家の近くのスーパーで珍しく博多名物の「おきゅうと」を売っていた。「おきゅうと」
は、地元で”えじり”と呼ばれている海草で作られた緑色のコンニャク状の食べ物
である。昔、博多の町の人々は毎朝納豆のように売りに来た、この「おきゅうと」を
食べていたという。江戸っ子の僕にはなじみのない食品だが、十数年前、福岡に
出張で長期滞在したとき、これを食べ以来はまってしまった。
自由ヶ丘の農家の無人スタンドにもそろそろ冬瓜が出始める季節である。昨日、娘
は待ちきれずスーパーで冬瓜を買ってきて得意の冷たいスープにした。食欲の落ちた
真夏の食べ物としては絶品である。
「おきゅうと」にせよ「冬瓜}にせよ、昔若かった時には見向きもしなかった。働き盛り
の昭和30年代、僕は仕事の関係で週に3回、宿直勤務があった。ふらふらになって
昼間帰宅すると、眠れないままに強い酒をあおり、老妻(当時は若かった)が作った
高カロリーの手料理をペロリと食べた。若くて元気だった、
馬齢を重ねるとともに食生活も変わってきた。今は老妻も得意のポークソテーも作
らなくなったし、二人とも食べなくなった。「おきゅうと」や「冬瓜」料理で満足している。
昭和30年代、僕らは両親と同居していたが、今、自分たちが当時の両親と同じ年代
になって往時の食生活を振り返ってみた。果たして老いた両親の食事に配慮したか
どうか。二家族同居生活の難しさの一つは食だというが、よくわかる気がする。
は、地元で”えじり”と呼ばれている海草で作られた緑色のコンニャク状の食べ物
である。昔、博多の町の人々は毎朝納豆のように売りに来た、この「おきゅうと」を
食べていたという。江戸っ子の僕にはなじみのない食品だが、十数年前、福岡に
出張で長期滞在したとき、これを食べ以来はまってしまった。
自由ヶ丘の農家の無人スタンドにもそろそろ冬瓜が出始める季節である。昨日、娘
は待ちきれずスーパーで冬瓜を買ってきて得意の冷たいスープにした。食欲の落ちた
真夏の食べ物としては絶品である。
「おきゅうと」にせよ「冬瓜}にせよ、昔若かった時には見向きもしなかった。働き盛り
の昭和30年代、僕は仕事の関係で週に3回、宿直勤務があった。ふらふらになって
昼間帰宅すると、眠れないままに強い酒をあおり、老妻(当時は若かった)が作った
高カロリーの手料理をペロリと食べた。若くて元気だった、
馬齢を重ねるとともに食生活も変わってきた。今は老妻も得意のポークソテーも作
らなくなったし、二人とも食べなくなった。「おきゅうと」や「冬瓜」料理で満足している。
昭和30年代、僕らは両親と同居していたが、今、自分たちが当時の両親と同じ年代
になって往時の食生活を振り返ってみた。果たして老いた両親の食事に配慮したか
どうか。二家族同居生活の難しさの一つは食だというが、よくわかる気がする。