酵食品ブームである。最近の健康志向に後押しされて、スーパーの食品売場に
は代表格の各種の納豆をはじめインドネシアの国民食「テンペ」までならんでいる。
ところが「浜納豆」の姿がない。昔は東京でも手軽に食べられ、デパートでも販売さ
れていたのだが。それだけに旅で「浜納豆」を見つけた僕は、まるで”昔の恋人”に
再会したような気持ちだった。

「浜納豆」は京都では大徳寺納豆とも呼ばれ禅寺の保存食だという。くん(草かんむ
りの下に軍の字)酒、山門に入れずの”くん”は韮、ねぎ、ラッキョウなど匂いのする食
品のこと。納豆もはいる。従って匂いのない「浜納豆」が使用されていた。もともと遣
唐使が中国から持ち帰ったという説もある。そういえば、シンガポールで、これに似
た食品を食べたことがある。

確かに「浜納豆」はおいしい。おにぎりの”芯”にしたり、お茶づけにかけたりしたら食
がすすむ。酒のサカナにも好適である。問題は価格である。普通の納豆に比較して高
いことだ。製造に手間がかかっているので当然だが、庶民の日常の財布では買えない
のが残念だ。


            ミカンの当たり年

2007-11-24 06:24:07 | Weblog
今年はミカンの当たり年である。昨日伊勢参りからの帰り道、東名を走ると
どこも静岡の急傾斜の山々にはミカンがたわわになっていた。ミカンもは表
年と裏年があって、隔年に豊作年がくるそうだ。われわれ庶民には有難い。
昨年とちがい今年はお正月にたっぷりミカンが食べられそうだ。

ミカンと言うと、なぜか僕らの年代は田道間守(たじまもり)の伝説を想い出
す。記紀に出てくる伝説上の人物だが、垂仁天皇のころ常世国(とこよのく
に)に不老長寿の橘を求めて渡り、10数年後、橘をゲットして帰国したが、天
皇はすでに崩御されたあとだった。田道間守は、天皇陵に橘を奉げ、自らも
命を絶った。これが日本にミカンが渡来した始まりだという。

「長崎のザボン売り」の歌で有名なザボンは17世紀に中国商人によってジャ
ヮからもたらされた。文旦(ボンタン)も同じ頃、ジャガタラから長崎に渡来し
たものだという。今、インドネシアではザボンのことを「バリ・ミカン」(jeruk
Bali)と呼んでいる。インドネシアのミカンは品種改良がされていないせいか、
ミカンはどれも、おいしくない。

日本では一般にミカンというと、温州ミカンをいうが、温州は中国逝江省の町
の名前だそうだが、いま原産地のミカンの味はどうなのだろうか。戦後の日本
の果物の品種改良技術の進歩はすばらしい。とくに今年は夏場の日照時間の
関係なのか甘くておいしい。ひねくれ者は時には昔のような酸っぱいミカンが
恋しくなる。

        「赤福」のないお伊勢参り

2007-11-23 23:13:09 | Weblog
きょう23日は勤労感謝の日だが、戦前は「新嘗祭」(にいなめさい)という祝
日だった。天皇家のご先祖、天照大神を祀る伊勢神宮では、この日新穀に
感謝する五大祭日の一つがが行われる。僕ら夫婦は、この日たまたま内宮
に参拝した。残念ながら団体旅行なので、式は見られなかったが、前夜から
40名の神官が社に篭もり、古来の伝統にのっとった厳粛な式典だという。

”神々しい”という言葉ある(あった)、昨日今日と2日間、僕は2日間、外宮と
内宮を参拝、改めて両宮の"神々しい”雰囲気に触れた。忘れていた日本人
の心の故郷がここにはあった。

伊勢の街にはいたるところ「赤福」の看板である。市の中心部の電信柱には
「赤福」の看板が垂れ下がっている。それでいてどこの店もお詫びの紙が張
られ休業している。なんとも異様である。

われわれ団体の内宮のガイドは「赤福」とはライバルのお菓子屋さんの店員
さんであった。きちんとした説明だったが、説明の終わりには忘れずに店の名
前をPR,最後にお店へ案内した。それでも「赤福」騒動以後、伊勢での土産の
お菓子の売上げは落ちているようだ。

「新嘗祭」を”しんなめさい”といっている若い人がいた。当たり前である。「新嘗
祭」を知っている日本人は70歳以上の老人だけである。外宮をガイドした写真屋
さんは79歳、僕ら団体客に神道の礼拝の仕方「二礼二拍一礼」を懇切に教えて
くれた。若い世代の日本人は参拝の仕方さえ知らなくなってきた。


          一万円のお伊勢参り

2007-11-21 19:38:00 | Weblog
「伊勢へ1泊2食付!!グルメ食べ放題!!2日間1万円」という新聞広告につ
られ夫婦2人で、きょう22日から伊勢旅行に旅立つ。1万円といっても2名
で1室の部屋をとれば、1人2,500円の追加料金が必要。だから夫婦で合
計25,000円を旅行社に振り込んだ。それでも東京からバスで伊勢へ行き
志摩のホテルに泊まって、グルメを食べ放題、朝食を食べて帰途は伊勢
湾をクルーズして伊良子港からバスで再び東京へ帰る内容である。1人
あたりにすれば12500円、まあまあリーゾナブルといえよう。

昭和17年10月、僕は東京の国民学校6年だったが「参宮旅行」で伊勢へ
行っている。東京の小学校は戦争のため、すでに修学旅行は中止になっ
ていたが、この年は緒戦の勝利で、政府がとくに銃後の小国民に「参宮
旅行」という名前でプレゼントされた。65年も前のこと、僕の伊勢参りの記
憶は、夜行列車と同宿した旅館で他校の生徒と枕の投げ合いぐらいしか
ない。その後、現役時代に2回仕事ででかけているが、老妻は今回が初
めてのお伊勢参りだ。

"おかげ詣で”の昔から、お伊勢参りは全国津々浦々、一生に一度は参拝
すべしとまでいわれていた。日本人の心の故郷だったが、戦後はなぜか敬
遠気味で、参拝する人も減ってきた。東京の小学校では、もはや修学旅行の
コースではなくなった。学校で天照大神を教えない時代である。

        不審尋問をしないお巡りさん

2007-11-21 05:24:30 | Weblog
早朝6時18分、ラジオ体操に参加すため家を出ると、路上にうずくまる形で若
い男が寝ている。隣の息子が夜遊びして締め出されたのかと思い、そのまま
体操へ行き、帰ったがまだ寝ている。不審なので、老妻に確認させたところ隣
の子供ではないという。一昨日朝も隣の駐車場の車の下に見慣れないダンボ
ール紙が置いてあったばかりである。

僕の住んでいるあたりは住宅街で、昔からの住民も多く防犯意識が高い。早
速、駅前の交番にこのことを届けたが、お巡りさんは通り一遍に僕の話を聞く
だけ。最近のお巡りさんはこんなものかと、若干がっかりして散歩にでた。と
ころが、早朝みかけた男が、ふらふらと歩いている。一度通りすぎて、さらに
確認をとるため引き帰したが、まさしく件の男だ。僕は再び、交番へ行き、さっ
きのお巡りさんに告げたが、なんの反応もない。

新聞には"不審尋問”で犯人を逮捕、という記事がよく載っている。不審な男と
は、どんな人物なのか?他人の玄関先に野宿して、朝から町をうろつきまわる
男は僕には"不審な人物”に見えるのだがー。すくなくとも僕と一緒に現場まで
行ってくれるものと期待していたが、がっかりを通り越しビックリした。

わが国の警察の検挙率は世界に冠たるものだったが、最近は低下している。
その原因の一つは、近隣住民の防犯意識の低下をあげ、重要犯人の逮捕に懸
賞金までかけている。僕は懸賞金欲しさに交番へ届出したのではない。またまた
昔の話で恐縮だが、かっては歌にもあった"パトロール”制度はどこへ行ったの
だろうかー。