「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           北京五輪参加再考         

2007-09-30 05:17:53 | Weblog
JOC(日本オリンピック委員会)が来年の五輪開催地、北京の大気汚染調
査(今年8月実施)を公表した。人体に影響する汚染度を1から5の段階にわ
け調査したところ、予想外に数値は高く、選手が日常生活する選手村が4、
開会式場や天安門が4から4・5であった。JOCでは、この結果に基づき、参
加選手は開会中うがいを励行し、屋外ではマスクを着用するよう奨めるとい
う。開催まであと一年、こんな状況下で開催は果たして大丈夫なのか。

北京の大気汚染はすでに世界各国でも指摘されている。ドイツの週刊誌の
報道では、汚染度は世界基準の二倍を越えており、屋外競技での世界記録
樹立は不可能、それどころか選手の健康さえ損なう危険もあるという。IOC
(国際オリンピック委員会)のログ会長は”状況によっては、屋外競技は延期
すべきだ”とさえ発言している。

年率8%を越える経済成長のひずみとして深刻な公害が発生、年間に40万
人の命が失われている、という報道もある。プレ五輪に際し中国の五輪関係
者は、汚染対策として実験的に大掛かりな交通規制を実施し、本大会には無
公害なレンタルサイクル50万台を輸送用に準備するようだ。

北京五輪の一か月前に北海道洞爺湖サミットが開かれる。主要テーマは地球
環境問題である。政治とスポーツとは別であり、サミットで討議する問題では
ないが、こと世界のアスレートの健康に関する問題である。事故があってから
では遅すぎる。マラソン競技の参加は再考したほうがよい。

    年収200万円 平成の”いざなぎ”景気

2007-09-29 05:07:08 | Weblog
国税庁がまとめた平成18年の「民間給与実態統計調査」をみて色々考え
させられた。その一つは平均給与所得200万円以下の人が全体の22・5%、
1,000万人もいることだ。平均的年金(厚生)生活者の僕でさえ、200万円以
上受給している。これでは”いざなぎ”景気が万人に実感できないのも無理
はない。

今でもよく覚えている。”いざなぎ”景気(昭和40年ー45年)のさ中、僕は転
職して月給が始めて10万円台にのった。そのころ仲間うちで”いつになった
ら月給が1,000㌦になるだろうか”と、話し合ったことも記憶している。その頃
の10万円は、1ドル360円の固定為替時代なので300ドル以下であった。

現在の変動為替の下、1ドル115円でかりに計算すると平均所得200万円は
約18,000㌦、これを月収になおすと1,500㌦になる。昭和40年代初めのサラ
リーマンが"赤ちょうちん”で安酒を飲みながら夢みていた額は、はるかにクリ
アしている。

現在は”いざなぎ”景気をしのぐ好景気だそうだが、実感はない。企業実績の
数字からみれば、そうなのだろうが家計には反映していない。年金生活者以
下の現役収入所得者が5人に1人では、かっての”いざなぎ”景気時代の3C
(カラーテレビ、クーラー、カー)の実感がないのも無理がない。”いざなぎ”
を謳歌しているのは一部の高所得層だけだ。この層も数の上では増えている
というから格差は広がるだけだ。

       孫の作文と”綴方教室”

2007-09-28 05:47:29 | Weblog
孫の作文が区(東京)の敬老文集「おじいちゃん、おばあちゃん いつも
ありがとう」に掲載された。”じじい馬鹿”だが、なかなかよく出来ている。
内容は自分の二人のおばあちゃんに対する感謝の気持ちをすなおに表
現したものだ。僕にいわせれば、6年生にしては内容はちょっと"幼稚”
だが、それはよいだろう。時代が違うのだから仕方がない。

僕らが子供だった昭和初期”綴方教室”運動というのがあった。童話作
家、鈴木三重吉の「赤い鳥」に影響を受けて、ありのままのことを文章に
しようというものだった。東京の葛飾の小学生、豊田正子さんという小学
生が綴方(当時作文は綴方と呼ばれた)に自分の飲んだくれのブリキ職
人の父親のことを書き話題になった。昭和13年”綴方教室”は山本嘉次
郎監督で映画化され、僕も学校でこれを見に行った。

区の敬老文集をみると、大人顔負けの作文もあった。まるで”現代老人
論”である。娘に言わせると、最近の受験塾では難関校の受験指導に
”作文教室”もあるという。その影響かもしれない。起承転結ははっきり
しているが、子供らしさがない。

敬老の集いで朗読された作文はさすがによい。おばあちゃん家のゴキブリ
について書いたものだが、すなおにお年寄への感謝の気持ちが伝わって
くる。”綴方教室”は戦後、転用され柳亭痴楽の新作落語の題材にもなった
が”作文教室”はどうだろうかー。



           牧水の「酒のうた」

2007-09-27 05:41:19 | Weblog
  「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけれ」(牧水) 

歌人の若山牧水がちょうど今ごろの季節に「酒」を歌ったものだ。昨日その牧
水ゆかりの社団法人沼津牧水会から新刊の「牧水 酒のうた」を頂戴した。
牧水が「酒」について詠んだ歌367首が収録されている。この中に亡父との
送別会の席上、牧水が即興に白地の扇子に書いた一首ー
 「わが友を見送るけふのわかれの酒いざ酌めな別れゆかぬと」も載っていた。

亡父は大正10年8月から翌11年2月まで、東京の新聞の記者として沼津に勤
務していたが、その半年間、大学が同窓だったこともあり、牧水の知己をえた。
当時二人とも30代の半ばだったが、カネには恵まれず記者クラブの部屋など
で他の仲間と一緒に沼津駅の駅弁をサカナに呑んでいたようだ。

昨年10月、僕はわが家の書庫に眠っていた牧水の上記扇子を沼津で催された
「碑前祭」の席上、沼津牧水会(林茂樹理事長)に寄贈した。幸いこの歌は「若
山牧水全歌集」に未収録のものだった。亡父はこよなく沼津を愛していた。それ
だけに牧水の扇子の82年ぶりの”里帰り”はよかった。恐らく父も牧水と酌を交
わし、昔話に花を咲かせていることだろう。

「牧水 酒のうた」は「日本ほろよい学会」会長、佐々木幸綱・早稲田大学教授の
解説、牧水の酒にまつわる歌367首と随筆4編、略年譜が掲載されている。
定価500円、沼津牧水記念館売店で取り扱っています。


      アウンサン・スー・チー家と日本

2007-09-26 04:59:58 | Weblog
ミャンマーといっても僕らの世代には馴染がない。やはり「ビルマの竪琴」の
ビルマの方がぴんとくる。そのビルマで10日ほど前から燃料値上げ反対に
端を発した反軍事政権デモが僧侶を中心に最大都市ヤンゴン(ラングーン)
で発生、他の地方都市へも飛び火して拡大してきている。”パゴダの国”と
いわれる仏教国のこの国では、僧侶は国民の尊敬の的だけに軍事政権も
対策に苦慮している。

現在のミャンマー軍事政権の”鎖国”政策のため、わが国との関係は薄い
が、もともとは緊密で1960年代から70年代にかけては、池田,佐藤、田中、
福田と4人の歴代首相がこの国を訪れている。

今回のデモの精神的支柱となっている最大野党の国民民主連盟(NLD)の
指導者、アウンサン・スー・チーさん一家も日本との関係が深い。彼女の父
親、アウンサン将軍は、ミャンマーでは”独立の父”として知られているが、
戦前の昭和15年、英国の官憲に追われ、日本の軍諜報機関(南機関)の
援助で日本に亡命している。滞在中は「ビルマ」の漢字名から名をとって
「面田紋二」を名乗り、東京や浜名湖の弁天島に潜伏していた。

スー・チーさんも昭和60年から61年にかけて京都大学東南アジアセンター
で、父親の日本での足跡を中心に研究している。

日本人にはミャンマー好きが多い。同じ仏教徒であり、従軍世代の中には
”戦友"的な親しみがある。昭和58年、僕はミャンマー政府からの研修員
15名を連れて、日本各地の研究施設を1か月ほど旅したが、すっかりミャン
マー・ファンになってしまった。現在の混乱が一日も早く解決することを祈
っている。

     「ハ二ホへト」とマレーシア国歌

2007-09-25 05:30:14 | Weblog
朝のラジオ体操では出来るだけ大きな声で「ラジオ体操の歌」を歌う
ことにしている 。大声で歌うと何故か身体によい。子供の頃の「ラジ
オ体操の歌」は”踊る旭日の光を浴びて・・・・ラジオは号ぶ一二三”
だったが、今は”新しい朝がきた希望の朝が・・・・”に変わった(昭和
31年制定)。僕らには”ラジオが叫ぶ”の方が懐かしいし歌いやすい。

戦争中「ドレミファソラシド」の音階は外国語だという理由で禁止された。
(実際は当時同盟国だったイタリア語だったのだが) 変わって「ハ二ホ
へトイロハ」が採用された。国民学校令が施行された昭和16年4月から
終戦まで音楽教育は「ハ二ホ」で行われた。試験には「ハヘイ」「ハホト」
の和音の聞き分けがあった。敵機の爆音の聞き分けに役立つというのが
目的だった。

わが母校は昭和16,17年度の東京都吹奏楽コンクールの優勝校だっ
たせいか音楽教育には熱心で、普通僕らの世代は楽譜が読めないの
だが、僕でさえ、今でもトオン記号が正確に書ける。当時わが吹奏楽団
が演奏した歌の一つに「月の光」(terang bulann)がる。戦争で南方へ
従軍した世代には懐かしく、日本国内でも一部だが歌われた。

戦後62年、いま「月の光」はマレーシアの国歌「わが祖国」(negaraku)
に制定された。国歌として歌詞は変わっているが、この歌を聞くと、
緒戦の勝利で沸き立っていた頃の「時代」を思い出す。シンガポールは
昭南と呼ばれていた。

        団塊世代の自省と覚悟

2007-09-24 05:01:31 | Weblog
青春ドラマの俳優で政治家でもある森田健作氏が「産経新聞」”の今週
のご意見番”というコラムの中でこう書いていた。
「おじいちゃんの日本はどこへ行った?」 礼の国、和の国、美しい国・・
これを単なるノスタルジーの世界に置き忘れてはならない。戦後の日本
人の大人たち(団塊世代)の自省と覚悟が問われている。

森田健作氏は昭和24年11月生れだから、まさに団塊世代である。その
森田氏がこのコラムの中で”大人たち(団塊世代)”とことさら団塊世代
をカッコでくくっているのには何か特別意味があるのだろうか。小ブログ
は以前、日本人のマナーとモラルについて触れ、団塊世代にその欠如
がめだつと書いた。僕だけの偏見かと思ったら、団塊世代自身の森田
氏もそう感じているようだ。

団塊世代の特徴は、人一倍競争心が強いくせに反面、自分勝手で社会
的責任感が薄いと、ある本に書いてあった。もう一つ特徴をあげれば、
個性があるように見えてなく、老後は”田舎でソバづくり”現象、つまり右
ならえ的なところもある。

要約すると、自分勝手な世代のように僕らの目には映る。従来の慣習に
しばられたくないのは解るが、社会秩序を嫌い、それが公徳心の欠如に
まで及んでいる人も多い。身近な交通マナーをとってみても、優先席に
腰をかけ、大股をひろげているのは、初老のこの世代である。森田氏で
はないが、自省と覚悟が必要である。

        「ARIGATO 謝謝 China」

2007-09-23 05:18:09 | Weblog
中国杭州で行われた女子サッカー予選ドイツとの予選敗退後、日本のなでしこ
チームの関係者が、中国観衆の激しいブーミングにもかかわず「ARIGATO   
謝謝 China」と大書した横断幕を掲げた。これをめぐって中国内で激しい論
争が起きているという。このなでしこチームの横断幕のニュースは四川省の「成
都商報」(電子版)が写真入りで伝えた。

この報道について、あるコメントは「(日本チームの行為の)勇気に感動した。見
習うべきだ」。別の意見は「過去の侵略を反省しない日本の宣伝活動に感動する
など中国の恥だ」。また別のサイトは「最大の敗者(日本は2-0で敗退)は日本選
手ではなくて、マナーの悪い(中国の)観衆だ」と賛否両論、意見もこもごもだ。

これに関連して興味深いのは「人民中国」の記事だ。日本語の「有難う」は中国
語では難(災い)がある、という意、一方「謝謝」は古代中国語では”謝る”という
意味があるそうだ。「ARIGATO」とローマ字で書かれていたから誤解を呼ばなか
ったと思うが、ややこしい。

同じ漢字を使う両国でも、長い歴史の中で漢字の意味が違ってくる。よく出され 
る例が「手紙」だ。現代中国では、日本でいうトイレット・ペーパーだという。戦前
「四書五経」を漢文で習った世代は現代中国語はわからないが、気をつけなけ
ればならない問題だ。それにしても、なでしこチームは、余計な横断幕を用意し
たものだ。感謝を表するのなら別な方法もあると思うのだがー。スポーツはたん
たんとやったほうがよい。

       老人 は”虐められる”前に

2007-09-22 05:24:25 | Weblog
「高齢者虐待防止法」なんという法律があるのを知らなかった。新聞を
見たら昨年4月施行されたそうで、厚労省がこのほど施行1年を機会に
調査したら全国1829市町村で、1万2575件の身内による虐待報告
があったという。昔、教育勅語で”親に孝に”と習った”後期高齢者”世
代にはショックな話だ。

僕の友人、知人にも”寝たきり老人”が出てきている。好んでなるわけで
はないが、責任の一端は本人の健康への自己管理にある。寝たきりの
原因の多くは脳血管障害によるもので、その引き金が糖尿病だ、と医学
雑誌に書いてあった。

今年春の老人健診で僕も糖尿病と診断された。それから3か月、僕なり
に晩酌をやめ、間食を少なくしてカロリーダウンにつとめた。その結果が
昨日わかった。空腹時血糖値は120mg/dl,ヘモグロビンaicは7・4%ー
数値的にはまだまだ糖尿予備軍だが、確実に努力の甲斐は出ている。

東京都医師会の情報誌「元気がいいね」によると、平成16年度国民栄養
調査(40歳ー70歳)では、男性の2人に1人、女性の5人に1人が糖尿病
病その予備軍と推定され、このままでは平成22年には、患者は1千万人
を越えてしまう。

老人にとって一番の幸せは”元気がいいね”である。しかし、元気でいる
ためには、それなりの努力も必要なことがやっとわかった。長年親しんで
きた晩酌を止めるのは確かに苦痛である。でも寝たきりになって、虐待さ
れる”地獄図”を思えばなんということはない。

        彼岸花 ジャガタラお春

2007-09-21 05:50:26 | Weblog
”暑さ寒さも彼岸まで”ーというが、今年はそうではない。猛暑がまだ
東京に居残っている。が、自然は正直だ。この季節に深紅の花を咲
かす蔓珠沙華(まんじゅしゃげ)が、わが家の近くでも見られる。蔓珠
沙華は別名「彼岸花」ともいう。花言葉は”悲しい想い出" とか”また
会う日まで”である。

       ▽「長崎物語」(作詞梅木三郎 作曲佐々木俊一)
       赤い花なら蔓珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る
       濡れてないているジャガタラお春 
       未練な出船にああ鐘がなる ああ鐘がなる

昭和13年発表の歌だが、戦後もNHKのノド自慢でよく歌われた。歌
に出てくるジャガタラお春は、徳川時代の初期、キリスト教禁教を受け
長崎からジャワに流された日本の女性である。遠く故郷を偲んで、そ
の思いを”ジャガタラ文”に託した悲劇の女性として知られている。

ところがである。実際のお春の一生は”蔓珠沙華”のような悲しいもの
ではなかった。最近の調査によれば、彼女は現地でオランダ東印度会
社の幹部と結婚、使用人にかしずかれたセレブの生活を送っていた。
戦前までジャカルタの日本総領事舘の庭には、お春と同時代を生きた
「ソウベイ」の墓があった。残念ながら、この墓石は戦後の混乱で行方
不明だが、この「ソウベイ」とお春と間で交わした文書からお春の実像
が明らかにされている。事実は時にはせっかくの物語を陳腐なものに
してしまう。