昨夕、男の末孫の大学入学を祝って、遠縁がやっている高級焼肉店に出かけた。「焼肉」といってもバカにはならない。炭火焼を謳っており、肉も吟味しているらしくワインを1本とって祝杯をあげたら、老人の僕らには驚くほどの値段だ。僕が大学に入学したのは、戦後まもない昭和23年だったが、東京にはまだ焼け跡が残っており、食糧難の頃、外食どころではなかった。
「焼肉」ブームである。ネットの”食べログ”には全国で27,127軒が登録されている。どんな田舎町にいっても焼肉店がある。しかし、もともと「焼肉店」は日本にはなく、焼肉の付けだし「キムチ」などは一般の日本人は食べなかった。僕が初めて「焼肉」を食べたのは、大学生の頃アルバイト先の川崎の町工場の近くの朝鮮人街であった。勤め先の先輩に勧められ、ドブロクを飲みながらホルモンの焼肉をたべキムチ、ナムルに舌づつみを打ったが、その美味しかったこと今でも忘れられない。
戦前の一般の日本人はキムチを食べる習慣はなかった。僕が食べた唯一つの朝鮮の食は当時、朝鮮半島に在住していた親戚から送られてきたミンタイであった。もちろん、東京には朝鮮料理店などなかった。東京で焼肉を中心にした朝鮮料理店が出来たのは、昭和30年頃ではなかっただろうか。昭和31年、僕は”サツまわり”記者をしていた時代、上野御徒町の朝鮮人街で食べている。しかし、今のように、キムチが一般の家庭でも食べるようになったのは40年代になってからではないだろうか。
ものの本によると、キムチには欠かせない唐芥子は17世紀に日本から朝鮮半島に渡ったもので、当初は毒があるのではないかと恐れられたという。しかし、今やキムチは世界的な食となり、ユネスコの文化遺産にも登録される動きもあるとのことだ。食を通じてお互いの理解が深まることはよい事だ。キムチの唐芥子は日本から渡ったものだと、日本人はケチなことは言わない。
「焼肉」ブームである。ネットの”食べログ”には全国で27,127軒が登録されている。どんな田舎町にいっても焼肉店がある。しかし、もともと「焼肉店」は日本にはなく、焼肉の付けだし「キムチ」などは一般の日本人は食べなかった。僕が初めて「焼肉」を食べたのは、大学生の頃アルバイト先の川崎の町工場の近くの朝鮮人街であった。勤め先の先輩に勧められ、ドブロクを飲みながらホルモンの焼肉をたべキムチ、ナムルに舌づつみを打ったが、その美味しかったこと今でも忘れられない。
戦前の一般の日本人はキムチを食べる習慣はなかった。僕が食べた唯一つの朝鮮の食は当時、朝鮮半島に在住していた親戚から送られてきたミンタイであった。もちろん、東京には朝鮮料理店などなかった。東京で焼肉を中心にした朝鮮料理店が出来たのは、昭和30年頃ではなかっただろうか。昭和31年、僕は”サツまわり”記者をしていた時代、上野御徒町の朝鮮人街で食べている。しかし、今のように、キムチが一般の家庭でも食べるようになったのは40年代になってからではないだろうか。
ものの本によると、キムチには欠かせない唐芥子は17世紀に日本から朝鮮半島に渡ったもので、当初は毒があるのではないかと恐れられたという。しかし、今やキムチは世界的な食となり、ユネスコの文化遺産にも登録される動きもあるとのことだ。食を通じてお互いの理解が深まることはよい事だ。キムチの唐芥子は日本から渡ったものだと、日本人はケチなことは言わない。