異例なことである。国会の予算委員会が連休初日の「昭和の日」にも開かれた。土曜日の今日も開かれる。国会のゴールデン・ウイーク期間中の開催は昭和37年(1962年)以来49年ぶりだと言う。東日本大震災を受けての緊急予算審議である。被災地の救済復旧を考えれば"月月火水木金金”の審議は当然といえば当然だ。
与党民主党の先鋒として"黄門様”こと渡部恒三氏が"今はオール・ジャパン・キャビネット”(全日本内閣)の時だ”と菅総理の政治手法をたしなめていた。"黄門様”の話法は同世代の僕がみても大時代的だが、歳の功で説得力はある。例のおとぼけで"敗戦時、僕は中学1年だったが、総理は何歳だったか”と質問していた。どんな狙いで総理に質問したのか"黄門様”の意図はわからない。
"黄門様”より二歳上の中学3年だった僕の推察によれば、多分、広島、長崎への原爆投下や東京、大阪、名古屋、横浜を始めとする都市空襲で国土が焼土と化したにもかかわらず、、われわれ日本人は不死鳥のように蘇えった。これは戦後の日本人が、敗戦にもへこたらず、一致団結して国の再建に努めたからだ、といいたかったのであろう。
僕は"黄門様”の言葉から、敗戦時を思い出した。東京の僅かに焼け残った母校の校舎には空襲で家を失った近所の人たちが避難場所がなく同居していた。前にも小ブログで紹介したが、敗戦2か月後の10月は、1か月間勤労動員されて第一京浜国道沿いの焼土の瓦礫の片付け作業に従事した。当時はボランティアなどなく、強制的に学校から命令された。ろくに食糧もなかった時代だが、日本中が政府も国民も復興に向かって一つになっていた。
与党民主党の先鋒として"黄門様”こと渡部恒三氏が"今はオール・ジャパン・キャビネット”(全日本内閣)の時だ”と菅総理の政治手法をたしなめていた。"黄門様”の話法は同世代の僕がみても大時代的だが、歳の功で説得力はある。例のおとぼけで"敗戦時、僕は中学1年だったが、総理は何歳だったか”と質問していた。どんな狙いで総理に質問したのか"黄門様”の意図はわからない。
"黄門様”より二歳上の中学3年だった僕の推察によれば、多分、広島、長崎への原爆投下や東京、大阪、名古屋、横浜を始めとする都市空襲で国土が焼土と化したにもかかわらず、、われわれ日本人は不死鳥のように蘇えった。これは戦後の日本人が、敗戦にもへこたらず、一致団結して国の再建に努めたからだ、といいたかったのであろう。
僕は"黄門様”の言葉から、敗戦時を思い出した。東京の僅かに焼け残った母校の校舎には空襲で家を失った近所の人たちが避難場所がなく同居していた。前にも小ブログで紹介したが、敗戦2か月後の10月は、1か月間勤労動員されて第一京浜国道沿いの焼土の瓦礫の片付け作業に従事した。当時はボランティアなどなく、強制的に学校から命令された。ろくに食糧もなかった時代だが、日本中が政府も国民も復興に向かって一つになっていた。