「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       二家族同居家庭の食事の難しさ

2008-07-31 04:56:39 | Weblog
家の近くのスーパーで珍しく博多名物の「おきゅうと」を売っていた。「おきゅうと」
は、地元で”えじり”と呼ばれている海草で作られた緑色のコンニャク状の食べ物
である。昔、博多の町の人々は毎朝納豆のように売りに来た、この「おきゅうと」を
食べていたという。江戸っ子の僕にはなじみのない食品だが、十数年前、福岡に
出張で長期滞在したとき、これを食べ以来はまってしまった。

自由ヶ丘の農家の無人スタンドにもそろそろ冬瓜が出始める季節である。昨日、娘
は待ちきれずスーパーで冬瓜を買ってきて得意の冷たいスープにした。食欲の落ちた
真夏の食べ物としては絶品である。

「おきゅうと」にせよ「冬瓜}にせよ、昔若かった時には見向きもしなかった。働き盛り
の昭和30年代、僕は仕事の関係で週に3回、宿直勤務があった。ふらふらになって
昼間帰宅すると、眠れないままに強い酒をあおり、老妻(当時は若かった)が作った
高カロリーの手料理をペロリと食べた。若くて元気だった、

馬齢を重ねるとともに食生活も変わってきた。今は老妻も得意のポークソテーも作
らなくなったし、二人とも食べなくなった。「おきゅうと」や「冬瓜」料理で満足している。
昭和30年代、僕らは両親と同居していたが、今、自分たちが当時の両親と同じ年代
になって往時の食生活を振り返ってみた。果たして老いた両親の食事に配慮したか
どうか。二家族同居生活の難しさの一つは食だというが、よくわかる気がする。


           打ち水大作戦と散水車

2008-07-30 05:40:47 | Weblog
暑い夏の日の夕暮れ、打ち水された長屋の路地に竹の縁台を持ち出し、浴衣姿の
子供たちが線香花火で涼を楽しむー戦前の都会の夏の風物詩だった。今と違って
冷房設備はなく、扇風機さえない家が多かった。家の中は戸や窓を開放しても暑く
このため人々は戸外に涼を求めたのであろう。夜空には降るように星が沢山あった。

都会のヒートアイランド現象へのエコ・アクションとして2003年から東京で打ち水大
作戦が始まった。今年は同じような行事が全国各地で展開されているが、浴衣姿の
女性が水を入れた木桶と柄杓を手にし道路に水を撒くのはそれだけで絵であり涼感
がある。実際の実験結果でも、打ち水による気化熱で平均2℃温度が下がるという。
こんなにクリーンなエコ作戦はない。

東京での打ち水大作戦は7月22日(大暑)から8月22日(処暑)まで各地区で行われて
いるが”通り魔事件”の秋葉原でも8月2日にある。「打ち水でつながろう}をキャッチ・
フレーズに作戦が展開される。2℃ちゃん三姉妹が登場し、すべてを"冷やす”作戦に
でる。猛暑続きで暑くなっている人間の頭を冷やす効果も期待したい。

遠い遠い子供の時の記憶に、暑い暑い夏の日、タンクローリーに似た"水撒き自動車”
(散水車)が歩道そいの車道をゆっくり水を撒きながら走っていた。今でもこんなサービ
スをしているのだろうか?打ち水のような風情はないが、世の中のクールダウンに役立
つのならばお願いしたい。

      88歳は"現役”か 医療費の3割自己負担

2008-07-29 05:36:22 | Weblog
米寿88歳の友人からまた電話があって後期高齢者医療保険についで、今度は区役
所から1割の医療自己負担が3割に改正になったと通知があった。理由が判らないー
相談に乗ってくれという話である。僕にも判らない。なぜ年金生活の米寿の老人を"現
役”なみと認定するのかその役人の気持ちがである。

年金生活者としては、確かに彼は恵まれている。約20年間勤めた放送局と約10年勤務
した大学の年金が約300万あり、その上に戦争中の軍人恩給があって合計392万円ある。
しかし、そのほかの収入はない。早速調べてみると、僕の住んでいる区の広報では「19年
の収入金額が"長寿医療制度加入単身世帯で383万円未満の場合は”申請”により医療
費の一部負担金が免除になる」とある。彼の年収は9万円上限を超えている。多分彼の
場合は”申請”しても却下されるだろうと思っていたら案の定だった。昨日、暑くならないうち
にと一番で区役所に出かけたが、冷たく断れた、と悲しそうに電話してきた。

後期高齢者は僕を含めて、もう老い先短い。保険制度の精神は十分理解しているが、悪
事を働いてえたおカネではない。彼の年金は戦争中、お国のために青春を犠牲にして5
年間も南寧の地でお国ために戦った代償である。"年寄は早く死ね”というのが、この国
の老人医療制度である。よくも福田総理はのけのけと”長寿医療”と名付けたものだ。




         名古屋場所の”国もん”人気

2008-07-28 05:09:07 | Weblog
大相撲名古屋場所は昨日、横綱白鵬の全勝優勝でめでたく千秋楽の幕を閉じた。
全国的には相撲人気にかげりが出ているというのに、名古屋場所は大入り満員の
日が9日もあるほどの盛況であった。理由は何なのか?"国もん”(地元)大関,琴
光喜の好調もあったが、観客の手拍子をまじえた応援にその秘密のカギをみた。

大相撲の本場所に贔屓力士の応援幕が登場したり、観客が一緒になって応援する
姿は昔は見られなかった。数年前から九州場所で"国もん”大関、魁皇への応援で
この光景が始まったが、今場所の名古屋場所での応援はサッカーや野球ばりの熱
の入れ方だった。

大相撲の最近の不人気は、外国人力士の多いことだ。東西横綱から始まって幕内
力士42人のうち15人が外国人、十両でも28人中8人が海外からの関取だ。大相撲の
歴史を見ると、各地のお殿様の勧進から始まっている。だからファンが"国もん”力士
を応援するのはごく自然のこと。名古屋場所の光景もおかしくはない。むしろ外国人
力士の活躍に対するフラストレーションの爆発かもしれない、

調べてみると、幕内以上の関取のいない県が、28都道府県もある。明治の大横綱、
梅ケ谷(二代目)を出した富山県や鳥取県にいたっては一人の相撲取りもいない。
”国もん”がいなければ、応援にも熱もはいらない。大相撲の衰退はこんなところにも
原因があるのだろう。外国から力士をスカウトするより、各地の相撲振興に力をいれ
たらどうだろうかー。北の湖理事長や解説の大御所、北の冨士さん、北海道出身関
取の育成にもっと力をいれたらどうかー。日ハムを見習ったら。

           インドネシアと北朝鮮

2008-07-27 05:44:26 | Weblog
北京五輪が近づいてきたが、僕ら高齢者は五輪と聞くと昭和39年(1969年)の東京
五輪を想い出す。あの雲ひとつなかった秋空の下、世界の国々の若人が集った開
会式の感激が、ひとしお強く記憶に残っている。この東京五輪にアジアでは北朝鮮
とインドネシアが参加しなかった。

自民党顧問、元副総裁の山崎拓議員(日本インドネシア議員連盟会長)が26日、ジャ
カルタでユドヨノ大統領と会い、北朝鮮による日本人拉致問題の解決に協力を要請
した。東京五輪当時のインドネシアのスカルノ大統領は、国民の目を国内政治の破
綻からそらすため派手な外交政策をとっていた。ジャカルタで開いたGANEFO(新興
国スポーツ大会)もその一つで、国際五輪委員会(IOC)はの再三の呼びかけにもかか
わらずGANEFOに参加した北朝鮮とインドネシアは東京五輪の参加を許可されなかった。
44年も前のことだ。

僕は当然のことだが、一日も早い拉致問題の解決を望んでいる一人だが、拉致犠牲
者の気持ちを踏みにじるような山崎議員らの手法には反対だ。インドネシア政府に協
力を頼むのもよいが、果たしてインドネシアにその力があるのかー。GANEFO当時の
密接な関係が両国にあるとは思えない。

前から僕は山崎議員はインドネシアの事を知らなすぎると思っている。数年前、小泉
元総理が靖国神社を参拝し、中韓両国が抗議した直後、山崎氏はインドネシアに駆
けつけ弁明したつもりでいるようだが、インドネシア人は靖国の名前さえ聞いたことが
ない。彼がいたと主張する"従軍慰安婦”もインドネシアにはいたかどうか判らない
と向こうの政府まで言っている。安部元総理ばりに言えば、インドネシアになにか利権
があるいわれても仕方がない。



          日本人の警戒心 防犯意識

2008-07-26 05:23:55 | Weblog
暑い暑い。これで東京は何日猛暑日が続いているのだろうかー。この最中,階下
に住むアフリカ人の部屋のクーラーがダウンしてしまった。近くの大手スーパーに
聞くと、新製品を敷設するには月末まで待たなければならない。”人道上”の問題
なので、高いが近くの業者に頼むことにした。

この暑さなのにアフリカの住人は、日中も厳重に雨戸のシャッターを厳重に閉めて
生活している。窓も閉じているため風も通わない。それで室内は余計に暑い。前か
ら気にかかっていた。近所の駐車場の騒音防止かなと思っていたが、遅まきながら
気がついた。防犯上の理由からのようだ。外務省のこの国に住む邦人用の安全HP
には、事細かに対策が書いてある。"家の扉は金属製で、二つ以上施錠しなくては
ならない。窓枠は金属製で・・・・・”どうも本国の習慣をもちこんでいるようなのだ。

外国で生活した経験者はわかるが、日本の住居ぐらい無防備なのは珍しい。とくに
伝統的な木造家屋はそうである。まるで泥棒に”どうぞお入りください”とうほど危険
である。今でも小さな町の日本式の旅館に泊まると、部屋ごとに鍵はなく、あっても
形だけのところがある。外国人と一緒に旅行するとこれが一番困る。

東京のわが家でも昭和30年頃までは、外出時、家の鍵を郵便箱に"隠して”出かけ”
たが、今は考えられない。日本の治安が悪くなったのか、日本人の防犯意識が高ま
ったのか判らない。これも「国際化」の一つの現われだ。国の防備はどうだろうかー。

        日本版 腐敗 癒着 縁故主義

2008-07-25 05:06:41 | Weblog
大分県教育委員会の汚職事件は”カネの亡者”たちの教育界におけるダーティな
一面をさらけだした。見苦しい。まさか”皆で渡れば恐くない”-と赤信号を無視した
のではあるまいが、子供たちの師である先生たちのやることではない。天職も随分
地に落ちたものだ。

戦後一時期、先生になり手がなかった時代があった。給料が安く、社会的なステー
タスも低かったため、好まれない職業であった。それで教員は”デモシカ”先生と蔑ま
れて呼ばれた。”でも、仕方がない”先生にでもなろうか、という意味である。今では考
えられない。現在は教員希望者が多く、採用試験の倍率は10倍、20倍のだという。
それだけ教員は安定して魅力のある職なのだろう。そこに汚職の温床があったのか
もしれない。

40年来付き合いのあるインドネシアの諸悪の根源はKKNである。同国の政府は、こ
の根絶に努力しているが、いっこうによくならない。KKNは”korupsi""kolusion""nepoー
tism"の三つの頭文字をとった略語で、腐敗、癒着、縁故主義の意である。

11年前、僕はインドネシアに長期滞在した時、ビザの延長を申請すると役人が公然と
賄賂を要求してきた。この国ではビザの延長がカネ儲けの手段なのだ。最近も東京の
大使館で日本人職員までが、賄賂を要求して捕まっている。僕はボランテイアとして無
償で日本語を教えにいったのにである。

この時僕は、正直に”日本の国はよいなあ”と思ったが、なんのことはない。同じような
KKNが日本の教育界でもはびこっていたのだ。

     「葉山御用邸」前、冷房のない店のグルメ

2008-07-24 06:01:27 | Weblog
葉山といえば、天皇家の御用邸もあり、セレブの町として有名だが、昨日、老妻と
入った店は、今どき珍しく冷房がなかった。”ここが一番涼しいでしょう”と案内さ
れた席の頭の上には「三丁目の夕日」の頃の扇風機が回っていた。そして、あい
ている窓から入ってくる海からの遠い風は、忘れかけてていたあの自然の風で心
地がよかった。

店はバス停「御用邸前」の目と鼻の先にある。建物はおそらく「三丁目の夕日」の
頃より前に建てられたのだろう。木造で看板の一部もハゲかかっていた。一瞬、
二人とも入るのを”逡巡”するぐらい、お世辞にもきれいとはいえない。壁に張られ
た手書きのメニュー(30種類はあった)から老妻は、定番のかたい焼きソバ、僕は
迷いなく「サンマーメン」を注文した。

「サンマーメン」は生馬麺(本来は石編に馬)と書き、戦前横浜の中華街が「南京町」
と呼ばれていた頃、たいがいの大衆店でラーメンとならんで人気の麺だった。モヤシ
を中心に炒め、片栗粉をとかしてあんかけにした麺だ。戦争をはさんで人気がなく
なったが、今でも横浜中華街の老舗の店のメニューにあり食べられる。

店の常連の会話から、この店の料理はどれも大盛だと理解していたが驚いた。普通
の店の1・5倍はある。金婚式をすぎた老夫婦には多すぎる。とり皿を店から借りて、せ
っかくの料理を残さないよう汗をかきかき平らげた。かたい焼きソバも「サンマーメン」
も一皿六百円、満足感のあるグルメであった。

        67年前の暑さと朝顔の蔓

2008-07-23 04:54:13 | Weblog
梅雨があけたら、とたんに日本列島は猛暑の中。昨日は暦の上の大暑だったが、
文字通り、東京はうだるような暑さだった。気象庁の話では、この暑さは7月一杯
続きそうだという。地球の温暖化現象は、確実に毎年進んできている感じだ。

昭和16年、67年前の僕の「夏休み日記」が残っている。それで当時の気温を調べ
てみた。この年は戦争を思えと夏休みは8月1日から始まっていた。東京の最高気
温は8月17日の33・1度で暑い日もあったが、一般には冷夏で、30度をこす真夏日 
は15日に過ぎなかった。1日から5日までの5日間は肌寒い日が続いた。

今年はまだ、わが家の回りではセミが鳴かない。今朝ラジオ体操の帰途,気がつい
たのだが、朝顔の花もみていない。昔は都会でも路地裏の狭い敷地を利用して朝
顔の蔓を軒先にはわせていたものだが、今は◇朝顔の釣瓶取られてもらい水ーと
いった風流は都会からは消えてしまった。
 
昔は朝顔の蔓は”緑のカーテン”として暑さしのぎの役もしていた。が、今は朝顔に
代わってゴーヤがその役をしているという話を聞いた。ゴーヤの方が緑が濃く、葉も
大きいのだという。残念ながら僕はゴーヤの蔓をみたことがない。ゴーヤは実がとれ
て実用的だというが、いかにも風流がない。釣瓶を取られていたら、蔓をはずしてし
まうかもしれない。朝顔なら大輪を愛でながら納涼の気分を味あえるが、ゴーヤでは
ー。ゴーヤはやはり、ゴーヤ・チャンプールにして泡盛を飲みながらものである。

         モカ・コーヒーがなくっても!

2008-07-22 05:49:38 | Weblog
モカ・コーヒーが飲めなくらしい。コーヒー党ではない僕にはあまり関係のない話
だが、コーヒー好きには"耐えられない”問題のようだ。モカ・コーヒーの持つ独特
の酸味と香りは、他のコーヒーにはない気品をもっており、ブレンドには欠かせな
いのだという。味に鈍感の僕にはその気品がわからないが。

モカ・コーヒーのモカ(Mocha)はイエメンの首都サヌアの外港の名前からきている。
このモカはシバの女王の昔から、コーヒーの積出港として知られている。僕も半世
紀も前の昔、イエメンを訪れたが、鈍感なためかモカ・コーヒーの味の記憶がない。

このモカ・コーヒーにはイエメン産と対岸のエチオピア産と二つあるのを初めて知っ
た。わが国では、ほとんどエチオピア産のを輸入しているが、そのコーヒー豆から
残存農薬が発見され、この結果輸入業者が農水省の指示で輸入をストップしたの
が今回の騒ぎの原因のようだ。

喫茶店の形態が様変わりして、最近はコーヒーの味にこだわる人も少なくなってき
た。そして昔のようにレコード音楽に聴きながら、ゆったりとした時をすごす習慣も
なくなってきた。アメリカ式のコーヒー・チェーン店では、その雰囲気がない。同じ
モカ・コーヒー豆を使用していてもアイスコーヒーでは匂いも味もない。やはり時代
の変遷なのだろう。残存農薬が入っていては健康に害がある。飲まないほうがよい
のかも。