「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          小沢一郎氏の”一兵卒”のラッパ

2012-11-30 06:44:47 | Weblog
小沢一郎氏が新党「日本未来の党」の役員にはつかないと、嘉田由紀子代表(滋賀県知事)は明言している。産経新聞は”小沢氏またも「一兵卒」宣言”と伝えているが、同新聞によると「日本未来の党」の衆院選公約となる「政策要綱」は平成21年、民主党が政権をとった際のマニフェスト(政権公約)と酷似していてウリ二つだそうだ。同紙は”「小沢印」のバラマキ”という見出しをつけている。

「日本未来の党」の政策要綱によれば、中学卒業までの子供に一人当たり年31万円2千円を支給するという。子供手当の支給については民主、自民与野党のすったもんだの折衝の末、元のさやに納まったと記憶しいているが、案の定、この「日本未来の党」の公約を受けて、民主党の安住幹事長代理は”財源はどうするのか。我々の二の舞だ”とコメントしている。

一事が万事である。新聞が伝える「日本未来の党」発足までの経緯をみると、同党が周到な準備の下で船出したとは思えない。何か前もってあった政策を下敷きにして要綱にまとめたとしか思えない。この下敷きが民主党発足時の小沢色の強かったマニフェストというわけだ。つまり、この3年近く、予算の裏打ちもなく空転し続けてきた政治をまた最初からやり直そうというのだ。

民主党時代、小沢一郎氏は事あるごとに「一兵卒」宣言をして中枢から引退したふりをして、結果的には党を離脱して「生活が第一」の党を立ち上げ、さらに形勢が悪くなると「日本未来の党」に飛びつき合流している。小沢一郎氏の政治屋としての過去の軌跡をみれば、今回の「日本の未来党」との合流劇は、嘉田代表がなんと言おうと、小沢氏流の政治茶番劇に過ぎない。

戦前の修身の教科書に”木口小平は死んでもラッパを離さなかった”と日清戦争の時のラッパ卒の忠誠心を讃えていたが、小沢一兵卒の政治への我流の執念はわかるが、日本の国のためだ。もうラッパを吹くのはやめたらどうだ。

           ”全共闘世代”と「日本未来の党」

2012-11-29 07:19:40 | Weblog
世代区分として”団塊の世代”とは別に”全共闘世代”ということがある。wikipediaの定義によると、この世代は”団塊世代”プラス戦中の”焼け跡世代”のうち、昭和16年12月8日の戦争勃発以降に生まれた世代を言い、1965年―72年の全共闘運動、安保闘争、ベトナム反戦デモの当時大学生だった世代をいう。

滋賀県の嘉田由紀子知事が”卒原発”を旗印に「日本未来の党」を立ち上げた。1950年生まれ団塊最後の世代である。これを待ち受けたかのように小沢一郎氏の「国民の生活第一」が合流した。そしてこれに続いて河村たかし氏らの「減税日本、反TPP,脱原発を実現する党」も合流をきめた。小沢一郎氏は昭和17年生まれ、河村たかし氏は昭和23年生まれ、山田正彦氏も昭和17年生まれである。ちなみに民主党の鳩山由紀夫、菅直人元両総理も21年、22年生まれである。

僕は前から”全共闘世代”が日本の国を危うくするのではという疑念を持っている。彼らの共通点ともみられるのは”わがまま”で”自分勝手”であること。そして他人と協力して作業することの下手な世代である。さらに悪口を言わせてもらうと、実現もできない夢に酔っている世代だ。

今でも総理官邸前で反原発デモをやっている連中の中には”○〇大学全共闘”というのぼり旗を掲げて参加していた者もあったという。まさに、こうなると漫画である。全国の電力会社が一斉に値上げを通産省に申請した。”卒原発”になれば、当然である。日本の未来もいいが、現実の問題をどうするのか。嘉田知事は安易に”この指さわれ”などと言っているが、過去に離合集散を繰り返している政治屋たちである。有権者は騙されてはいけない。

          品川の荒神さまの秋の大祭

2012-11-28 18:03:52 | Weblog

11月27,28日は「荒神さん」の名で火の用心の神様としてで徳川時代から江戸っ子に親しまれている品川海雲寺の秋の大祭である。旧東海道の道の両側には昔ながらの露店が並び参詣客で賑わっていた。ここだけで売られているのは「お釜おこし」。台所のお釜を起こすという縁起からきている。東海道は昔、海岸沿いだった、その名残からか、今でも海産物が多く売られている。
今年は冬の到来が早く感じるのだが、近くにある品川寺(ほんせんじ)の樹齢600年の大銀杏はまだ葉をつけており色ずきも緑と黄色がまばらで美しくない。

            半世紀前のドバイ写真展の再催

2012-11-28 06:55:36 | Weblog
UAE(アラブ首長国連邦)のドバイに居住する日本人の知人からメールが入り、3年前開催された「Dubai in 1962」写真展が今年も12月4日の独立記念日から1か月に渡ってJAFZA(ジュベル.アリ.フリーゾン)で開催されるという。この写真は1962年(昭和37年)12月、僕が新聞社の中東移動特派員として独立前のドバイを訪れた際、同行のカメラマンが撮影したものだ。ドバイには独立前の写真はほとんどなく、この写真は同国にとって貴重な宝のようだ。

4年前の2008年11月、僕らはこの写真が契機となって同国のエミレーツ航空のアフメド会長の招きで46年ぶりにドバイ訪問、さらに翌年写真展開催にあたっても再度招待された。写真展は市内のアートセンターで開催され、同国建国以来という盛況だった。写真の一部は「Dubai in 1962」というyou tubeでも見られるが、同名の写真集も昨年現地で出版されている。

今回の開催は、JAFZAという特定の地域での開催だが、同地の人々が50年前の写真に対する思いやりのほどがわかる。多分、この半世紀でドバイほど変容した国は世界でもあまり類をみないのではなかろうか。当時のドバイの”よすが”を今探すのは困難である。ドバイの人々は僕らが想像する以上に写真から、過ぎ去りし過去へのノスタルジアを感じられているのだろう。

50年前、僕らはエジプトを出発してレバノン、シリアを訪れ、アデンから革命後のイエメンを取材した。その後、日本で初めて自前の石油を発掘した直後の「アラビア石油」の現地を訪れる途次、訪れたのがドバイであった。当時のドバイは、あまり日本人は訪れることはなく”秘境”であった。ドバイ建国の父と言われるラシッド首長とも会見したが、記事はボツになってしまった。しかし、こうして写真が国宝として同国に寄贈できたのは、報道人として名誉であり、喜ぶべきことである。

          スーパー店員の客あしらいの稚拙さ

2012-11-27 06:54:59 | Weblog
年賀状の注文の季節である。僕も150枚ほどだが毎年近くの大手スーパー店で事前割引に引かれて注文しているが、係の女性から二回も自宅に問い合わせの電話がかかってきた。いずれも僕のEメールについてだ。昨年も誤って印刷されて困ったので、今年は特に注意して念を押したのが裏目に出てしまった。昨年も同じ店員だったが、どうも客あしらいが稚拙のようだ。つまり”店頭販売”に馴れていないためか、お客のいうことをよく聞いていない。

この店員に限らず、大手スーパー店の店員は一般的にデパートに比べて”店頭販売”が下手だ。”店頭販売”とは、もともと商店で販売員が消費者に対して直接販売する形態”(はてなキーワード)だが、スーパーは、その生い立ちからか、店員に基本的なお客に対す対応を教育してこなかったのだろう。

昨日老妻が次女夫妻に連れられて横浜の松原商店街に買い出しに出かけた。我が家からは20キロも離れていて高速道路を使っても車で30分以上かかる。しかし、高速料金を払っても生鮮食品は大手スーパーよりは安いとの評判だ。僕も一回出かけたが、独特の雰囲気を持っている。それは昔ながらの”店頭販売”が残っていて、店員とお客との会話がありその面白さがあるからだ。その結果、いらない物までついつい買ってしまう。老妻はその典型で、昨日も僕のために帽子を買って帰ってきた。

僕の家近くのスーパーは、つい最近ローカルの安売りスーパーが目と鼻の先に”殴り込み”をかけてきて客足が激減している。大手の名に胡坐をかいて殿様商売をしていればそうなるだろう。やはり、商売の原点は”店頭販売”である。来年からは僕は、このスーパーでは絶対に年賀状を注文しない。それよりも果たして正しく印刷されてくるかどうか心配である。

            歳をとってからの夜のパーティ

2012-11-26 06:55:33 | Weblog
そろそろお歳暮と忘年会の季節だが、現役を去って20年余り、最近はほとんど縁遠くなってきた。それでも12月には毎年恒例の会が二つある。一つは若い時勤めていた会社の同期入社会で、12月8日の開戦記念日に催される。僕らの世代にとって、この日は忘れられない強烈な印象があるからだ。この会の幹事を仰せつかって4年になるが、今年は21人に通知して17人が参加と盛会になりそうだ。皆、80歳を過ぎているのに老いてますます元気である。

その秘訣を自分なりに分析してみると、まず現役時代僕があまり出世せず関係会社に出向したことだと思う。僕らのひとつ前の世代では戦友会が盛んであったが、先輩たちに聞くと軍隊時代の上官が幹事をやると会は長続きしなかったそうだ。同期会にも、もしかすると同じ心理があるかもしれない。それよりも会の設定の時間と場所が重要なような気がする。それと”飲む人”と”飲まない人”との会費を別徴収することも大事なように思う。

僕は数年前、旧制中学校の同窓会から脱会した。理由は幹事が皆の意見を聞かず夜の飲み会にするからだ。それも自分の家近くの繁華街で自分の商売のお得意さんの店を利用しているからだ。内情を知らない友人からは、戦争中苦労を共にした仲なのに、脱会までしなくても手紙をもらったが、僕はまったく参加する意思がない、それなのに通知を貰うのは申し訳ないから脱退したままだ。案の定と言っては申し訳ないが、年々参加者の数が減り、今年は僅か6人だとのことだ。

馬齢を重ねると、人間は残念ながら頑固になり、わが道を行きたくなる。それが長生きのコツなのかもしれないが、出来れば柔軟の頭でもいたいものだ。それと足腰をしっかり保つことだ。杖をつきながら夜のパーティに参加して転倒でもすれば、それこそ、寝たきり老人になってしまう。年寄りだけの会は昼間にすべきである。

         セックスに節度がなくなった日本の社会

2012-11-25 07:22:31 | Weblog
「週刊現代」と「週刊ポスト」の二誌が英国の芸術家による女性性器を型どった石膏作品の写真を掲載した理由で「わいせつ図画陳列罪」にあたるのではないかと、警視庁保安課から警告を受けたという。掲載された写真は、性器そのものと変わらず、わいせつ性が強いと関係者はいっているが、週刊誌はコメントすることはないとしているそうだ。どうも最近の週刊誌は先の「橋下問題」の「週刊朝日」もそうだが、出版の自由をはき違えている。

先日NHKの人気アナが酒に酔って東京の電車の中で女性の身体に触ったとして強制わいせつ罪で逮捕された。このアナだけではない、新聞をみていると、最近社会的に責任のある男性が強制わいせつとか女性のスカートの中を盗撮したといった理由で警察の世話になるケースが多すぎる。何故なのだろうか。

昔もこういった事件があったのであろうか、そこでふと思い出したのは戦前の日本社会であった。僕らは”男女七歳にして席を同じゆうせず”(礼記内規)で育った。事実、僕は小学校kら大学まで男女共学の経験はない。戦後の昭和20年代の初め頃まで、若い男女が手を組んで歩くことはなかった。戦前の映画館では男女の席は別れており、警察官の席が後ろにあって取締りをしていた。


有名な文学作品にまで性場面には伏字がしてあった。戦後こういったセックスについての節度がなくなってしまった。でも戦後昭和20年代の「チャタレー裁判」の頃までは、今のようにセックスが自由勝手な状態ではなかった。イスラムの国から来日する外国人は、日本のテレビを見て仰天する。あまりにもセックス場面がありすぎるとうのだ。マスコミに日本の男性の「強制わいせつ」が多く報じられるのは、やはりセックスについて昔のような、社会の節度がなくなったからだと思うのは僕らみたいな老人だけであろうか。

        ”千の風にのって”と都会の立体埋蔵墓地

2012-11-24 06:57:42 | Weblog
昨日義弟の納骨式が青山墓地で行われた。東京では青山墓地といえば昔から有名人やお金持ちの墓地として知られているが、義弟のお墓は26万㌶という広大な敷地の一角にある立体埋蔵墓地である。青山墓地は明治の初め美濃国郡上藩の藩主青山氏の下屋敷跡に作られたものだが、明治大正にかけて元勲、大久保利通や数々の政治家、”坂の上の雲”の秋山真之海軍中将らの軍人、国木田独歩、志賀直哉を始めとする文人、それに忠犬ハチ公の墓まである。

東京では、ここ数年來お墓ブームが続いている。新聞の折り込み広告には毎日のようにお墓の広告が入ってくる。我が家は先祖代々のお墓が浅草にあるため購入の必要はないが、同年輩の友人知人の中には最近大金を出して買った者が多い。たいていは郊外の緑の多い、新しく開発された墓地を求めているが、中には江戸時代からの都心の古刹の墓地を買った者もいる。もちろん郊外墓地に比べて高いのだが交通の便利がよい。

義弟が埋葬された立体墓地は、都立青山霊園が数年前から売りだしたもので、コンクリート製の三層ボックス型になっている。言ってみれば、集合住宅型のお墓である。扉の部分には故人の名前と生年月日、物故した年月日が記されている。義弟は郷里の長野にご先祖の菩提寺はあるが、生前遺族のことを考えてか義妹の逝去の後この墓地を購入した。

秋も深まって青山墓地の桜はすでに落葉して冷雨に打たれていた。義弟の墓地の周りには戦前に建てられた〇〇陸軍少将とか△△子爵といった大きな立派なお墓が目立つ。これに対して義弟の墓は小さなボックスである。しかし、遺族からみれば、交通の便の悪い郊外の墓地に比べれば参拝に便利である。

秋山雅史の歌った「千の風に乗って」では”そこ(墓地)には私はいません。眠ってなんかいません”と言っているが、これほど人間の死を冒涜、軽視したものはない。

           政党乱立 描けない将来の政治展望

2012-11-23 06:48:25 | Weblog
僕が南の国を10日近く旅行している間に世界は大きく動いていた。11月7日には米国のオバマ大統領が再選され、中国では習近平が胡錦涛の後継者に選ばれた。わが国の政治舞台もようやく回り始めたが、政党が雨後の筍のように乱立、一体これからの日本がどうなるのか、帰国直後の僕の頭では、にわかに将来の政治展望ができない。

昔”南方ボケ”といった言葉があったが、まさに僕はその状態なのかもしれない。くるくる動く政治についていけない。「第三極」をめざす石原慎太郎氏が新党を立ち上げ昔の自分の小説「太陽の季節」にちなんで「太陽の党」を結成、綱領まで発表しながら、僅か数日で橋下徹氏の「維新の会」と合流して代表に収まった。

新党が乱立しすぎている。”南方ぼけ”の頭には一体幾つあるのか判らない。wikipediaのお世話になって調べたら、国会に議員がいる政党だけで16もあった。このうち昨年から今年にかけて結党されたのが、なんと5つもあった。ところが、今日の新聞をみると亀井静香氏が新たに「反TPP」党をつくり、河村たかし氏の「減税日本」との合流、第三極の別の分派を目指すという。

12月16日の総選挙で国民がどんな決断を下すのか予断は許せない。選挙に向かって色々と合従連衡の動きがまだ続いている。しかし、誰のための政治なのか。自分たちの勝手気ままから、野合のようについたり離れたりされては国民はたまったものではない。ここにも”わがまま”世代と言われる団塊の世代、升添要一、鈴木宗男、河村たかし三氏の名前がみられるが、あながちこれは偶然の一致とは思えない。

                  ジャワのホテルの朝食

2012-11-22 07:43:58 | Weblog

インドネシアのホテルは一般的に朝食はバイキング方式である。料金によって内容は違うが、インドネシア方式は主食は白いご飯と焼き飯それにお粥である。お粥にはネギの刻んだものかニンニク、油揚げみたいなものといったトッピングが添えられいる。おかずの定番は卵料理である。高級ホテルでは卵の料理人がいて、客の注文に応じて料理する。ちなみに目玉焼きはマタサピ(牛の目)という。料理に必ずあるのはトリのから揚げだ。昔は地鶏を使っていたが、今は安いホテルではブロイラーを使っているという。それに必ずあるのは大豆の発酵食品のテンペである。果物はパパイアとスイカ、メロンを小切れにしたものが多い。飲み物はコーヒとお茶をどちらでも選択できる。最後の写真はsotoといったスープである。